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生き残りへのいたちごっこ

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 ということから、表に出てきているのは、ほとんどないといってもいい。
 つまりは、
「金にものを言わせて、もみ消している」
 ということである。
「婦女暴行を行った犯人も未成年。暴行された女性も未成年」
 ということになると、その、
「もみ消し」
 というのは、結構あるだろう。
 というのも、
「婦女暴行を衝動的にしてしまった」
 ということで、息子が親に泣きついたとして、親は、まず、そのもみ消しを考えることだろう。
 息子のこともさることながら、
「自分の社会的地位」
 というものが脅かされることは、絶対に避けなければいけない。
 そもそも、
「そんなことをしでかした息子をしかりつけなければいけない」
 という中で、
「こっちで何とかするから、お前は、黙っていなさい」
 などといって、そこから、
「金と権力にものを言わせる」
 ということになるのだ。
 まずは、
「被害者と被害者家族に対しての圧力」
 である。
 顧問弁護士を使って、まずは、被害者の家に、謝罪に行かせる。
 最初こそ、平謝りを繰り返すことになるのだが、
「今後のこと」
 という話になった時、今度は、開き直った態度に出て、少し威圧感を見せることになる。
「なんといっても、百戦錬磨の顧問弁護士」
 ということで、
「これくらいのことは、比較的日ごろからあること」
 として、対応には慣れているだろう。
 しかも、相手の弱みの握り方も分かっている。
 弁護士の目的というのは、
「告訴を辞めさせる」
 ということである。
 そのために、幾分かの、
「見舞金」
 と称して、金を積み、そこから、示談に持ち込むということである。
 そのためには、
「告訴した場合のデメリット」
 というものについて、話をすることになるわけだが、それこそ、
「マニュアル化されたもの」
 といってもいいだろう。
 まず、告訴をすると、
「金と時間が掛かる」
 ということを説明する必要があり、
「その時に、いろいろな証拠を探して、それを法廷で審議することになる」
 というのだ。
 つまり、
「被害者とすれば、なるべくなら、暴行に遭ったということを娘の将来のために、誰にも知られたくない」
 と思っても、裁判になれば、
「相手の弁護士の行動を止めることができず、当然、暴行を受けたという事実を、まわりに宣伝することになる」
 というのだ。
 さらに、もう一つの、
「辛いこと」
 というのは、
「裁判で、弁護士側は、被告の名誉を守るために、いろいろ被害者に尋ねることになる。その時、聞かれたくないこともいろいろ聞かれることになる。つまり、同意があったかどうかというのが、こういう裁判では重要なことなので、絶対に聞かれることになる。つまりは、思い出したくもない、トラウマになったことを、裁判という傍聴者がいる中で明らかにされ、それに対して、きちんと答えなければいけない」
 というのだ。
「そのことを被害者であるあなたや、被害者側の家族が耐えられますか?」
 という。
「しかも、裁判は結審するまでに、かなりの期間が伴う。何年もかかる時がある」
 と言われてしまうと、
「ここは、示談金をもらって、、示談にしてしまえば、もうこのことに触れられることもなく、これから、新たな人生を歩むことができるんですよ」
 などという。
 本当は、向こうが悪いというのは分かり切っていることなのに、実際の、
「裁判や法廷の現実」
 というもの、さらに、
「世間の目」
 というものを考えた時、
「お金をもらって、再出発する」
 という方が、
「娘のためにもいいのではないか?」
 ということになれば、
「どんなに理不尽であっても、結果そっちに舵を取るしかない」
 ということになるのだろう。
 だから、
「告訴を考えていたという人も、すぐに、取り下げる」
 ということになる。
 つまりは、
「被害届は提出しても、告訴はしない」
 という事例が多いことで、警察もよく分かっていることから、
「婦女暴行で、犯人の起訴」
 というのは、ほとんどないものだと考えているに違いない。
 考えてみれば、
「世の中が理不尽だ」
 というのは、まさにこのようなことがあるからというもので、
「弁護士」
 というものが、
「真実を最優先にする」
 というわけではなく、
「依頼人の自由と財産を守る」
 というのが、最優先と考えれば、
「法治国家における正義とはいったい何なのか?」
 ということになるだろう。
 そもそも、
「一つしかない」
 という、
「真実」
 というものを解明するというのが、裁判だというのだろうが、それなのに、
「弁護側と検察側で、勝ち負け」
 というものがあるというのも、どこかおかしな気がする。
「真実というのが一つしかなく、それを違う立場から解明していく」
 ということで、目的が一緒のはずなのだから、
「真実を解明した方が勝ち」
 ということで、勝ち負けを決めるというのは、果たしてどういうことなのか?
 と考えさせられるといってもいいだろう。
 それを考えると、
「検察」
 というのは、犯人を起訴して、あくまでも、犯罪者として見ることで、警察が捜査してきたものをもとに、
「求刑した罪に近づけよう」
 とする。
 つまりは、
「情状酌量」
 であったり、
「減刑」
 というものを考慮しない形のシビアなものである。
 しかし、弁護側は、事件によっては、
「執行猶予を勝ち取りさえすれば、この事件では勝ちだ」
 ということになる。
 そう、
「事件の種類」
 によって、その
「特性というもの」
 から、
「ほとんど、有罪となる」
 といわれるものもあれば、
「ほぼ無罪となるだろうな」
 ということで、無罪になりそうなものであれば、検察は、
「証拠不自由分」
 ということで釈放ということになる。
 ただ、そうなると、
「無罪放免」
 というものではないということに注意が必要だ。
 逆に、
「ほとんど有罪」
 というものであれば、弁護士は、
「負けると分かっている戦いに挑む」
 ということはしないだろう。
 そうなると、誰も弁護士がいなくなるということで、
「国選弁護人が当たる」
 ということになる。
「被告にお金がない」
 という場合は、
「引き受ける弁護人がいない」
 という場合に、国選弁護人が選ばれることになるだろう。
 まあ、場合によっては、
「被告が、弁護はいらない」
 という場合もあるようで、それも、かなり稀なケースということであろう。
 弁護士というのは、
「依頼人の、自由と財産を守る」
 ということで、それが、結局、
「依頼人の利益を守る」
 ということになるのであった。

                 暗躍

 昭和の終わり頃から、ちょうど、バブルの風にのって、
「彗星のごとく現れた」
 といってもいい会社に、
「江川グループ」
 というものがあった。
 元々は、財閥系の会社から独立したところで、その経営ノウハウは、熟知している人が、取締役を占めていた。