腐食の後悔
「恐竜を滅亡させる」
という、
「氷河期がやってきた」
ということになるのではないだろうか?
人類は、
「氷河期」
というところまで発見することはできたが、それ以前の、
「地球温暖化」
というものを知らないことから、
「地球の運命が、何度目かの氷河期に向かって突き進んでいる」
ということに気づかないだけなのかも知れない。
あくまでも、
「作者独自の発想」
ということであるが、自分で言っておいて何だが、
「説得力としてはある気がする」
というのは、おごりといってもいいかも知れない。
話が少し脱線し、壮大なところまで行ってしまったが、少なくとも、
「地球温暖化」
というのは事実であり、
「それが加速している」
ということも分かり切っている。
「本当に、人類が死滅してしまうまでに、時間がない」
というのは、事実に相違ないといってもいいだろう。
だからといって。政府が、口ではそういいながらも、
「結局、目の前のことしか考えていないのは、見え見えというものだ」
といえるだろう。
それもある意味当たり前ということで、
「人間には寿命というものがあり、どうせ、自分は人類滅亡までには死んでしまうのだから、それ以降、人類がどうなろうとも関係ない」
というのが本音であろう。
「まさか、政治家たるものが、そんな無責任なことはないだろう」
というかも知れないが、考えてみれば、
「人類ほど、情けない動物はいない」
といってもいい。
特に日本政府の、
「お花畑的発想」
というのは、
「有事になればよくわかる」
というものだ。
それが、ここ数年前にあった、
「世界的なパンデミック」
というものが証明しているというもので、
「パンデミック」
というものが、
「伝染病」
ということであるが、世界的に流行り、
「第二次世界大戦以降、最大の危機」
と言われるほどであった。
つまり、
「約80年以上も隔てた」
といってもいいだろう。
伝染
実際に、
「世界各国で猛威を振るい、死者の数はかなりのものだった」
ということである。
いち早く、ほとんどの国が、
「水際対策」
というものを取り、
「都市封鎖」
というものを行うことで、感染を最小限に納めていた。
しかし、日本の場合は、危機感のまったくない政府が、
「水際対策を怠った」
ということであまり感染が広がっていなかったのに、政策が遅かったことで、結局は、
「諸外国並み」
にひどい状況になったのだった。
そもそも、
「水際対策で、鎖国状態にすることで、国内での感染を最小限に防ぐ政策を取ればいいものを、元々のむず際対策を怠ったうえで、学校閉鎖を行った」
というのであるから、
まるで、
「ざるで水を汲もうとしている」
というのと同じようなものだったのだ。
「そんなことは子供でも分かる」
ということで、それだけ、
「国民には分からないだろう」
と、それこそ、
「国民を馬鹿にしている」
といってもいいだろう。
さすがに、
「平和ボケをした国民だったので、政府に対して、正面切って立ち向かう」
というようなことはなかった。
他の国であれば、
「暴動が起きていた」
ということであったり、
「クーデターやデモが、起こっては鎮圧され」
という状況になっていたとしても、無理もないことであろう。
それだけ、
「本来の対策を取らなければいけない」
という状況で、
「デマやクーデターに対応しないといけない」
ということで、
「人員が裂けない」
ということになると、
「国家として、どうすればいいのか?」
ということになるだろう。
それを考えると、
「このままでは、国家に殺されるかも知れない」
ということになる。
しかし、まず最初は、
「国民が直接殺される」
というような状態になったわけではなく、
「ターゲット」
となったのは、
「会社組織」
ということであった。
しかし、これは同じことで、
「会社を首になる」
あるいは、
「会社がなくなる」
ということは、
「生活をしていけない」
ということであり、再就職ということであっても、
「リストラをしないと、会社を存続させられない」
というのであれば、まだマシな方で、
「パンデミックによって、政府による休業要請」
ということが、そのまま、倒産に結びつくということで、
「ひとたまりもない」
ということになるだろう。
考えてみれば、
「休業要請に、法的拘束力はない」
といっても、他の人や会社が守っているのだから、
「休業すれば、ひとたまりもない」
ということで、要請を破り、営業したとしても、
「国家の要請を守らない会社」
ということで信用はがた落ちだ。
中には、少しくらい買ってくれる人もいるだろう。
なぜなら、
「どこもしまっている」
からである。
だから、
「開いてるから」
ということで買っても、ごく少数の人が、少しだけ買うわけである。
買いに来る人も、
「自分たちも収入が断たれていて、生活が苦しい」
ということなので、
「必要最低限のものだけを購入」
ということになり、人によっては、
「必要最小限のうちには入らない」
ということで、
「店を開けても、購入者がいない」
というところも少なくないだろう。
そうなると、最終的には、
「倒産の憂き目にあう」
ということで、
「それであれば、世間からにらまれないようにすればよかった」
ということになるかも知れない。
もし、
「パンデミックが収まった」
ということで、再起を期して、影響を初めても、
「あそこの会社は、かつて、国の要請に従わなかった」
ということから、
「不買運動」
などというのが起こったとすれば、
「まるで非国民」
ということから、再起を期したつもりが、結局、
「あの時、政府に逆らったことで、再起ができなかった」
ということもあるだろう。
しかし、だからといって、
「その人たちを、自業自得だ」
ということができるだろうか?
なんといっても、当時はやった。
「自粛警察」
というのは、結局は、
「自分たちに関係がない」
ということで、それこそ、
「他人事」
という遠いところから見ているからできたことなのかも知れない。
確かに、
「自粛警察」
というのは、当時はよくわかっていなかった。
「パンデミックの正体」
というものから考えて、
「とにかく、蔓延防止を最優先にしなければ」
ということで、自粛警察を、悪くいう人はそこまでいなかっただろう。
しかし、実際に、
「生き残るための究極の選択」
というものを、リアルに求められている人からすれば、
「たまったものではない」
といえるだろう。
ただ、政府の
「伝染病対策の完全なミス」
というものを、国民が知りぬぐいさせられるということで、その煽りを喰って、
「倒産の憂き目」
であったり、
「失業者として、街にあふれる」
ということを引き起こしたのは、
「政府」
なのである。
この状況を、
「誰が責任を取る」
というのか、



 

 
    