悪党の因果応報
「どこの会社に入っても、いつ潰れるか分からない」
ということになった。
「会社は潰れないとしても、いつ首になるか分からない」
ということで、さらに、
「首になってしまうと、次の会社は、もうどこにもない」
という状態になるのだった。
「リストラ」
といわれる、
「首切り」
の言葉が流行りだして、
「早期退職」
ということで、
「今会社を自主的に病めると、退職の時に少し有利にしてやる」
という会社のやり方もあった。
昔なら、
「石にかじりついてでも、会社に残らなければいけない」
ということであったが、
「その会社に、そこまでの価値があるのか?」
を考えると、
「次を考える方がましなのかも知れない」
ということになるのだ。
「そうなると、それまでの、日本の常識」
といわれた、
「終身雇用」
であったり、
「年功序列」
ということが、完全に崩壊し、
「一度入社すれば、定年まで勤めあげれば、後は、退職金と年金で、悠々自適の暮らしができる」
といわれていたものだ。
だから、先輩で、ちょうど、昭和の頃に定年を迎えた人は、
「嫁さんと二人で、数か月かけて、世界一周旅行に行こうと思うんだ」
などという人が、結構普通にいたりしたのだ。
今の令和の時代には、そんなことはない。
なんといっても、
「途中で、会社から定年退職という言葉を使い、再雇用しないという手段に訴えられ、本来であれば、雇わなければいけない立場にありながら、できない部署に配置する」
ということで、本人に、
「辞めます」
といわせるやり方である。
それも、
「巧みに」
である。
そうなると、
「年金が実際にもらえるまでの5年間」
というのが、空白になる。
とても、そんなに長いこと暮らせるだけのお金があるわけもなく、しかも、もし、会社に残れたとしても、
「契約社員扱い」
ということで、
「それまでの給料から三割カット」
というのが当たり前ということになるのだ。
本来であれば、
「30年前くらいまでは、悠々自適だった」
という時代が、まったく変わってしなったといえるだろう。
それこそ、
「姥捨て山状態」
である。
そもそも、
「会社の定年が、60歳で、年金受給ができるのが、65歳から」
というのは、どういうことだということである。
「国は、60歳からもらえる制度もある」
とは言っているが、実際には、
「65歳からもらえる額の7割くらい」
ということである。
実際に、それまでもらっていた給料の半額近くになる年金で、しかも、そこから3割カットということで、
「暮らしていけるわけなどない」
ということになるのだ。
それを考えると、
「それだけ、政府が国民からいかに、搾り取っているか」
ということである。
それこそ、
「まるで、水戸黄門に出てくる、悪代官と、悪徳商人」
を思わせる。
それを考えると、
「今の時代の、水戸黄門は、どこにいるのだろうか?」
といいたい。
だから、
「昭和の頃に始まったテレビ番組としての、水戸黄門が、平成の時代まで、長寿番組として、高視聴率を上げた」
というのも分かるというものだ。
そういう意味で、
「水戸黄門」
などの時代劇は、結構人気があり、
「ゴールデンタイムの夏の時代の代名詞」
というと、
「プロ野球中継」
ということであったが、シーズンオフということになると、今度の人気は、
「水戸黄門」
を中心とする
「時代劇」
だったのだ。
「遠山の金さん」
などの、いわゆる、
「勧善懲悪」
というドラマが、高齢者には結構ウケたということだ。
前述のように、昭和の頃までは、
「高齢者の方が金を持っている」
ということが多かった。
だから、政治家も、
「高齢者を中心に、選挙運動を展開する」
ということになるのだが、今の時代は、
「高齢者は票は入れてくれるが、力はない」
と思っているからなのか、
「高齢者に対しての対応は、完全に、見捨てている」
といってもいいだろう。
そんな時代を通り過ぎると、
「政府は、老人に対して、どんどん突き放すようになる」
なぜなら、
「税金を高く収めるのは、若い連中だ」
ということである。
年金も安くして、働かない相手に、税金も取れない。
ということであったが、今の時代は、
「年金を払うことすらままならない」
というほど、
「納税と勤労は国民の義務」
ということにしていたくせに、
「定年の時代になると、今度は、姥捨て山状態にする」
ということは、普通であればありえないといえるだろう。
しかし、
「今の老人は、健康だ」
というのをいいことに、
「人生百年時代」
などということをでっちあげて、これまでこき使ってきた国民をいかに、締め上げて、
「死ぬまで税金を払わせるか」
ということを考えているのである。
今の転園退職に至る年齢でも、
「ここまでの、ひどい仕打ち」
ということなのだ。
それこそ、今の若者が、60歳になった時には、
「定年退職」
というものも、
「年金」
というものもなくなり、
「死ぬまで働け」
という、完全な、
「国家の奴隷状態」
ということになるのではないだろうか?
外国並みの税金を取られ、
「一切の社会福祉をえられない」
ということになり、
「税金だけむしり取られる」
という世界になることで、それこそ、
「国破れて山河あり」
という言葉ではないが、
「風光明媚な状態」
ということで、
「国家は完全に死んでいる」
といえるだろう。
それこそ、
「家や自然は残っているが、まるでゴーストタウンのように、荒れはれた街に、人っ子一一人いない」
ということになるだろう。
それこそ、
「建物や自然はそのままにして、人間だけを殺傷する」
という、いわゆる、
「中性子爆弾」
がさく裂したかのような状態になるといってもいいのではないだろうか?
そんな時代が、
「今では想像もできない」
と思うのだろうが、
「数十年後には、これが、当たり前の未来予想図だ」
ということになることだろう。
「実際に、自然破壊が進んできた今の時代への続き」
というものは、
「時系列における、未来の姿を映し出している」
といってもいいだろう。
老人への詐欺
そういえば、あれは、昭和の終わりくらいだっただろうか。当時は、
「金を持っていても、バリバリと仕事をしていたことで、それを使う暇がなかった」
ということから、
「年寄りが金持ちだった」
といわれる時代でもあった。
だから、
「定年退職後は、悠々自適」
といわれた時代があった。
国家も今のような、
「姥捨て山」
のような時代ではなく、もう少し、社会福祉が充実していたものだ。
そんな時代だったからこそ、社会は、
「国民のために存在する」
といっても、よかった時代だ。
そのせいもあってか、
「老人を狙う詐欺」
という事件が、世間を騒がせたのだった。
しかも、それを個人や、仲間内で行うというものではなく、
「企業による、会社ぐるみの犯行」



