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悪党の因果応報

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「どんな人と結婚するんだろうな?」
 といわれていた。
 実際に結婚してみると、
「年齢は、10歳以上も年上で、基本的に、人とあまりかかわりを持とうとしない、一見、変わり者と思われるような男と結婚した」
 ということであった。
 それだけに、
「母親を狙っていた」
 という人には、残念な結果に終わったが、逆に、母親が、きれいすぎて、却って諦めがついたという人も結構いたようだ。
「近づけない雰囲気を醸し出している」
 というイメージが母親にあることで、まわりの人は、
「俺たちの近寄れるような女ではない」
 ということになった。
 どこか、近寄りがたい雰囲気は、最初、
「きれいすぎるところからか?」
 と考えていたが、父親を見ていると、
「近寄りがたい雰囲気の人間には、そういう人が自ずと近づいてくる」
 と考えると、
「しょせん、俺たちには近づけるだけの雰囲気があるわけではない」
 ということで、
「近づけば、やけどする」
 という思いがあったのだ。
 そういう意味で、
「あんな男と」
 というショックなところもあったが、それも、最初の一瞬のことで、
「あの男には、この女。あの女にはこの男」
 ということで、
「君子危うきに近寄らず」
 ということだったのだ。
 ただ、
「あの女の美しさ」
 というものに魅了はされていた。
 だから、まわりにいた男たちにとって、母親の存在は、
「観賞用」
 ということであり、
「話をしてみると、意外と癒しをもらえる」
 ということで、
「会話するにはいい」
 と考えていたところへ、ちょうど、結婚してから、少しして、母親がスナックで働き始めると、急に、その店の客が増えたというもの分かるというものだった。
 いずれ、
「卓也が生まれ、そして、父親が自殺をする」
 ということになるなど、まったく想像もしていなかったことだろう。
 家庭が一気に崩壊すると、母親は、
「その町から、逃げるように別の土地に行った」
 ということだ。
「誰も知らない人ばかりのところ」
 という方が気が楽だったのだろう。
 ただ、考えてみれば、彼女の器量と、まわりの人の性格から考えれば、
「そのままいた方が、いろいろ助けてもらえたかも知れない」
 ということは、十分に考えられることであろう。
 しかし、
「母親の方から見れば、しょせん、男の目でしかない」
 ということで、
「本当に人間的に、助けてくれるのかどうか、怪しいものだ」
 ということで、
「上っ面だけのやさしさであれば、ない方がいい」
 と考えてしまったことで、
「この街にはいられない」
 という気持ちになったことであろう。
 そうなると、母親とすれば、
「二度とこの街には戻ってこない」
 と思ったに違いない。
 しかし、結果的には、またこの街に戻ってくることになった。
「10年も離れていない」
 ということで、この街に戻ってくると、お互いに見知った人がたくさんいたのだ。
 皆、
「よかった。戻ってきてくれたんだね?」
 ということで、まわりは、喜んでくれた。
 というよりも、
「他の土地に行かれて、不安に感じるよりも、目の届くところにいてくれた方が安心だ」
 という気持ちが強かったのだろう。
 そう、街の男性から見れば、母親は、
「マスコット」
 のような存在だったのだ。
 母親は、最初からそのことを理解していて、それだけに、旦那が死んで、さらに
借金が残ったということで、いたたまれなくなったというのも、無理もないことだろう。
「苦しんでいるのに、マスコットなどに祀り上げられるのは、耐えられない」
 ということであろう。
 確かに
「苦しい」
 という気持ちは、まわりの男性にも分かってはいただろう。
 しかし、それは、
「理論的に分かる」
 ということであり、
「相手の身になって考える」
 ということはどうしてもできなかった。
 なぜならそこに、
「ひいき目に見る」
 ということがあったからで、そのために、
「母親と、街の男性というのは、交わることのない平行線なんだ」
 と思うのだった。
 そんな中で、唯一、
「交わることのない平行線じゃなかったのが、父親だったんだ」
 と考えると、
「なるほど、それが、両親の結婚の理由だったのかも知れないな」
 と思うのだった。
 だから、
「父親も平行線だったら、俺はこの世に存在していないな」
 ということであったのだ。
「人間、生まれ落ちた時から、不平等だ」
 と思っている。
 特に、両親を見ていると、そう感じるのだ。
 だが、もし、この時、
「両親から生まれてくることがなかったら、俺の存在はどうなっていたのだろう?」
 と考えた。
「SF的な発想が好きだ」
 という卓也の考え方であった。

                 悪党

「SF的な発想」
 というと、どこか、
「架空という空想物語」
 というものを思い浮かべるだろうが、基本的には、
「理論的に考える」
 ということでの、
「合理性」
 のようなものと、
「物理学的な発想」
 というものから成り立っているといってもいいのではないだろうか・
「タイムマシン」
 であったり、
「ロボット開発」
 などという、それこそ、昭和の時代の、SFというと、そのあたりからの発想が芽生えてきて、
「スペースファンタジーもの」
 であったり、
「タイムスリップ」
 という発想に大きく分かれるといってもいいのだろうが、そもそもが、この二つは、
「切っても切り離せられるものではない」
 といえるのではないだろうか。
 それを考えると、
「もし、自分が、その時両親から生まれていないと考えた時、自分は、どうなっているのだろうか?」
 という発想は、
「SF的発想である」
 といってもいいのではないだろうか?
 遺伝というものから考えると、
「自分という人間は、両親からしか生まれない」
 といえるだろう。
 しかし、これを、
「宗教的な発想」
 というものから考えると、
「人間は、親から生まれる」
 というよりも、
「前世からの生まれ変わり」
 という発想の方が強い。
 いわゆる、
「輪廻転生」
 という考え方である。
 つまり、
「前世による行い」
 というものから、後世における生まれ変わりが決まってくるというわけで、あくまでも、
「今生きているのは、前世の因縁だ」
 といってもいいだろう。
 そうなると、どこか矛盾を感じるのである。
 というのは、
「だとすると、あの世という世界は、何のためにあるのか?」
 ということである。
 そもそも、
「人間が死んで、あの世というところにいけば、それが、後世ということになるのではないだろうか?」
 ということだ。
 もっといえば、
「前世であったり、後世」
 などという言葉は、あくまでも、
「この世が中心である」
 ということだ。
 だとすれば、
「あの世という存在は、ただの、待機場所」
 すなわち、
「待合室」
 のようなものではないか?
 ということだ。
 そう考えると、
「すべてにおける考えは、この世が中心」
 ということになる。
 だから、あの世というのは、
「生まれ変わるための準備期間」
作品名:悪党の因果応報 作家名:森本晃次