悪党の因果応報
「社会に出れば、会社が絶対」
という風潮から、
「自分たちのことだけで精一杯」
ということだったのだ。
「会社には逆らえない」
ということで、
「転勤を言い渡されれ、それを断れば、辞めないといけない」
という風潮もある。
会社とすれば、
「転勤などの会社の命令を、仕方のない理由がなければ、断ることはできない」
という、
「会社の法律」
ともいうべき、
「就業規則」
というものには、ほとんど記載されていることだろう。
実際に、
「子供の学校問題で転勤できない」
ということから、転勤を断って、
「会社から解雇されたということで、裁判を起こした人がいた」
ということであったが、
裁判では、
「それは、やむを得ない理由には当たらない」
ということで、
「解雇は不当ではない」
ということになった。
つまり、家庭の事情を会社に持ち込むことは、
「公私混同」
といわれていた時代だったのだ。
なんといっても、当時は、
「終身雇用」
という時代であり、会社を辞めると、
「どんな事情があったとしても、履歴に傷がつく」
という時代だった。
時代が平成に移ってくると、
「離婚」
というのも、どんどん増えてきて、
「新婚旅行から帰ってすぐに、離婚する」
という、以前であれば、
「開いた口が塞がらない」
といわれた、
「成田離婚」
というのが、流行った時があった。
今では、
「そんなのは当たり前」
というべきなのか、何よりも、
「最初から結婚しない男女が増えてきた」
ということである。
実際に、それが、またしても社会問題を引き起こし、
「少子高齢化」
という問題を引き起こすことで、今の時代の新たな社会問題というものが生まれてきたということである。
「結婚しても、子供を作らない」
という問題は、
「平成初期に起こった」
といわれることがきっかけになっている。
それが、バブルの崩壊だったのだ。
バブルが崩壊したことで、世の中は大混乱。
「会社の倒産」
「企業によるリストラ」
などで、それまで働いていた人たちの、会社が倒産したり、首を切られたりすることで、
「収入がなくなった」
という家庭も多い。
首にならないまでも、
「給料はかなりのカットがあり、ボーナスも支給されない」
ということで、
「旦那一人の稼ぎではやっていけない」
ということになる。
その時点で、
「家父長制度」
というのも、瓦解したのだが、
「誰が、稼ぎのない亭主の独裁を許すというのだ」
ということである。
当然、共稼ぎということになり、
「子供がいれば、どこかの保育所か託児所に預ける」
ということになるわけで、
「世の中が急激に変わった」
というのが、
「いきなり起こったバブルの崩壊」
ということなので、
「急激に必要となった保育所や託児所の整備などできているわけではない」
といえる。
つまり、
「入れてほしくても、物理的に、施設が少ない」
ということ。
「施設が整ったとしても、実際に、子供の面倒を見る、保母さんなどの数が、圧倒的に足らない」
ということになるのだ。
だから、
「子供を作っても、保育所に入れない」
ということでの、
「待機児童」
という問題が起こってくるのだ。
だったら、
「子供は作れない」
という問題になり、これが、
「長い目で見る」
と、
「少子高齢化につながってくる」
ということから、今の時代につながってくるということであった。
確かに、
「少子高齢化問題」
というのは、
「バブル崩壊の少し後」
あたりから言われるようになった。
政府としても、
「問題視していなかった」
というわけではないことから、
「さすがにバカではない」
ということになるのだろうが、逆にいえば、
「あれから、30年以上もの間、政府は一体何をしてきたのか?」
ということである。
分かっているのであれば、その対策が何もなされていないということは、それこそ、
「何もしていない」
あるいは、
「何の成果も得られない」
ということで、これが、一般企業であれば、
「社会からの信用を失って、とっくに倒産の憂き目を見ている」
といってもいいだろう。
しかも、
「改善策が見られる」
というどころか、もっとひどいことに、
「どんどん悪くなってきている」
ということになるのだ。
バブルが崩壊し、30年以上が経つ、
海外では、それ以降も、それなりに、
「経済成長」
というものが続いているが、日本国では、
「まったく、成長していない」
ということになる。
実際には、
「給料などは上がっているのかも知れないが、物価も上がっているので、その物価上昇においついていかない」
ということが問題だった。
その理由は、分かり切っていることであるが、それに関しては、政府も、
「いかんともしがたい」
ということになっているのだ。
というのは、
「企業による内部留保」
という考え方であった。
つまり、
「バブル崩壊による大混乱」
というのは、
「企業の倒産」
というものが招いたことである。
というのも、
「会社が倒産したり、倒産を何とかするために、リストラに走ることで、失業者が増えたりしたわけだ」
ということで、
「会社さえ何とかなれば」
という考え方から、
「会社の倒産を何とかしないといけない」
ということであるが、
「政府をあてにすることはできない」
ということは、企業側も十分に分かっている。
というのも、
「政府が何とかできるくらいであれば、バブル崩壊が仕方がなかったとしても、それなりの対策を嵩じることで、ここまでひどいことにはならなかった」
ということだ。
そうなると、
「自分の身は自分で守るしかない」
ということから、
「自分たちで力を蓄えて、いざという時に、持ちこたえられるようにしておく」
というのが、
「内部留保」
というものの考え方である。
外国などでは、
「内部留保」
をせず、社員に還元しているということで、
「経済成長が見えている」
ということになるが、もし、社会に混乱が起きると、持ちこたえられるだけのたくわえはないので、ひとたまりもないということになる。
それを考えると、数年前に発生した、
「世界的なパンデミック」
というものを思い出すのであった。
諸外国では企業の倒産というのが激しかったが、日本では、
「何とか持ちこたえた会社が多かった」
といわれる。
実際に、
「一か月に及ぶ、休業要請」
ということで、
「街がゴーストタウンのようになってしまった」
という時期があったが、日本では、恐れていたほどの、大混乱はおこならなかった。
もちろん、
「そんなに大きくない企業であれば、
「一気に連鎖倒産」
というのもあっただろうが、それこそ、
「バブルの崩壊」
というほどの大混乱はなかったのだ。
それこそ、
「社会が学習した」
といってもいいだろう。
会社が潰れなければ、その会社が持ち直せば、失業者を受け入れるという体制もできるというもので、そのための、
「内部留保」



