小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

噛ませ犬

INDEX|3ページ/14ページ|

次のページ前のページ
 

「人間には、本能というものがあり、その本能が、普通であれば信じられないようなことを起こす」
 といっても、これは、
「人間というよりも、他の動物の方がその傾向が強く、動物は感情というものを持たないということから、余計に、本能というもので、生き抜く」
 ということになるだろう。
「人間には分からないが、動物は自分たちの種族に、それぞれの言葉のようなものがあり、伝え合っている。それが、共鳴振動のようなものなのかも知れない」
 と思うと、
「共鳴振動」
 というのもバカにできないといえるだろう。
 人間において、本能で行動するというのは、どちらかというと、
「退化している」
 という感覚になる場合が多いかも知れない。
 つまりは、
「人間の進化というのは、感情の発展というものにある」
 という感情で、
「感情がない動物が、本能によって行動している」
 と考えると、
「人間こそが、高等動物だ」
 と考えるようになり、
「下等動物とは違う」
 という感情から、
「本能のままに動くのは、退化している」
 ということで、
「人間には、他の動物にはないものを持っていて、それが、理性というものだ」
 ということであった。
 他の動物にも、
「理性のようなもの」
 というのはあるだろう。
 なければ、同一種族の中で、うまくやっていけるわけはない。
 それを考えると、
「動物は、本能の中に、理性を持っている」
 ということになるだろう。
 と考える。
 いや、むしろ、
「本能と理性というものの区別がつかないから、一緒くたに考えることで、本能の中に理性を持っている」
 という、人間にとって、
「都合のいい解釈」
 というものをするということになるのだろう。
 子供の頃というと、
「親も、自分たちと同じ子供時代を過ごしてきたのだから、子供の気持ちは分かるはずだ」
 と、普通であれば、考えるものだ。
 特に、昔になればなるほど、
「親の威厳」
 というものが激しくて、
「自分が大人になったら。自分の子供には、今感じている自分と同じ気持ちにさせてはいけない」
 と、少なくとも、一度はそう思ってもいいだろう。
 しかし、実際には、
「大人になると、子供の頃に思っていたはずの感情を忘れてしまうのか、大人は大人の都合でしか話さないようになる」
 ということである。
 これは、
「親の親が、自分の子供、つまりは、親に対して感じていたよりも、激しい感情となっているのではないか?」
 とさえ思うのだ。
 昔の方が、
「世間体」
 というものを気にするというもので、昔の親は子供に対して、
「世間体に悪い」
 ということであったり、母親が子供を叱る時によく言われることとして、
「お父さんの顔に泥を塗るんじゃありません」
 といわれるものだった。
 しかし、今の時代は、
「親は、自分が恥ずかしい」
 あるいは、
「自分にとって都合が悪い」
 という言い方をする。
 昔であれば、
「自分のことよりも、父親であったり、子供の将来について怒っていたのに、それが、少し変わってきた」
 ということだ。
 もっとも、昔でも、父親を引き合いに出すというのは、二つのことが考えられる。
 一つは、
「家父長制度」
 の名残りということで、
「父親に対しての敬意を表する」
 ということからの、まだマシな考えであろうが、もう一つは、
「容認できないところがある」
 ということで、その発想が、
「自分の意見を父親の意見ということで、一種の責任転嫁をしよう」
 ということではないだろうか。
 だから、結局は、
「今も昔も、一長一短の考え方があり。一概に、何が正しいのかとは言えない」
 ということになるだろう。
 ただ、
「大人になり、自分が親の立場になると、子供の頃に感じた思いを、なぜか、まったく忘れてしまうということになる」
 といえるだろう。
 これは、実に不思議に思うことだった。
 父親であれば、そこまで極端ではないが、こちらも、考え方が複数あるといえるだろう。
 一つは、
「親になったということで、その責任を一身に背負って、自分が悪者になっても、かまわない」
 という考えから、
「教育する」
 ということである。
 ただ、今の大人を見ていると、
「結局、最後は、自分の都合」
 ということで、
「大人としての責任をいかに全うするか?」
 ということを隠れ蓑にして、
「やってますアピール」
 をしているだけなのではないだろうか?
 それこそ、前の世代がいっていた、
「世間体」
 というものを、カモフラージュするかのように見ているだけで、言い方を変えれば、
「いかに、感情をごまかしながら、演じているか?」
 ということになるのだろう。
「人間は大人になると、子供の頃の感情を忘れてしまう」
 ということで考えられるのは、もう一つあった。
 それは、
「大人になればなるほど、感情を制御できなくなる」
 ということではないだろうか?
 本来であれば、大人になるということは、
「モラル」
 であったり、
「道徳」
 というものをわきまえるようになり、自分だけでなく、まわりを見れるようになることで、世の中を形成している人間の一人となる。
 ということになるだろう。
 人とのかかわりに関して、
「うまくやっていく」
 ということが必須であり、だからこそ、
「人に気を遣う」
 ということが当たり前だということになる。
 それらのことは、子供の頃から、言われなくても経験していることだろう。
 子供の中には、
「うまく大人に気を遣うことで、
「大人から好かれる」
 という子供でいる人も多い。
「そんな子供が大人をどんな目で見ているのか?」
 というのは、確かにその人それぞれといってもいいだろう。
 だが、ハッキリとは断言できる人はいないだろう。
 なぜなら、
「子供の頃に、大人に対して気を遣っていた」
 という人も、自分が大人になるにつれて、
「その時の感情を、どんどん忘れてしまっていくからだ」
 ということだからだろう。
 結局、
「気を遣わない人は、最初から、そんな感情があるわけではなく、気を遣う人も忘れてしまう」
 ということなのだから、
「大人になれば、子供だった頃の気持ちを、すっかり忘れてしまった」
 といっても、
「それは無理もないことだ」
 ということになるのだろう。
「感情を制御できなくなる」
 というのが、
「大人になるにつれて」
 という前置きの元で考えると、
「大人と子供の間の境界線には、大きな結界がある」
 というのは、間違いないと思えてくるのであった。
「感情を制御できなくなる」
 ということの一つとして、
「人間には、欲というものがあり、その欲というものは、果てしない」
 と考えられるからではないだろうか?
「犯罪というものは、欲からできている」
 という言葉もあるくらいで、
「人間は、欲があるから成長もするが、間違いも犯す」
 といえるだろう。
 もっとも、それは、
「欲というものが、すべて悪い」
 ということで、一刀両断にした場合という考えの元であれば、ある意味、
「解釈を簡単にすることができる」
 ともいえるだろう。
作品名:噛ませ犬 作家名:森本晃次