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悪党の因果応報

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 しかも、平成に入り、
「いじめ問題」
 というものが出てきたりすると、
「苛めの原点に、熱血根性というものがあるのではないか?」
 といわれるようになると、余計に、
「時代錯誤」
 といわれるかも知れないが、特に今の時代のように、
「コンプライアンスの問題」
 ということで、特に、
「熱血根性」
 という発想を、
「仮想敵」
 ということにすることで、余計に、
「昭和というと、化石の考え方を持った時代」
 ということにして、今の正当性を計ろうとしているのかも知れない。
 ただ、
「昭和レトロ」
 とも言われ、
「昭和は昭和で、今にないいいものがあった」
 というのも事実ではないだろうか?
「いかに時代を、どこで見分けるか?」
 ということが大切であり、
「そこにあるターニングポイントをいかに見極めるか?」
 ということが大切となるであろう。
 そんな時代が、いずれ、
「バブル経済」
 というものを呼び、さらに、そのバブルというものが、
「崩壊する」
 ということになったのだ。
「バブルの崩壊」
 というものは、誰にも予見できなかったかのように、いきなりやってきて、
「社会を大混乱に陥れた」
 といってもいいだろう。
 しかし、実際には果たしてそうなのだろうか?
 というのも、
「これはあくまでも、想像でしかない」
 ということであるが、
「本当は、バブル崩壊というものを予知していた経済学者というのはたくさんいたはずだ」
 といえるのではないだろうか。
 ただ、
「ここで闇雲に発表すれば混乱が起こるだけ」
 ということで、
「せめて、その対策が考えられるまで黙っていよう」
 と考えたのだとすれば、
「解決策のめどすら立たない間、想像よりも早く、バブルが崩壊した」
 といってもいいだろう。
「バブルの崩壊」
 というのは、実際に、
「ギリギリまで来るまで、ハッキリと見えるものではなく、気が付いた時には、すでに崩壊していた」
 といってもいいかも知れない。
 しかし、
「せめて警告的なことくらいはしておけば、ここまでひどいことにならなかったかも知れない」
 といえないだろうか。
 ひょっとすると、そこには、政治家連中の中に、
「そこまでひどいことになるとは思っていなかった」
 ということで、
「自分の利益を守る」
 という理由から、世間に公表が遅れたのだということであれば、その責任は、
「お前ひとりが、自害するくらいでは到底追い付かない」
 といってもいいだろう。
 それだけ、
「政治家というのが、世間を甘く見ていた」
 ということなのか、前述の、
「世界的なパンデミック」
 の時でさえ、
「オリンピック開催」
 という名目。
 つまりは、
「私利私欲のため」
 ということで、
「専門家委員会の言葉を無視して。強行したではないか」
 ということだ。
 パンデミック対策に対して、国家発表として、
「専門家の意見を聞きながら決めていく」
 といっていたのが、
「すべて嘘だった」
 ということを、あからさまに公表しているというのと同じことではないだろうか?
 それが、
「国家というものを、いかに甘く見ているか?」
 あるいは、
「私物化してもいい」
 ということなのかということを、自らで公表しているようなものである。
 当然、
「次の選挙では勝てない」
 ということで、
「トップの首を挿げ替える」
 というやり方で、
「政権与党」
 として、生き残るという道を、政府は選んだのだ。
 つまり、
「トカゲのしっぽきり」
 ということが行われるというのは、
「昔から、あくどいことの後始末」
 というのは、
「まったく変わっていない」
 ということになるのだろう。
 最近、殺された人に、スーツアクターの男がいた。
「F県K警察署」
 というところが管轄で、最初は、
「自殺だ」
 と思われたが、本人には自殺をする理由が一切ないということと、実際に、近い将来、結婚するという、いわゆる
「幸せの絶頂だった」
 ということで、逆に、
「もし、何かの理由で、復讐を企てるとすれば、そんな幸せの絶頂期で殺してしまう」
 という方が、実に効果的だ。
 ということである。
 それはあくまでも、
「犯行をごまかす」
 ということではなく、
「被害者に対しての、純粋な復讐心」
 というものからだと考えれば、辻褄が合うというものだ。
 実際には、
「こんな時に自殺をするはずはない」
 と思ったとしても、
「殺人だ」
 という証拠がなければ、警察は自殺を判断するに違いないという思いからではないだろうか?
 それを考えると、
「警察の初動捜査というものが、いかに大切か?」
 ということである。
「一歩間違えると、本当は殺人事件なのに、自殺として判断され、へたをすると、犯人を野放しにするだけではなく、犯人が図に乗って。他の犯罪を犯さないとも限らない」
 ということを、分かっていないということになるだろう。
「一つの事件を解決できないだけではなく、目の前に迫っている犯罪を抑止することもできない」
 ということになるのである。
 この被害者が発見されたのは、
「自殺の名所」
 と呼ばれるところの、いわゆる、
「断崖絶壁」
 といわれる場所から、少し離れたところに、
「死体が流れ着いた」
 ということからであった。
 その場所は、昔から、
「自殺の名所」
 といわれていた。
 そもそもは、断崖絶壁ということから、
「必ず、死ねる」
 ということから言われるようになったのであった。
「必ず死ねる」
 ということの根拠として、
「一度飛び込むと、死体が上がらない」
 という謂れからであった。
 その謂れは、昔の人なら知っていたのだろうが、最近の人は、
「自殺をするとしても、あまり深くを考えないで死んでしまう」
 ということのようだ。
 自殺をする理由にもいろいろあるだろう。
「借金をしてしまって、借金取りの取り立てに耐えられなくなり自殺をする」
 という人であったり、
「失恋の痛手」
 ということで、
「この世に未練がない」
 として自殺をする人。
 中には、
「人を殺してしまったことで、罪の意識にさいなまれて、自らの決着をつける」
 という人である。
 特に、「人を殺して、その決着をつけるというのは、結構多いということである。
 最初は、
「自分が助かるためには、相手を殺さないと、生きる道はない」
 ということでの自殺ということであったはずなのに、結局、逃げ道がなくなってしまい。「最後には、死を選ぶ」
 ということになったとすれば、
「じゃあ、殺された人は、犬死ではないか?」
 ということになるだろう。
 ただ、
「殺された人間」
 というのが、中には、
「ろくでもない」
 という男ということもある。
「実際には、生きる価値もない男を、自分の死というものと引き換えに命を奪った」
 ということであれば、犯人は、
「ヒーローだ」
 といえるかも知れない。
 しかし、実際のところは、
「関係者は皆死んでしまった」
 ということで、本当のところは分からない。
「すべてが、闇に消えた」
 ということになるだろう。
作品名:悪党の因果応報 作家名:森本晃次