一つしかない真実
「一度も見たことも聞いたこともなかったはずなのに、以前にも同じ感覚を覚えたことがあったはずだ」
という感覚。
それが、
「デジャブ現象」
というもので。
「今までの感覚をいかに、解釈すればいいのか?」
ということを考えると、余計にデジャブが激しくなるという、
「曖昧な中に、考えないわけにはいかない」
という感覚だといえるだろう。
今回の事件というのは、
「交換」
というキーワードが含まれていた。
普通であれば、
「いくら、毎日同じ車では飽きが来る」
とはいえ、
「他人と定期的に車を入れ替える」
というのは、あまりにもおかしな感覚ではないだろうか。
車というのは、
「安い買い物」
というわけではない。
それだけ、頑張って金をためて買ったものだということであれば、その執着というもの、そう簡単に、他人と交換できるものではないだろう。
だが、中には、
「会社社長をしていて、金を持て余すほど持っていうr」
という人がいるとすれば、
「実際には車もたくさん持っていて。それを毎日、まるで、アクセサリーや洋服を、その日の気分で変えていくような感覚」
ということであれば、ありえなくもない。
ただ、この場合は、
「車を難題も所有しているわけでもなければ、金持ちでもない」
ということで、
「現実味を帯びていない発想」
ということで、
「最初から、せっかく考えた発想であっても、逆にそれだけに、すぐにあきらめるというものなのかも知れない」
だから、犯人側とすれば、その心理を逆に利用するということもありだろう。
つまり、
「精神的な裏の裏をかく」
ということで、それこそ、
「木を隠すには森の中」
であったり、
「一つの嘘を、99の本当で隠す」
というようなやり方こそ、
「第一ステップの欺き」
といってもいいだろう。
さらに、そこに、
「一度警察が捜査したところであれば、これほど安全な隠し場所はない」
という似てはいるが、別の発想ということもある。
それを考えると、
「裏の裏をかく」
つまりは、
「大どんでん返し」
というのは、
「簡単なようで難しく」
さらには、
「難しいようで簡単だ」
といえるのではないだろうか?
一度回りだした頭の歯車は、なかなか止まろうとしない。
だから、
「この時を逃すことなく、自分の発想を信じる」
と考えれば、それまで表に出てこなかった発想が、どんどんあふれてきて、そこには、
「時間という概念がない」
という発想となる。
「時間をかけてゆっくりと」
という発想がなくなるのである。
「人間というのは、立ち止まって考えるよりも、いったん発想が芽生えると、そこから、自分の勘を信じて突っ走る」
というのが、
「先を進んでいる人間」
つまりは、
「逃げている方の発想」
ということである。
「逃げる」
というと、
「敵に背を向けている」
ということになるのだろうが、実際には。
「敵よりも先にいる」
ということで、あくまでも、有利だといえるだろう。
だが、後ろが見えないという
「不安感」
というものが、
「逃げている」
というネガティブな発想を植え付けるに違いない。
今回の事件においても、
「犯人はどこか逃げている」
という印象が捜査員の中にあった。
それが、
「経理係長」
という立場から、
「会社の何か、知ってはいけないものを知った」
ということからの問題に思えたのだが、清水刑事は、少しちがっや感覚になったのだ。
一つ、清水刑事が考えたのが、
「車を交換した」
ということで、何か、
「交換殺人を暗示させる」
という感覚に見えたのだが、それは、少し違う気がした。
どちらかというと、
「似て非なるもの」
という感覚が、清水刑事の中にあって、
「交換殺人というものと似ていて、実際に、リアルは殺人事件としてありがちなことはないか?」
と考えた時、
「こちらも、まれではあるが、根拠として、交換殺人のように、ありえない考えというほどではない」
ということから、発想として、
「身代わり殺人」
というものを考えた。
その身代わり殺人というものを考えた時、あくまでも、勝手な発想であり、思い込みになるのかも知れないが、考えられることとしては、
「怨恨しかないのではないか?」
という思いであった。
事件の背景として見えてくるものだけを考えると、それこそ、
「経理部関係の社会組織によるもの」
という発想があまりにも強く、
「警察はその路線で、捜査することになるだろう」
というのが、頭の中にあるのであった。
大団円
つまり、
「警察の捜査を誘導する」
という考えの中で、犯人は、
「事件の伏線になるものを、警察の捜査陣に思い込ませ、それが誘導につながる」
ということを考えているのであり、
さらにそれだけではなく、
「今回の事件は、その考えが、警察の捜査の中で裏付けられるような形で誘導ができれば、
「犯人の計画にとって、都合のいいことだ」
という考えであったとしても、犯人とすれば、
「小説の中での、叙述トリック」
というもののような計画が、
「そのまま通洞になる」
という考えである。
そう考えると、
「死んでいった沢崎という男、本当に殺されなければいけない人間だったのか?」
ということである。
もちろん、
「死ななければいけない人間であった」
ということに変わりはない。
ただ、
「本当の復讐の相手だったのあか?」
と考えると、そこは難しいところであって、
そこまで考えると、
「今度の事件で、復讐する相手は複数いる」
といえる。
もっといえば、
「相手が複数いるから、身代わり殺人であったり、交換殺人のようなカモフラージュができたのではないか?」
ともいえるだろう。
ただ、犯人としては、
「最後まで、誰を本命の相手として犯人が追っているか?」
ということを知らえないようにしないといけない。
ということは、今回の計画は、
「自分が助かりたい」
という思いからの、カモフラージュであったり、トリックであったりではないのではないか?
「犯人としては、実際に死んでほしい相手を確実に殺し、しかも、その相手に、復讐鬼としての、こちらの感情をぶつける」
ということを
「成功させるためのトリック」
ということになるのだ。
だから、
「表向きは、派手に見えるトリックであるが、それをまともに信じてしまい、相手が裏に用意した、地味ではあるが、確実に仕留めるという意味での、叙述トリックといえる計画を実行できる」
ということになるのだろう。
それが、今回の殺人計画というもので、実際に、どういうことなのかということを、誰も分からない状態であった。
もちろん、
「清水刑事の存在がある」
ということから、何とか事件の側面が見えてくるのだが、今の警察に、
「ここまでの奇抜な発想ができる刑事」
というのは、なかなかいない。
あくまでも、
「アウトロー」
といってもいい、
「はぐれ刑事」
であった。



