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噛ませ犬

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 ということになるだろう。
 他の会社は順調で、この会社だけが危ない」
 ということであれば、
「辞めて他の会社を探す方がいい」
 ということになるだろう。
 しかし、
「バブル崩壊時」
 のように、
「右を見ても左を見ても、どちらも地獄」
 ということであれば、
「辞めないという選択肢もありか?」
 ということになるだろうが、少なくとも、
「リストラ」
 ということであれば、残った場合の地獄というのは、その後も、
「ずっと続く」
 といってもいいだろう。
 そう考えると、
「リストラ候補に挙がる」
 ということになれば、
「会社に見切りをつけて辞めてしまう」
 という方が、いいのではないかといえるだろう。
 ただ、もちろん、一概に言えるわけではなく、
「その人の事情」
 ということもあり、
「それぞれの人間に考慮すべきところは、当然にたくさんある」
 といってもいいだろう。
 リストラによって、会社を追われるというのは、実に情けないことではあるが、それだけ、会社の方が、もっと情けないといってもいいだろう。
 そういう意味で。
「我慢」
 というのも、限界があるというものであり、その我慢と制御の間のギャップというのは、
「欲と我慢のギャップ」
 と同じなのではないだろうか?

                 結婚氷河期

バブル崩壊において、リストラや、給料削減によって、
「家庭生活」
 というものが、一気に変わってしまった。
 それまでは、
「家族の長である一家の主人が働きに出て、奥さんが、内助の功ということで、専業主婦をしながら、子育てにいそしむ」
 というのが、それまでの時代だった。
 だから、
「やむを得ず共稼ぎ」
 というものをしないといけない家では、子供にカギを渡し、
「かぎっ子」
 といわれ、
「小学生の頃から、一人で夕食を食べる」
 という生活を、
「かわいそうだ」
 といっていたものだが、バブル崩壊後は、
「ほとんどの家が共稼ぎ」
 ということで、
「そうでもしないと、生活ができない」
 ということになっていたのだ。
 特に、
「給料やボーナスを見込んで、ローンを組んだ人には、共稼ぎは必須」
 であり、特に、
「住宅ローン」
 などは、
「本当に払えるのか?」
 ということになったりした。
 かといって。
「買った住宅を売りに出す」
 ということもできない。
 ローンが残っている以上は、いくらかでも返済しないと、売りに出すことはできない。
 そうなると、
「法外な利子のサラ金に借りないといけない」
 ということになり、とてもではないが、返せるわけはない。
 というのも、
「バブルの時期」
 というのは、土地の値段が、急激に上がっていて、
「高く買ったとしても、どんどん上がっているので、上がり切ったところで売れば、それだけの儲けになる」
 ということで、
「売り時の問題」
 というだけだった。
 それでも、
「土地代は果てしなく上がっている」
 ということなので、
「不安は一切ない」
 といってもいいだろう。
 しかし、実際には、
「バブル崩壊」
 と同時に、一気に土地の値段は、下がりまくったといってもいいだろう。
 そうなると、
「じゃあ、売りに出そう」
 としても、買った時、5千万だったものが、バブル崩壊と同時に、1千万となり、さらにどんどん下がり続けている」
 ということになれば、
「売るに売れない」
 ということになる。
 しかも、
「どんどん時間が経てば経つほど、価値が下がってくる」
 という最悪な状態になるわけだ。
 まるで、
「血を流しながら、滅亡へまっしぐら」
 というわけである。
 しかも、
「時間が経てば、どんなに安くなってきても、実際に買い手もお金がない」
 ということで、
「誰も買い手がつかない」
 ということになり、
「売らなければいけない状況なのに、実際には売れない」
 ということになるのだ。
 バブル崩壊までは、
「買わないと時代に取り残される」
 などといわれ、煽りに煽られていたのが、まるで嘘のようになってしまうというのが、この
「バブル崩壊」
 というものの恐ろしさということになるだろう。
 ここでも、
「制御が利かない」
 ということだ。
「我慢のしどころ」
 とは言われるが、
「何をどのように我慢すればいいのか?」
 というのも、過去にこのような事態に陥ったことがないということで、どうすればいいのか、前例がないのだ。
 確かに、
「戦後のハイパーインフレ」
 などという時代は、
「生きるか死ぬか?」
 ということで、実際に、
「栄養失調」
 ということで、たくさんの人が死んでいったという時代もあっただろう。
 しかし、バブル崩壊の時代は、
「経済復興から、最高潮の経済状態となり、これからもどんどん成長していく」
 という時代になってきたのに、結局は、
「限界があった」
 ということで、それこそ、
「負の結界を破ってしまった」
 ということであろう。
 しかも、その兆候があったのかどうか、結局、誰にも予期できなかった
「バブル崩壊」
 というものが、巻き起こした混乱で、社会は、
「夫婦共稼ぎ」
 という社会現象を生み、
「家父長制度」
 を崩壊させ、
「会社における終身雇用」
 というのも、なくなる形になった。
 そうなると、
「家においての、父親の権威は、地に落ちてしまい、さらに時代は、男女雇用均等という考えから、女性の社会進出ということ」
 さらには、
「男性の子育て問題」
 などというのが注目されることになった。
 ただ、それ以前に、
「子供などいらない」
 という考え方だ。
「何も、家を存続させることもない」
 ということで、
「代々受け継がれてきた家も、どんどん売られていくことで、子孫に残すものもなくなってきた」
 といえる。
「稼業も、子供が継がないといっているので、俺の代でもう終わりだ」
 というところも増えてきている。
 昔のような、
「職人気質」
 という考えもなくなってきて、大量生産による、
「機械的な製造物」
 というものが、街の軒先に並ぶということになるだろう。
 いや、そもそも、その
「店の軒先」
 というものである、
「個人商店」
 というのもなくなり、
「大型商業施設というものが流行る」
 ということになるだろう。
 ちょうど、バブル期くらいに、
「大型商業施設」
 という時代がやってきて、
「街の商店街」
 というのは、客を取られてしまったことで、
「商店街は閑散としてきて、土地の売買にはちょうどいい」
 ということで、
「土地の価値が上がってきた」
 ということになり、
「バブル経済」
 における、
「土地ころがし」
 という財テクという考え方に結びついてくるというわけだ。
 それが、バブルの崩壊を迎えて、今度は土地の値段が下がってくる。
 そうなると、
「早く売らないといけないのに、買い手がいない」
 というまったくかみ合わない歯車となってしまうのであった。
 その時代の、
「一番の罪悪は誰だ?」
 ということになるが、
「いきなり襲ってきたことであり、誰も、事業拡大が利益を生む」
作品名:噛ませ犬 作家名:森本晃次