三すくみの正体
「疑似恋愛とはいえ、尽くしてくれているつかさのほかに、彼女を作って、そこにどんな意味があるというのか?」
と考えた。
さらに、この思い出こそ、
「デジャブ」
のようなものであり、
「それこそ、前世か、ご先祖様の記憶ではないか?」
と言われれば、
「それに違いない」
と考えるのではないだろうか?
それが、自分の中で不思議な気がするのだが、それを分からせてくれたのが、夢だったのだ。
「夢というのは、自分の中にある潜在意識が見せるもの」
ということで、基本的には、
「過去に感じたことを見るものだ」
と思っていた。
しかし、その時の夢は、かなりリアルな夢であるにも関わらず、
「明らかに未来の夢だった」
といっていいだろう。
なぜなら、自分が結婚していて、子供も大きくなっている。いわゆる、
「第二の人生を歩んでいる」
という感覚を強く持っているといってもいいだろう。
「未来の夢を見る」
ということであれば、それは、
「予知夢」
というものではないだろうか?
これが、近い将来であれば、
「正夢」
といってもいいものであり、普通に考えれば、
「それは、結果論でしかない」
としか言えないものだと考えていた。
「結果論ではなく、しかも、数十年も先の未来を夢で見た」
というのは、
「自分の遠い未来」
ということよりも、
「前世の記憶」
であったり、
「ご先祖様からの遺伝で受け継がれた記憶」
ということを考えると、
「そちらの方が、自分にとって、説得力がある」
ということであった。
しかも、その記憶というのが、
「愛情というものを探している」
という意識であった。
実際には、セックスというものに対して、それほど執着しなくなっている自分がいた。だが、興奮しないわけでもないし、身体が反応しないわけでもない。それなのに、
「セックスというものをタンパクに見ている」
という自分がいるのであった。
「好き嫌い」
という感覚は、すでになく、奥さんとの間柄は、
「ただそばにいて安心する」
というだけである。
これは、
「つかさとの関係」
とも少し違う。
「もし、つかさと、セックス抜きであっても、付き合っていける気がする」
と思っていたが、そこには、
「癒し」
であったり、
「安心感」
というものがあるからだと感じていた。
しかし、夢の中で感じた、
「将来の奥さん」
というものが、何十年も寄り添ってきて感じる、
「安心感」
というものとは違うのだ。
それこそ、
「数十年という長きにわたる感情は、その月日に勝るものはない」
ということになるのだろうが、同じ、
「安心感」
であっても、そこに違う種類というものを感じたことで、
「最初から違うものだ」
と思うのだった。
つまり、
「つかさとは、これから数十年一緒にいたとしても、同じ感覚になることはない」
という思いであった。
「交わることのない平行線だ」
と感じると、一つの答えが見つかった気がした。
それが、
「安心感というのは、相手によって、さまざまであり、人の数だけ、安心感が存在するといってもいいのではないだろうか?」
ということであった。
だから、
「デジャブ」
というものも、人の数だけ、
「いや、無限にあってもいいのではないか?」
ということであり、その微妙に違っている感覚を、
「デジャブ」
という言葉で、
「十把一絡げ」
ということにしてしまおうとするのだから、
「そもそもに無理がある」
と考えられるのであった。
大団円
そんな沢村であったが、
「痴漢冤罪」
という形で、騙されたことで、脅迫者のいいなりになることになった。
「明らかに、俺を使って、何かをさせよう」
ということになるのだろうが、こっちとしても、
「自分にとって、何が最悪か?」
ということを考えれば、
「相手がさせようとしていることが、自分にとって最悪であれば、警察に駆け込めばいい」
という思いを感じていた。
それが、開き直りというもので、
「おそらく、あいつらは、こっちの開き直りなど計算には入れていないんだろうな」
と思ったのだ。
「美人局」
というものが、前述のように、
「金があって、守るべきものがある」
ということであれば、
「何も脅迫者に屈することなどなく、その金で、人を雇って、やつらを懲らしめてもらえれば、それでいい」
ということになるだろう。
確かに、
「犯罪行為なのかも知れない」
ということであるが、相手から、
「死ぬまで脅迫され続ける」
ということを考えれば、
「金で解決するというのはこういうことだ」
ということで、これも一種の
「開き直り」
といってもいい。
開き直りができると、冷静沈着になれるというもので、
「こんな簡単なことが分からなかったんだ」
と思うことだろう。
それこそ、パニクっていた自分の、パニクるまでの記憶がよみがえるというもので、
「これは以前に思っていたこと」
という、一種の、
「デジャブ」
ということになるのかも知れない。
つまり、
「デジャブ」
というのは、
「自分がその間、まったく違う世界に入り込んでしまっていて、そのことを意識できていない」
ということから起こることではないか?
と考える。
つまりは、
「デジャブという現象は、開き直りと同意語であったり、切っても切り離せない関係だ」
といってもいいのではないだろうか?
と考えるのであった。
脅迫者に言われたことは、
「人を殺すふりをしてくれ」
という、ある意味、
「そこまで厳しい要求ではなかった」
何やら、気持ち悪いといってもいい。
それだけに、沢村は余計なことを考えたのだ。
「このまま、黙って従っていれば、お前に危害が加わることはないが、もし、何かで警察に話すなどということがあると、お前はその瞬間、殺人犯ということになる」
という、意味深なことを言っていた。
沢村は、脅迫者のいう通りにして、
「ひき逃げ」
ということで、人を殺すふりをしようと考えた。
寸でのところで、かすりもしないということになれば、
「当たっていないのだから、被害者が名乗り出たとして、捕まったとしても、お互いに知らない相手だ」
ということになれば、
「障害未遂」
ということにはならない。
へたをすれば、
「スピード違反」
あるいは、何らの、
「道路交通法違反に引っかかる」
という程度のことだろう。
それを思えば、
「ひき逃げに見せかける」
というのは、最良なのかも知れない。
ただ、実際にやってみると、予期せぬ出来事ということが起こってしまった。
というのは、
「よけた瞬間、近くにいた人を撥ねてしまった」
ということだ。
「そのまま、警察に自首すればよかったのだが、そもそもの計画があったことから、パニックになってしまい、本当のひき逃げをしてしまった」
というのだ。
その人は死ななかったが、病院に運ばれ、
「意識は戻ったが、記憶は失った」
ということであった。



