笑みの中の恐怖
「捜査に対する発言権」
というものもあるというものだ。
一介の刑事であれば、捜査方針に口をはさむことは許されない。
しかし、警部補になれば、捜査に口を出せる一番の下っ端とはいえ、
「本部と現場の橋渡しにはなれる」
というものだ。
それだけ、大きなジレンマを背負うということになるが、ある意味、
「それだけ現場の刑事として、現場のことは分かっている」
という自負があった。
それを考えると、
「これから、警部への昇進というのも、警部補をその足掛かりとして見ていくことができれば、それでいい」
ということで、
「現場も、捜査方針を決めることのできる場所も、両方に携われるこのポジションを、まるで、天職のように感じていた」
といってもいいだろう。
桜井警部補は、その感情を持っているからなのか、実は、
「今回の事件で、第一発見者である、渡辺元巡査が、キーポイントではないか?」
ということを感じていた。
しかし、まったく根拠のないもので、それこそ、
「昭和の刑事の典型」
といってもいい、
「刑事の勘」
というものが感じるということで、
「どうせ皆からバカにされるだけだ」
と思うと、さすがに、
「他の人に強要できるわけはなく、黙っているしかないだろうな」
と思い、自分の中にため込んでいるだけだった。
真相への第一歩
ただ、いくら、
「刑事の勘」
といっても、事件が、想像通り、渡辺元巡査がかかわっているということが分かってくると、その自分の、
「勘」
というものを公表しないわけにはいかないと思っていた。
ただそのためには、
「根拠というものがなくても、どうしてそう感じたのか?」
という、直観に結びついたものを、
「納得できる形で口にできるだけの、何かがないといけない」
と考えていた。
「だから、今回の事件において、渡辺元巡査に誰かをつけたい」
と感じていたのだ。
桜井警部補の気持ちを一番分かっているのが、今、
「生活安全課」
で、主任をしている、
「同期の桜」
である、
「山岸主任」
であった。
彼は、一人、今回の刑事課の事件である、
「今回の桜井警部補が抱えている事件を手伝う」
という名目で、
「秋元刑事」
を、ひそかに派遣していた。
秋元刑事は、以前にも、刑事課に協力し、桜井警部補の、右腕として、事件解決に尽力した経験を持っていた。
秋元刑事は、その時からの、
「昵懇」
であり、一度桜井警部補が、秋元刑事を、
「刑事課に」
ということで推薦したことがあったが、
「山岸主因の下で」
ということで、彼は、丁重にお断りをしたのであった。
それを聞いた桜井警部補は、
「今時珍しい」
といって感動したというが、まさに、
「昭和の刑事魂」
とでもいうべきか。
昭和の時代というと、どうしても、嫌われるという傾向にあるが、だからといって、
「すべてが、デメリット」
というわけではなく、
「決して忘れてはいけないもの」
というものがあるはずだ。
それを、思い出させてくれる秋元刑事は、
「生活安全課」
においての、
「桜井警部補の腹心」
という噂もあった。
それに関しては、
「山岸主任は、煙たく思っているわけではない」
むしろ、
「そう、秋元刑事が呼ばれることは光栄なことであり、まるで。自分が褒められているような気分になって、そう、新鮮で、くすぐったい気分にさせてくれるんだ」
というのであった。
「桜井警部補が、昭和の熱血刑事」
ということであれば、
「山岸主任は、同じ昭和でも、そんな熱血刑事を後ろから優しく支える、まるで、校長先生のような存在」
と言われていた。
もっとも、そんな昭和のドラマを知っている人も少ないだろうが、桜井警部補が、上司から、
「絶大な信頼を受けている」
というのは、
「自分たちも昭和の熱血だったんだ」
ということを、警部以上の役職の人に思わせることで、新鮮な気分にさせられることで、
「捜査がやりやすい」
ということだからである。
そして、桜井警部補の、
「最大の特徴」
というのは、
「刑事の勘」
と呼ばれるものの精度がハンパではなく、事件が解決してみると、
「あの勘を信じてよかった」
ということになるのだ。
さすがに、上司も、
「今回ばかりは、あてが外れたのではないか?」
と、なかなか、刑事の勘が実を結ばない時であっても、最後には、ちゃんと辻褄が合っているということで、
「突拍子もない話」
とは言っても、
「一概には無視はできない」
ということになるのであった。
だが、それも、
「桜井警部補の中で、したたかな計算がある」
ということが、その効果を決定的なものにするのであった。
というのは、
「彼は、よほどの裏付けがなければ、その勘を自分からは言わない」
ということであった。
桜井警部補というのは、分かりやすい性格なのだが、
「何かに気づいた」
ということは、見ていれば分かる。
だが、それを決して自分から言わないということであれば、それは、
「刑事の勘」
というものだと、まわりにも察することができる。
そう考えると、後は、
「捜査の段階において、彼の勘を裏付けるものが、見つかる」
というのを待つしかないということであった。
しかし、
「それが真実であるとすれば、必ず実証される」
といってもいいだろう。
それを考えることで、まわりの刑事も、
「桜井警部補を見守る」
という体制に入ってくるのであった。
そして、裏が取れた時、
「事件の謎」
というのは、どこにもなくなり、犯人が逮捕された後が、
「明らかに、有利に進展する」
ということであった。
本来であれば、
「逮捕状を請求できるだけの、物証と、理論があれば、逮捕を行い、取り調べで、やっと、本当の意味での真実を追求できる」
ということだ。
実際に、事件が解決できていなくても、取り調べにおいて、
「起訴できるに十分な証拠がそろっている」
ということであれば、後は、
「検察から起訴される」
ということで、
「裁判にかけられ、そこで本当の真実が解明され、最終的には、犯人の刑が確定する」
ということになるのであった。
そういう意味では、
「一つの事件において、警察ができること」
というのは、
「真実解明というものに対しての、一部だけだ」
ということになるのだ。
被告人には、
「弁護士」
というものが付き、しかも、その弁護士というのは、
「被告人の、権利と財産を守る」
ということが最優先である。
へたをすれば、
「被告が、全面的に悪い」
と分かっていても、法律で可能な限り、
「被告を無罪にもっていく」
というのが、仕事なのである。
つまりは、
「クロをシロと言わせる」
というのが、
「弁護士だ」
といってもいいだろう。
それを考えると、
「真実と言われるものが、正義であるとは限らない」
ともいえる。
実際に、この考え方が、ある意味、
「この事件の核心にあるものだ」
と言ってもいいわけで、この時点では、



