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噛ませ犬

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 というものである。
 それが、
「生き埋め」
 であったり、
「水攻め」
 などのような方法が書かれたりしているが、そのやり方が残虐であればあるほど、そこに、
「何らかのトリックを交える」
 ということで、探偵小説としての、興味を生むといってもいいだろう。
 特に、昔の探偵小説であれば、
「どこか、リアリティのないもの」
 というものが考えられたりする。
「生き埋め」
 であったり、
「水攻め」
 などというのは、それこそ、
「19世紀の時代」
 の、日本に入ってくる前の欧州における探偵小説のゆかりなのかも知れない。
 実際に、
「探偵小説のトリック」
 というのは、
「すでに、出尽くしたものであり、これからは、そのバリエーションが必要になる」
 といわれたものだが、まさにその通りであろう。
 実際に、
「防犯カメラ」
 であったり、
「DNA検査」
 というものの、
「科学捜査」
 によって、昔から
「分類されてきたトリック」
 というものが、ほとんど通用しなくなってきたといってもいいだろう。
 それだけ、
「限られてきたトリック」
 ということで、
「トリックを組み合わせる」
 などという形での、探偵小説としての、面白みというものが考えられるといってもいいだろう。
 また、逆に、
「実際にはありえないトリック」
 といわれていることでも、
「探偵小説ではあり」
 と考えられるものもある。
 もちろん、
「架空の話」
 ということで、
「ある程度の叙述はありだ」
 といわれるのではないだろうか?
 そういう意味で、よく
「実際にはありえないが、小説ではたまにある」
 といわれているものがある。
 その一つが、
「交換殺人」
 というものである。
 交換殺人は、確かに、
「言葉としては、たまに聞く」
 というものであるが、
「実際にあった」
 という話は聞いたことがない。
 元々、そんな犯罪が行われれば、
「大々的なニュースになる」
 ということであろう。
 ただ、もう一つ考えられるのは、
「実際に交換殺人が行われ、それが成功したことで、事件が未解決のままになってしまったり、交換殺人という形ではない別の形で事件が決着したりした場合である」
 ということである。
 ただ、そうなると、
「冤罪」
 と呼ばれる可能性が高くなるわけで、それでも、裁判等で、判決が確定しまえば、その時点で、
「犯人側の計画は大成功」
 ということだ。
 そういう意味での、
「まるで、犯罪の噛ませ犬」
 というような考え方があるとすれば、それは、
「事実は小説よりも奇なり」
 ということで、それこそ、
「実際には、ありえないこと」
 といってもいいだろう。
 そもそも、
「交換殺人」
 というものが、
「実際には不可能だ」
 といわれるのかどうかということであるが、それは、
「動機というよりも、可能不可能を考えた時、不可能だ」
 と考えられることではないだろうか。
 その、
「可能不可能」
 という考え方も、
「精神的なもの」
 といってもいいだろう。
 そもそも、
「交換殺人というものが、どうして考えられたのか?」
 ということになると、
「実行犯と、動機を持った犯人という二つが存在し、それぞれに襷を掛けるという考え方から、捜査を欺く」
 というものである。
 普通に考えれば、
「成功しそうな万尾の」
 といってもいい、
 しかも、
「完全犯罪に近い」
 という考え方もあるだろう。
 というのは、
「実行犯には、動機がないどころか、面識もない」
 ということで、実際に、そうなのだから、警察がいくら捜査しても、そのつながりが見つかるわけはない。
 というよりも、
「そもそも、被害者の身辺調査というものをしている中で、まったく面識がないのだから、その捜査線上に、実行犯が浮かび上がってくる」
 ということはありえないのだ。
 だから、実行犯が疑われることはなく、疑われるのは、あくまでも、
「殺害動機を持った容疑者」
 ということになるだろう。
 しかも、
「交換殺人」
 というものはれっきとした、
「計画的な犯罪」
 ということなので、
「他殺だ」
 ということを警察に思わせ、それでいて、
「殺害動機が存在し、主犯である」
 という人物に、
「完璧のアリバイ」
 というものがあれば、
「いくら、殺害動機というものがあったとしても、アリバイが成立してしまっては、犯人として疑うことはできない」
 ということになる。
 それが、
「交換殺人の完全犯罪たるゆえんだ」
 ということになるだろう。
 ただ、交換殺人というのも、他の犯罪のように、
「メリット」
「デメリット」
 というものがある、
 メリットとしては、前述のように、
「完全犯罪」
 の要素を孕んでいるというもので、
「警察の通り一遍の捜査では、犯人に、永遠にたどり着けない」
 ということであろう。
 しかし、デメリットというものも、それに匹敵するくらい、大きなものである。
 というのが、前述のように、
「精神的なところが影響してくる」
 ということである。
 そもそも、交換殺人というのは、
「お互いに、動機を持った主犯が、まったく何の関係もない人間を実行犯として利用することで、お互いに、目標を達成する」
 というものである。
 つまり、言葉通り、
「殺害する相手を交換する」
 ということである。
 だから、ここで問題になるのが、
「実行犯は、絶対に、殺害された人物に、殺害動機を持っていればいけない」
 ということである。
 つまり、
「捜査線上に浮かばないためには、まったくの赤の他人でなければいけない」
 ということだ。
 だから、
「殺害された被害者と、面識がない」
 ということであれば、基本的に、
「殺害動機のある主犯とも、知り合いだということではいけない」
 ということになる。
「絶対に」
 というのは大げさかも知れないが、
「このような、完全犯罪を目するような、綿密な計画を立てていると、えてして、ちょっとしたことから、計画が露呈する」
 という思いが疑心暗鬼となってしまい、
「計画は、最初から最後まで完璧でなければいけない」
 ということになる。
 それが、完全犯罪というもので、それが成立しないと、
「交換殺人」
 というものを行う意義はないと思うことだろう。

                 大団円

 だから、実際に、それぞれが、
「主犯であり、実行犯である」
 ということで、
「立場的には同じものであり、そのために、お互いが知り合いだということを悟られないようにできる」
 ということになるだろう。
 だが、逆の考え方として、
「最初から、この犯罪計画は、お互いが対等だ」
 とは言えないということであった。
 というのも、
「交換殺人を、同時に行うことができない」
 ということから、平等ではないといえる。
「交換殺人の、完全犯罪の完全たるゆえん」
 ということで、
「基本的に、動機のある人間には、完璧なアリバイを用意する」
 ということになる。
 となると、
作品名:噛ませ犬 作家名:森本晃次