小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

笑みの中の恐怖

INDEX|4ページ/16ページ|

次のページ前のページ
 

「過去、現在、未来」
 という時系列の中の、
「現在」
 というものに、プラスアルファとして、何かが存在してくるということを感じさせるのだ。
 つまりは、
「現在+プラスアルファ=現実」
 といってもいいだろう。
 この発想は、自分の中で、
「ずっと前から考えていたことだ」
 と思っていたが、実際には、それだけではなかった。
「時系列というものと、プラスアルファの存在」
 というものが、
「自分の中のトラウマに引っかかっているのでは?」
 と考えるようになった。
 というのは、
「自分が警察を辞めよう」
 と考えたきっかけになったトラウマというのが、
「この時に形成されたものだ」
 ということを感じたからであった。
 もちろん、
「一種の錯覚」
 といっていいだろう。
 実際に、自分で発見したわけではない死体であるが、
「ほぼ同時に発見した」
 ということで、
「捜査に参加できない」
 ということは、
「警官なのだから当然」
 ということであるが、
 実は、この事件の経緯として、
「事件としては、ここで終わり」
 ということではなかったのだ。
 実は、
「連続殺人」
 ということになり、
「これが連続殺人という確証がある」
 というわけではないが、
「ほぼ間違いない」
 として、捜査本部で捜査されたのだが、その事実というのは、
「渡辺巡査が、一緒に第一発見者となった」
 というその
「ジョギング青年」
 が、しばらくしてから殺害されたということがあったからだ。
「もし、発見が自分の方が早かったら、彼は死なずにすんだのに」
 と感じたからだ。
 そう考えたのは、
「死体を最初に発見した人でなければ分からないことに、彼は気づいて、そこで何らかのアクションを起こしたことから殺されたのではないか?」
 と考えたからだ。
 それが、
「発見者が彼だったから気づいたこと」
 なのかも知れない。
 もし、そうであれば、
「第一発見者が違っていれば、彼は死ぬことはなかったものの」
 という思いに至る。
 そうなると、
「俺が殺したことになるのでは?」
 と、根拠はないが、渡辺巡査は、そう思ったのだ。
 そもそも、
「自分は警察官として、ふさわしくない」
 という、漠然とした思いがあったことで、この時の事件による錯覚というものとが、
「歪な交錯」
 というものを見せたことで、
「警察を辞める」
 ということのきっかけになったのだろう。
 もちろん、
「そんなことを、他の警察官にいえるはずもない」
 誰もが、
「そんなバカバカしいと言われるに違いない」
 と思い込んでいたのだ。
 しかし、
「トラウマ」
 というのは、
「生きていれば、誰にでも、一つや二つはあるもので、それが、その人の中で、
「歪に絡む」
 ということになれば、
「そこから逃げ出す」
 という、
「逃走本能」
 というものに、火をつけるということになるのかも知れない。
 それを考えると、
「警察の仕事が嫌だ」
 というわけではないが、
「闘争本能」
 というものが、
「闘争本能」
 に火をつけてしまった気がしたことで
「警察を辞める」
 という結論になった。
 しかし、いくら、
「職がない」
 ということであっても、
「山岳警備隊」
 という、警察組織に限りなく近いと言われる民間組織を選ぶというのは、自分でも、
「常軌を逸している」
 と思えないでもなかったのだ。
 さらに、その時感じたトラウマは、
「自分が発見できていれば、彼が殺されなかっただろう」
 というだけではなく、
「事件の核心を掴むことができたかも知れない」
 ということであった。
 要するに、
「本当の第一発見者でなければ見えないものが、この事件の背後には潜んでいた」
 と考えたわけで、
「トラウマというのは、自分に都合よく感じさせる何かを持っている」
 というもので、
「それがうまく絡まなければ、自分の中で、後遺症として残ってしまう」
 という、
「厄介なものだ」
 といえるのではないだろうか?
 そして、そこには、
「真実は小説よりも奇なり」
 というものが潜んでいるような気がして、
「それが、第一発見者でなければ分からない」
 という謎があるに違いない。
 そういえば、今まで伝え聞いた事件について、
「第一発見者に、最初に聞いた話が、結局は、事件の核心をついていた」
 ということが多かったような気がする。
「警官というのは、事件に深く入り込むということはできないが、事件に数多く接することになる」
 という職なのかも知れない。
 それこそ、
「広く浅くかかわる」
 ということで、それだけ、
「数多くの事例を知ることができ、本来であれば、捜査にとって、一番大切なことなのかも知れない」
 ということであるにも関わらず、
「事件に対して、どこまでうまくかかわることができるのか?」
 といえるのではないだろうか?
 そんなことを考えてみると、
「今回の事件では、自分がトラウマと感じてしまったことが悪いのかも知れない」
 とも感じた。
「トラウマだと思わなければ、見えていることを整理することができ、
「事件解決に尽力できたかも知れない」
 といえる。
 しかし、これは、
「警察組織の闇」
 ということで、
「そもそも、警官には、捜査権はない」
 ということで、もし、捜査会議で進言することができたとしても、それはあくまでも、
「第一発見者としての立場」
 ということで、
「事件というものを、客観的にでも見てはいけない」
 と言われているのと同じであった。
 へたに何か言おうものなら、
「ここから先は、出る幕ではない」
 と言われ、
「せっかく、捜査に協力しようと思っても、邪魔者扱いされるだけ」
 と思えば、結局は、
「やるせない気持ちにさせられるだけ」
 ということで、
「これが警察という組織」
 ということで、
「それこそ、組織に対しての恨み」
 のようなものが出てきても無理はないだろう。
 つまりは、
「警察組織というものに対しての、殺意」
 といってもいい。
「警察組織」
 というものが人間ではないのだから、逆にいえば、
「殺意を持ったとしても、そこに、何ら犯罪性はない」
 ということで、
「ストレスをためる」
 ということを思えば、
「警察組織というものを恨むことで、ストレス解消ができるのであれば、いくらでも、恨めばいい」
 といってもいいだろう。
「これは、民間企業においても同じことで、ただ、その、ハラスメントの度合いが、どれほど違うか?」
 ということである。
 民間企業であれば、
「個人間の間」
 ということが強く、警察などの場合は、
「組織ぐるみ」
 ということである。
 民間の場合には、個人間なので、
「恨みは個人間」
 となり、殺意が芽生えれば、そのまま直接、
「殺人事件」
 ということに結びつき、結局、
「どうすることもできない」
 という思いが、大きな事件に発達するのであろう。
 しかし、これが組織ぐるみということであれば、
「誰にその責任を負わせるか?」
 ということになり、個人でそれを設定することは無理である。
 しかし、これが組織という単位であれば、
作品名:笑みの中の恐怖 作家名:森本晃次