悪党の因果応報
「家」
という世界であり、その範囲だけを守っていけばいいというわけで、その代わり、その範囲内に関しては、何があろうと守り抜くという精神がなければ、生き抜いていけないと考えられていたのだった。
「それが、正しいのか、間違っているのか?」
というのは分からないが、少なくとも、その時代の、
「最優先すべきものが存在している時代」
ということであり、長年、
「正しい」
ということで受け継がれてきたことだったのだ。
今の時代のように、
「個人の自由」
といわれる時代であれば、
「家の制度」
などというのは信じられないだろう。
しかし、
「人間は一人では生きていけない」
という考え方があり、子々孫々に伝えていくというものが存在することで、その時代の階級なるものが存在しているといえるだろう。
実際に、
「父親の時代と、今の自分の時代。さらに、次世代の時代」
というのは、それぞれに、まったく違ったビジョンがあり、考え方があるといってもいい。
昭和の時代には、
「戦前戦後」
という、
「まったく違った時代が存在するわけで、よく、時代を混乱の中から切り抜けてこれたものだ」
ということになるだろう。
昭和の時代において、
「自殺が多かった時代の動機」
ということで、一番多かったのは、やはり、
「不景気による、会社倒産」
であったり、
「失業してしまった」
ということからの自殺が多かっただろう。
「失業したくらいで、次の職を見つければいい」
ということであろうが、
「あの時代というのは、零細企業が多かった」
ということで、
「一つの会社が倒産すれば、連鎖倒産ということで、関係会社が、軒並み潰れていったものだ」
ということから、
「就職先がまったくない」
ということで、
「自殺者の自殺理由」
としては、十分だといってもいいだろう。
ただ、
「父親の自殺」
というのは、それだけで済まなかったのだ。
というのは、
「父親が借金がかさんでしまっていた」
というのは、間違っていない事実であったが、その借金のために、
「悪いやつの仲間」
ということになり、
「詐欺を働いていた」
ということであった。
それだけではない。
悪党同士、そう長くうまくいくわけはない」
ということで、詐欺が成功している時はよかったが、そこに、警察が介入してくるということで、
「主犯の男が、急にビビりだした」
ということであった。
そもそも、気がそんなに強くないくせに、自分が首領格になったということで、次第に勢力が下火になってくると。
「このままでは危ない」
と考えるようになり、
「ネガティブな発想は命取り」
ということになり、
「次第に気弱になり、解散をほのめかす」
ということになる。
しかも、
「警察に捕まる前に、自首する」
などと言いだしたとすれば、それまで作ったコネクションが許すわけはない。
「お前が言いだしたから、俺たちは乗ったんだ」
ということになる。
しかも、その乗った方も、
「何かの組織ぐるみ」
ということであれば、
「自首などされたら、困るではないか」
ということで、
「意地でも、自首などさせるものか」
ということを考えると、
「何らかの手を取る必要がある」
ということになる。
そこで考えられることとして、
「主犯の男に、すべての罪を擦り付けて、そろそろ、詐欺から身を引くか?」
という考えであったり、
「自分がその詐欺手法を引き継ぐ」
という考えであったりである、
しかし、どちらにしても、
「主犯の男には、生きてもらっているわけにはいかない」
ということだ。
一度、責任を取る形で
「死をもって、一度、幕を下ろしてもらわないと、リセットできない」
ということになる。
卓也の父親は、首領格というわけではなく、
「責任を取らなければいけない」
という立場ではなかったが、
「自殺をする」
ということになった。
首領格は、明らかに、
「自殺という形で殺された」
ということであるが、父親の場合は、そうではないだろう。
せっかく、首領の死ということで、きれいに幕が下りたのに、ここで、父が死ぬというのは、計算外のことで、首謀者たちは、さぞや驚いたことだといってもいいだろう。
実際に、自殺をされてしまうと、警察は、
「せっかく、首領は自殺だということで肩をつけてくれたのに、余計な自殺があったということで、事件をほじくり返す」
ということになると、せっかくの計画が水の泡になってしまうということになるのであった。
だから、
「首領格の自殺に関しては、疑惑がある」
ということなのかも知れないが、
「父親の自殺」
ということに関しては、
「自殺ということで疑う余地はない」
といってもいいだろう。
それは、当時の警察も考えていたのだが、もっとも、
「首領格の自殺というのが怪しい」
と考えたのは、
「父の自殺」
ということがあったからだったが、だからといって、
「首領格の自殺」
というものは、あくまでも、
「疑惑」
ということでしかなく、
「限りなくクレーなシロ」
といってもよかったが、
「日本の司法」
というものは、
「疑わしきは罰せず」
ということになるので、結局、
「曖昧なまま、自殺」
という結論となったのだ。
結局、事実は闇に葬られ、そもそも、
「首領格を殺害するだけの動機のある人物であったり、組織」
というものの存在が認められなかったのだ。
その時点で、
「事件は進展するはずもない」
ということになるのだろう。
ただ、父親は、影で恐ろしいことをしていた。そのことは後で知ることになるのだが、
「そんなことをしていたなんて」
と、少なからずのショックを受け、それが、
「卓也の自殺の遠因」
ということになったと言えなくもないだろう。
これを、卓也は、
「父親の因縁」
と思っていたが、実際には、
「父親の因縁」
というよりも、
「過去の因縁」
と考えていた。
それは、
「過去の因縁」
というものが、
「父親による因縁」
というだけのものではないと考えていたからであった。
父親というのが、
「俺に因縁をもたらしている」
ということは、卓也が、高校生の頃から感じていた。
父親が自殺をしたのは、卓也が、
「高校生の頃だった」
卓也というのは、父親が、年を取ってからの子供ということだったので、年齢的には、かなり離れていた。
へたをすれば、
「おじいさんと孫ですか?」
といわれたことがあったくらいで、その都度苦笑いをしていた。
だから、父親が自殺をしたのは、
「卓也が、17歳の時」
ということであり、父親はその時、
「50歳を超えていた」
ということであった、
母親は、まだ若く、
「卓也は25歳の時の子供」
ということで、
「父親とは、10歳以上の年の差だった」
といってもいい。
もっとも、それくらいの年の差夫婦というのは、別に珍しいわけではない。
ただ、奥さん、つまり、卓也の母親というのは、実にキレイで、結婚する前の、
「30代前半くらい」
までは、



