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生き残りへのいたちごっこ

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「無意識に、自分たちが私利私欲に走っているということを分かっていながら、それを認めようとしない」
 という考えが蔓延っているのだ。
 それこそが、
「政府内に蔓延る、パンデミック」
 といってもいいだろう。
 だから、政府が
「テンプレートのような記者会見の文章」
 というものを、
「ただ、読んでいるだけ」
 ということになる。
 しかも、その中に必ずあるのは、
「専門家の意見を考慮して、善処する」
 というものである。
 確かに、自分たちが納得できる、善処というものはしているのだろうが、それが、
「専門家の意見」
 というものではないことは、ニュースを見ているだけでも、ほとんどの国民には分かっているのだ。
 しかし、分かっていないのは、
「発表している政府だけ」
 ということであり、
「策を弄する方は、相手からされるということにえてして気づかないものだ」
 といわれるが、
「まさにその通り」
 ということである。
 特に、
「有事」
 と呼ばれるような、
「国家的な非常事態」
 という状態において、政府が、
「この期に及んで、私利私欲に走る」
 ということであれば、まわりからは、その様子が、まるで、
「青写真に写されたかのように、暗躍が影としてハッキリうごめいているのが分かる」
 といえるだろう。
 それも、
「国民と、政府との考え方のギャップだ」
 といえるのではないだろうか?
 そんな、
「緊急事態」
 というものに陥ったことで、国民は気づいたのだが、肝心の政府は、
「自分たちが丸裸にされている」
 ということを分かっていないのだ。
 それは、
「自分たちが、国民から選ばれた特別な人間だ」
 ということで、まるで、
「神のような存在だ」
 と考えているからなのかも知れない。
 ただ、さすがに、そこまでうぬぼれることができない人も結構いるだろう。
 そういう人が、
「自分が、政治家として、一般国民とは違う」
 ということを自覚しようとすれば、そこには、
「金」
 であったり、
「権力」
 という、
「形として見えるものを手に入れる」
 ということで、
「自分が国家を動かすだけの政治家なのだ」
 ということを証明するのかも知れない。
 だから、政治家の中には、
「金や権力に眼がくらみ」
 という人も多いだろうが、それよりも、
「自分が政治家でいられるために、金や権力というものの力を借りる」
 ということで、
「実際に、金や権力の力を用いて、延命をするのではなく、そもそもの、自分の存在意義を確かめるということでの、金と権力による、自分の証明だ」
 といってもいいのではないだろうか?
 昭和以上の、
「バブル崩壊」
 というのは、
「会社が出てきたタイミング」
 と、
「その上昇気流というものに、バブル崩壊の逆風を乗り越えることができた」
 ということから、人によっては、
「タイミングが良かっただけ」
 ということをいうだろうが、
「運も実力のうち」
 というではないか。
 実際に、その言葉の証明ということを、江川グループは、実証したということになるのかも知れない。
 江川グループというのは、昭和の終わり頃ということで、
「三公社五現業」
 といわれる、
「国営企業」
 というものが、どんどん民営化するという時代であった。
 実際に、平成になってから、
「三公社」
 と呼ばれる、
「国鉄」
「専売公社」
 などが、民営化していくことになるのだが、実際には、その水面下で、
「時代の歪に巻き込まれないようにしないといけない」
 ということで、政府は、そのクッションとなるべく機関と、それに携わる会社を作って、
「スムーズな民営化」
 というものを目指したのだ。
 正直、国鉄などは、その、
「どうすることもできない」
 といわれる累積を家事というものを持っていた。
 そもそも、この民営化というのは、
「政府が、民間にその赤字を丸投げする」
 ということから行われるもので、どんなきれいごとを言ったとしても、結果としては、
「政府が、投げ出した」
 ということで、逃げということにしかならないということであった。
 ただ、バブル崩壊の際にも、暗躍する組織はあった。
 実際に、彼らには、
「バブル崩壊」
 というものを、予知するということはできたようだが、本当であれば、
「バブル崩壊」
 というものを阻止することはできなかっただろうが、
「少しでも、その危機を抑えることはできたかも知れない」
 と言われている。
 しかし、それを、
「あえてしまったのではないか?」
 とも言われているのだが、その理由としては、
「時代を人身御供にして、世間を生贄にした」
 という考え方であった。
 一つの例として表現するとすれば、それは、
「ノアの箱舟」
 のようなものだといえるのではないだろうか?
 つまりは、
「旧約聖書」
 というものの中に書かれている、
「ノアの箱舟」
 という話であるが、
 そもそも、人間を作った神が、人間世界を見て、
「人間の存在が悪にまみれたりして、自分たちの許容を超えてしまった」
 ということで、
「地上を滅ぼす」
 ということで、
「世の中を正常に戻す」
 という考え方があった。
 というのが、ノアの箱舟という伝説だといってもいいだろう。
 実際にノアの箱舟というのは、
「神が、地上を浄化するという意味で、地表に大洪水をおこし、あらゆる生物を死滅させる」
 という考えであるが、ただ、自分たちが選んだ、あらゆる動物のつがいを、箱舟に乗せて、
「種の保存」
 のために、生き残らせるということであった。
 それが、人間では、
「ノアの家族」
 ということであり、だからこそ、
「世界は、少なくとも、一度浄化された」
 ということであろう。
 ただ、これは、あくまでも、
「生命の滅亡」
 というものは、地球上では普通にあることで、それを、
「神による浄化だ」
 と考えさせるというのは、
「いかにも宗教らしい」
 といってもいいだろう。
 この考えが、
「バブル期の暗躍する組織にはあった」
 ということである。
「組織によって、日本は救われた」
 といってもいいのだが、実際には、
「あそこまで、バブルの崩壊が社会影響を与えることなく、乗り切ることもできたはずだ」
 ともいえる。
 それを考えると、
「あえて、バブルというものを崩壊させたのではないか?」
 とも考えられる。
 その根拠としては、
「バブルの崩壊」
 というものを、
「誰も本当に予期できなかったのではないか?」
 という疑問である。
 経済評論家や、専門家などの偉い先生というのはたくさんいるのに、それを予期できなかったというのは、どこかおかしい。
 そう思えば、
「本当は分かっていて、わざと言わなかったのではないか?」
 ということになるのだろうが、
「それはあくまでも、国家の転覆を狙うなどというひどいものではなく、いい意味で考えて、国家の浄化というものになるのではないか?」
 と考えられる。
 それこそ、
「肉を切らせて骨を断つ」
 といってもいいような、一種に、
「苦肉の策」
 というものではないだろうか?