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噛ませ犬

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 たとえば、
「そもそも、変死体が見つかった」
 などということになると、まず、初動捜査で見なければいけないのは、
「被害者の身元確認」
 と、
「事件性があるか?」
 ということである。
 事件性というのは、ざっくりとであるが、
「事故なのかどうか?」
 ということから、もし、
「事故ではなく、誰かの意思が孕んだ死」
 というものであれば、それは、
「他殺」
 ということになり、
「殺人事件」
 として、捜査本部が立てられ、
「本格的な捜査が始まる」
 ということになる。
 だから、最初に、
「事件性がない」
 と判断された場合は、その理由として、
「自殺」
「事故」
 ということで、そこには、動機も殺意も存在しない、つまりは、
「加害者はいない」
 ということで、
「これ以上の捜査の必要はない」
 ということで、
「調書」
 というものだけを残すだけになるだろう。
 ただ、探偵小説などに書かれるものとして。
「事故や自殺に見せかけた殺人」
 というものがある。
 犯人側にとって。要するに、
「警察を欺く」
 というわけなので、
「いかにすれば、欺くことができるか?」
 ということを考えた時、一番の方法として思いつくのは、
「動機」
 というものを持っていないと思わせることである。
 しかし、
「人を殺す」
 という場合の、
「計画的な殺人」
 ということであれば、
「動機というものは、必ずある」
 といっていいだろう。
「動機のない計画殺人」
 などというのはあるわけなどないといえる。
 そもそも、
「動機があるはずなのに、動機を警察に悟らせない」
 ということが、
「殺人計画の一部」
 ということなので、
「動機のない計画殺人」
 など考えられない。
 そういう意味での、
「殺害動機」
 というものとして、
「怨恨」
「遺産相続」
「復讐」
「保険金詐欺」
 などというものがあり、そのほとんどが、
「復讐」
 などの
「怨恨」
 というものであったり、
「金銭的な欲からの殺人」
 ということで、
「人間は、お金が絡むと、鬼になる」
 ということなのかも知れない。
 しかし、警察が捜査すれば、
「被害者が分かっていれば、殺害動機を持った人間を絞り込む」
 ということはできるだろう。
 人間、何十年も生きていれば、
「あいつに死んでもらいたい」
 と思われることもないわけでもないだろう。
「自分の知らないところで、人の恨みを買っている」
 ということだって、結構あるというではないか。
「殺したい相手がいる」
 ということで、
「殺人計画を練る」
 ということで、その計画というものも、若干その様相が違ってくるというのは、
「その動機の種類による」
 といってもいいだろう。
「怨恨」
 であったり、
「復讐」
 というと、まず、
「最優先される目的」
 というのは、
「相手を殺す」
 ということである。
 これが、身代金目的だったりするような、
「営利誘拐」
 ということでの、金銭がらみの事件であれば、また違うというものだ。
 復讐などの精神的な恨みであれば、
「復讐さえ果たせば、後自分がどうなっても」
 という気持ちで犯罪を行う人が多いだろう。
 しかし、これが金銭目的だとすれば、
「もし、お金が得られなかったとしても、自分の保身は確実にしておきたい」
 ということから、
「殺人計画の中に、逃亡計画も含めておく」
 というのが一般的だろう。
 そういう意味で、それぞれに、動機が違うことで、犯罪計画というものも、かなり変わってくるということだ。
 だから、
「復讐や怨恨」
 というものには、
「殺害の残虐性」
 というものに特化していることで、
「自分を守るためのアリバイ工作」
 などというのは、あまり考えないことが多かったりもするだろう。
 しかし、中には、
「完全な復讐」
 と考えて、
「殺人が行われた」
 としても、
「自分の保身のためのアリバイ工作」
 などが、完璧だったりする。
 そんな時、探偵小説のファンとして、普段から、
「謎解き」
 というものを趣味のようにして考えている人であれば、
「このままでは終わらない」
 と考えることであろう。
 復讐というものが完遂すれば、どうなってもいいと考えるような犯人であれば、アリバイ工作などしないかも知れない。
 特に、犯人が、劇場型であったり、自分の復讐というものを、宣伝している節がある場合は、自分にアリバイ工作はしないというのが、昔の探偵小説の中では、一つの公式のように思えるかも知れない。
 しかし、実際に、そうではなく、
「殺害において、矛盾したような内容であれば、そこには、別の考え方が含まれている」
 と考えられる。
 それは、
「捜査側から見れば、矛盾している」
 と思えることかも知れないが、
「犯人側からすれば、当たり前のこと」
 ということがいえるかも知れない。
 つまりは、
「連続殺人の可能性」
 ということである。
 これが、連続殺人の一部だということになれば、
「復讐はまだ終わっていない」
 ということで、犯人側からすれば、
「ここで捕まるわけにはいかない」
 ということになる。
 では捜査陣からすれば、
「動機というものをハッキリと解明した」
 という時、
「実は復讐相手が複数いた」
 と考えるであろうが、基本的に、根拠もないのに、
「これは、連続殺人だ」
 と決めつけることはできない。
 特に、
「捜査本部の見解」
 ということで、調べてきた中で、殺された人物に対しての復讐を見た時、
「他の復讐相手」
 というものが、浮かび上がってこないと、連続殺人とは思わないだろう。
 そこで、警察は、
「これ以上の殺人は起こらない」
 と思っているところに、もう一人が殺害されれば、
「警察の面目は丸つぶれだ」
 ということになる。
 もっとも、この復讐劇というものの相手に、
「警察も入っている」
 ということになれば、
「元々の復讐を、本当であれば、警察が晴らしてくれる」
 というのが当たり前なのだろうが、
「復讐しなければいけないことを、警察のずさんな捜査で、事故として片づけてしまったり、動機のない事件」
 ということでまともな捜査をしなかったことから、自殺で片付けられてしまったりして、復讐者は、殺人事件だと分かっているから、警察に訴えるが、まったく取り合ってくれなかった場合、
「復讐相手もさることながら、警察に対しての恨み」
 というものもあるということだ。
 だから、
「警察を欺く」
 と考える人もいるだろう。
 そういう場合は、
「連続殺人ではなくとも、保身に走る」
 といってもいい。
「保身に走ることで、警察に一杯食わせ、煮え湯を飲ませることができる」
 ということになるだろう。
 そういう意味で、
「殺害動機」
 というものは、やり方によっては、
「警察を欺く」
 ということにもなるのだ。
「殺害動機」
 というものが、殺人方法に絡んでくるということもある。
 復讐であれば、
「復讐相手が昔行った方法で、報いる」
 ということもある。
 探偵小説などの中では、
「残虐な犯行を、息子が復讐で行う」
作品名:噛ませ犬 作家名:森本晃次