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噛ませ犬

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「猜疑心」
 というものではないだろうか。

                 犯罪動機

「嫉妬心」
 というのは、基本的に、
「一人の女性を好きになったのだが、その女性に別に付き合っている男性がいる」
 ということであったり、
「自分のものではない相手が、自由だという状態なので、自分以外の男性を気にしている」
 などという時、感じる感情である。
 中には、
「自分が好きになった」
 という相手に、配偶者がいるという場合もある。
 それこそ、
「好きになったはいいが、人妻だった」
 というもので、一般的には、
「よくあること」
 といえるだろう。
 普通であれば、
「旦那がいるなら、諦めるしかないか」
 ということになるだろう。
 それでも、どうしてもほしいと考えると、へたをすれば、犯罪に走らないとも限らない。
 もっというと、
「人のものだから、自分も欲しくなる」
 という考えの人もいるだろう。
 これも一種の異常性癖といってもよく、
「あの人が人妻じゃなければ、好きになっていなかったかも知れないな」
 という考えもあるだろう。
 それが、
「人妻独特の、フェロモンに興奮する」
 ということなのかも知れない。
 中には、
「人妻じゃないと、興奮しない」
 という人もいたりして、それを、
「異常性癖」
 といっていいかどうかは、難しいところであろう。
 確かに異常性癖というと、
「SMの関係」
 というものも、その一つで、
「異常性癖の典型」
 といってもいいだろう。
 しかし、
「紳士淑女の遊戯」
 とも言われていて、
「性癖を極める」
 ということから、相手をいたぶったり、痛みを伴うというものになるのである。
 これは、一種の、
「美」
 というものの感覚に似ているのかも知れない。
 そういう意味で、
「モラルや道徳というものを超越した最優先とされるものとして、美というものが存在する」
 という考え方の、
「耽美主義」
 というものがあるが、この、SMなどというような、
「異常性癖」
 というのは、
「耽美主義」
 というものの一種ではないか?
 といえるのではないだろうか?
 愛というものは、その裏に、
「性」
 というものを秘めている。
 つまり、
「愛」
 という感情が、
「性癖を作っている」
 といってもいいだろう。
 そして、人が誰かを好きになる。
 つまり、
「愛情」
 という感情を抱くということは、無意識の場合が多いかも知れない。
 一目惚れの場合であっても、自分では、
「一目惚れだ」
 と思ったとしても、すぐには認めようとしない。
 自分の中で、それなりの好きになった理由というものを探そうとしているのだ。
 確かに、
「一目惚れをする」
 というのは、
「好きになった相手が素晴らしいからだ」
 ということであるが、それは、
「自分の手柄でも何でもない」
 といえるだろう。
 だから、
「好きになる理由を、それなりに見つけておかないと、自分で納得がいかない」
 ということで、
「どうして好きになったのか?」
 ということを自分で納得できないということであれば、
「好きになった」
 という事態を、自分で納得できず、そこから起こる、
「精神的な変化」
 というものに、
「自分で対応できない」
 と考えるであろう。
 つまりは、
「恋愛」
 という意義が分からないということになるのだ。
「恋愛と結婚は別だ」
 といわれている。
 確かに、
「恋愛の相手と、結婚する相手は別の人がいい」
 という人は結構いる。
「最初に付き合った相手を結婚した」
 あるいは、
「一度も別れたことがない」
 という人は、ごくまれなことだろう。
「初恋が成就することはまずない」
 というのと同じで、そこからも、
「恋愛感情と、結婚相手に求めるものは違う」
 ということになるだろう。
 つまりは、
「結婚相手に求めるものが、明確にある」
 ということなのだろう。
 確かに、
「恋愛相手と、結婚相手は違う」
 ということで、恋愛対象に望む気持ちというのは、ハッキリしているだろうが、
「結婚相手に望むもの」
 というと、ハッキリしない場合が多いことだろう。
「恋愛相手」
 ということであれば、
「一緒にいて楽しい」
 であったり、
「今の目的の利害が一致している」
 などという、
「今現在一緒にいて楽しい」
 あるいは、
「今がよくなるために最良の人」
 という見方があるだろう。
 しかし、これが結婚相手ということになると、少なくとも、まず考えるのは、
「一生の伴侶」
 ということで、問題のない人ということになる。
 昔であれば、
「丈夫な男の子を生んでくれる」
 などという、
「家制度から考えて、そこには、恋愛感情というよりも、家の孫軸というものしか考えられない」
 ということである。
 だから、結婚相手に求めるものは、基本的には、そんなにたくさんではないが、少なくとも、
「ずっと一緒にいることを前提とする」
 ということが決まっているということである。
 だから、それを、
「恋愛」
 というもので決めてもいいのか?
 という考えであった。
 これこそ、ものは考えようだが、
「親が決めた縁談ということであれば、もし、嫁さんに文句があったとしても、俺が決めたんじゃない」
 ということで、少なくとも、自分に対しての責任逃れができるというものだ。
 だからといって、
「自分に我慢ができるのか?」
 ということになれば別であり、
「我慢ができない」
 ということであれば、それに対して、対応のしようがあるというものだ。
 男性であれば、
「風俗」
 であったり、
「姦通」
 ということがあってもいいのだろうが、女性の場合はそうもいかない。
 しかも、女性は、
「嫁入り」
 ということで、田舎などは、まだまだ昔の風潮が残っていて、
「正月や盆には、親戚が集まる」
 ということで、
「行きたくもないのに、普段は遭うこともない義理の親戚の間で、暗黙の了解ともいえる、階級のようなものができていて、自分がその一番下に属していると、それこそ、奴隷のような状態にされてしまう」
 ということであった。
 だから、
「私、あなたの実家に行きたくない」
 ということで、年末になったり、田舎から戻ってくると、
「夫婦の間が、凍り付いてしまう」
 ということが普通にあったりするではないか。
 だから、
「それに我慢できず、離婚する」
 という夫婦も少なくない。
 旦那としては、奥さんのその、
「本当の辛さ」
 というものを知る由もない。
「男同士、懐かしい話に花を咲かせている」
 ということで、奥さんを見ているわけではなく、奥さんからすれば、
「自分のことを無視している」
 と思われたとしても、無理もないことであろう。
 そんな確執が生まれることで、
「離婚」
 というのを考える人もいれば、
「結婚するにあたって、長男であったり、家族構成で、田舎に親が住んでいる」
 などという条件で、最初から、
「結婚相手として考えられない」
 という女性もいるだろう。
 もっとも、
作品名:噛ませ犬 作家名:森本晃次