生き残りへのいたちごっこ
しかし、会社は、そんなことは言っていられない。
なんとしてでも、社員を減らそうとする。
そうなると、本当に誰であろうとも、待ったなしということになるだろう。
特に、
「高給取り」
というのは、そのターゲットになりやすく。特に、
「バブル期に、好条件で入社した、まだ若手社員というのは、そのターゲットになりえる」
ということである。
それまでは、
「会社から、優遇を受けていた」
という連中が、今度は打って変わって、
「一番いらない人間の最優先順位」
ということにされてしまう。
これほど、恐ろしいことはないのではないか。
「掛けられたはしごにおだてられて乗せられると、今度は、時代が変わったからといって、簡単に外されて、まるで人身御供のようにされてしまう」
ということである。
それがバブルの時代であり、その年齢が、今では、
「50代中盤」
ということになるだろう。
実際に、それ以降の経済は、
「決していい時代」
ということではないが、だからといって、バブル時代ほどの最悪ではない。
ただ、その途中のところどころで、いろいろな問題は起こってきた。
「リーマンショック」
などもその一つで、
「派遣切り」
などという社会問題が起こったものだ。
そして、忘れてはいけない。
「世界的なパンデミック」
によって、
「緊急事態宣言」
なるものが起きて、社会が崩壊状態になったろいってもいいだろう。
ただ、日本では、
「いまだに、終身雇用」
という考えが残っていることから、企業として、
「自分の身は自分で守る」
という考えから、
「内部留保」
というものを蓄えていたということで、
「経済成長には至らなかったが、何とか、経済が危機に陥っても、その時のたくわえがあることで、社員を路頭に迷わせるということが、少しでも解消できた」
ということで、
「失われた30年」
などと言われているが、
「日本独自の考え方」
ということで、実際には、
「日本らしい考え方のおかげで、パンデミックにおいても、助かった人が多かった」
といってもいいだろう。
そんなバブル経済から、崩壊までというのが、
「平成初期」
ということで、昭和の時代には、
「その傾向を肌で感じていたひともいた」
ということなのかも知れないが、結果的には、
「誰も知らなかった」
ということになっている。
それなのに、
「昭和末期の事件」
というのは、
「どこか、バブル経済というものの興亡」
というものを、
「予期している」
といってもいいかも知れない。
「老人を狙った詐欺事件」
そして、今問題となっている、
「誘拐事件から始まって。最終的には二重三重の事件ということになった」
といわれる事件を思い起こすと、
「バブルの興亡」
という時代の到来というのは、
「本当は予知されていたものだったのかも知れない」
という疑惑が起こるのだ。
そして、
「詐欺事件」
ということにしても、
「二重三重の事件」
ということにしても、それぞれに
「大きな組織の暗躍」
ということが分かっていて、しかも、
「結局は未解決事件」
ということになったり、
「解決されようとした事件が、暗殺者の乱入」
ということによって、事件が曖昧になったではないか。
これは、詐欺事件においてのことであったが、
「実際に社会問題になった」
ということで、マスゴミが、騒ぎ始め、組織の社長に、
「囲み取材」
というものを行っていた時、
「その場に、闖入者がいきなり入ってきて、組織の社長を刺し殺した」
というセンセーショナルなことが起こった。
しかも、
「生放送中」
ということである。
犯人とすれば、
「被害者の一人」
ということであったが、生放送中にいきなり差し掛かるというのは、それこそ、
「狙ってのこと」
といってもいいだろう。
いかにも、
「劇場型」
ということであるため、その真相というよりも、
「どれだけ、詐欺グループがひどいことをしたのか?」
ということを強調することになり、
「本来であれば、問題にしないといけない」
ということを結果的に曖昧にしてしまったということになるだろう。
そういう意味で、この事件は、
「解明できそうなところまで行ったが、変な闖入者のせいで、曖昧になってしまった」
ということになるが、これが、
「もし、最初から計画されていることだった」
ということになれば、
「事件というものの裏に、何かが潜んでいる」
といっても過言ではないだろう。
結局曖昧になったことで、
「未解決事件」
ということになった。
いわゆる、
「被疑者死亡」
とでもいえばいいのか、
「臭いものには蓋」
という、
「いかにも昭和の事件」
といってもいいだろう。
そういう意味で、
「二重三重の事件」
というのは、この詐欺事件とは、
「まったく形が違っている」
ということで、
「時期的には近い」
ということであるが、そのかかわりに関して、誰も何もいう人はいなかった。
だからこそ、
「バブル経済」
というものと結びつけて考えるということはしないのだろう。
しかし、それを結びつけて考えようというのが、
「今回の事件」
といってもいいのではないだろうか?
というのが、
「昭和の事件」
と同じく、今回の事件というのも、
「毒物混入における、無差別殺人」
ということだったのであった。
模倣
なるほど、確かに昭和の時代というと、ある時期に、
「青酸カリを混入したコーラというものが、自販機の近くに置かれている」
ということがあった。
今であれば、
「販売機の近くに放置されている空き瓶の中にコーラが入っているからといって、誰も口にする人はいないだろうが、その時代にはいた」
ということであろう。
それだけその時代は、
「安全だった」
ということなのかも知れない。
時代とすれば、
「昭和が終わる10年くらい前だった」
という時代であろうか。
この時代になると、
「日本という国が、名実ともに、先進国の中でも、トップクラス」
いわゆる、
「世界の長者番付」
の中の、半分以上が、日本人という時代であった。
それが、次第に好景気を呼んできたのだが、だからこそ、
「バブル経済」
などというものが考えられない時代だったかも知れないが、ある意味、
「実態のないもの」
ということであれば、その怪しい足音が忍び寄ってきたということもありえるのではないかと思えるのだった。
まるで、
「忍者」
のように忍び寄る。
そんな時代が、音を立てずに近寄ってきたということであろう。
今の時代とは、
「明らかに違っている」
というように見える。
ただ、
「時代は繰り返す」
といわれるが、どこかにその感覚が残っているのかも知れない。
それを思い起こさせるのが、
「今回の事件」
といってもいいかも知れない。
もちろん、
「バブル時代」
と同じものが潜んでいる。
ということはないであろうが、そもそも考えれば、戦前の時代というのは、
作品名:生き残りへのいたちごっこ 作家名:森本晃次



