腐食の後悔
という考えを持ったり、逆に、
「自分を認めてくれるところを探して。自分を売り込む」
ということのどちらかになるだろう。
だが、今の時代は、よくも悪くも、
「自由競争時代」
ということになっている。
というのは、
「それは、昭和の時代の中の、有能なサラリーマンが望んだことが、実現したのだ」
ということであれば聞こえはいいが、実はそうではなく。
「バブル経済が崩壊したことで、それまでの、年功序列であったり、終身雇用というものがなくなった」
ということであり、
それまで、
「会社に保障された」
あるいは、
「会社に守られていた」
という体制が、望む望まないに関係なく、
「崩壊してしまった」
といってもいいだろう。
確かに、
「会社に保障されていた」
ということは、あっただろう。
会社というものが、
「いかに自分たちを守ってくれていたか?」
ということであった。
「優秀な社員」
でえあれば、
「引き抜きもあることだろうから、終身雇用や、年功除雪というのは、なくてもいい」
と思い、さらには、
「ない方が自由だ」
ということになるのだろうが、一般サラリーマンとすれば、保護してもらっていたものがなくなると、その頃から言われるようになった、
「リストラ」
というものの餌食になるということであろう。
それでも、バブル崩壊の時期。
「リストラのあらしが吹き荒れた」
ということで、会社や社会の体制が変わっていった。
そして、
「バブルが崩壊したのであれば、それに対しての体制というものが、自然と整ってくる」
ということで、もちろん、企業努力というものがあってのことであるが、次第に、その形が固まってくるというものである。
今で言われる、
「働き方改革」
などという、
「生易しい」
というものではない。
社会情勢が、まったく変わってしまったことで、余儀なくされる変革とは、またく違っているからである。
「働き方改革」
などという言葉は、今の令和の時代に、
「時の政府」
が言い出したもので、それは、あくまでも、
「国民や労働者のために言われていることではなく、あくまでも、政府のためにやっていることなのだ」
といえる。
「国家予算は火の車」
ということは分かっていて、政府は、いかに、
「国民から税を搾り取るか?」
ということしか考えていない。
口では、
「働き方改革」
などと恰好のいいことを言っているが、その裏にあるのは、
「政府のため」
ひいては、
「自分たちのため」
ということなのである。
特に、
「国民の休日」
などというものに対しての考え方も同じである。
「やたらと祝祭日を増やしたり」
つまりは、ゴールデンうーくだけではなく。秋には、シルバーウイークなどというものを作ろうとしたあり、
「ハッピーマンデー」
などということで、
「国民の祝日」
の中で、
「日付を移動させてもかまわない」
という日を、なるべく、月曜に入れることで、土曜日からの、
「三連休を作る」
ということである。
つまり、まとまった休みがあれば、
「どこか旅行に行こう」
ということで、観光地であったり、行楽地が人であふれ、そこで、お金を落とすことが、
「税の徴収になる」
ということである。
それだけ、政府というものは、
「露骨に、国民から金を搾り取ろうとしている」
といってもいいだろう。
江戸時代などには、
「士農工商」
と呼ばれる、
「身分制度」
というものがあり、その中で農民などは、
「生かさず殺さず」
などと言われ、
「みじめで、苦しい生活を余儀なくされたものだった」
ということである。
今の時代において、
「そこまでひどいことはない」
というかも知れないが、それはあくまでも、
「見た目」
ということだけであり、実際に、個々のレベルでいけば、
「まるで昔の農民のようだ」
という人は一定数いることになる。
それを考えると、
「今から、数百年後の歴史の教科書に、今の時代の状況を、どのように書かれるというのだろうか?」
と思えるのであった。
「そもそも、数百円後の未来」
というものが、存在しているのか?
ということである。
「かなりの確率で、存在していない」
といえるのではないだろうか?
少なくとも、
「このままの状態での未来は、まずありえない」
といえるのではないだろうか?
というのも、
「日本という国の存在が怪しい」
といえるのではないだろうか?
「現在は、同盟国」
と言いながら、実際には、属国、いや、
「属国よりももっとみじめな状況にある」
という某国から、
「完全な植民地」
にされているかも知れない。
あるいは、隣国である、
「現在においては、世界のベストスリーと言われる新興国から、占領され、完全に属国、、あるいは、併合されている」
ということになるかも知れない。
これは、まだ、
「国家が存続できていない」
というだけのことであり、
「生存」
という意味ではできている状況であるが、
「生存できていない可能性」
というのも、決して低くはないといってもいいだろう。
戦後まもなくの時代であれば、
「世界が滅びるとすれば、全面核戦争というものの可能性がかなり高いのではないだろうか?」
と言われていたが、
「最近では、それ以上の問題が大きい」
と言われている。
それは、
「地球環境の悪化」
ということに伴う、
「自然現象による、人類の滅亡」
というものである。
「地球温暖化」
いや、
「地球沸騰化」
というものによる、
「人類の滅亡」
という青写真である。
とはいえ、実はこの状況も、元々は人類が作り出したものということであろう。
「森林伐採」
であったり、
「大気圏内での数多くの、核実験」
ということで、そのほとんどは、
「人理が行ってきたこと」
ということでは、
「因果応報だ」
といってもいいかも知れない。
「地球上の生物が死滅する」
ということになると、それこそ、他の動植物は、
「人間の勝手な行動により、とばっちりを食った」
ということになるだろう。
そんなことを考えると、
「地球にこれまで、数回訪れた」
と言われる。
「氷河期」
というものは、
「本当に、自然現象だった」
といってもいいのだろうか?
ただ、今回の地球に襲い掛かってくるものは、かつての、
「氷河期」
というものではなく、
「温暖化」
というものである。
だが、ものは考えようということか、かつての氷河期というものも、実は、それ以前に、
「人類か、あるいは、それ以上の頭脳を持った生物が地球に存在していて、その人たちが、同じように、地球環境を破壊したことで、地球が温暖化し、それにより、彼らは死滅したが、生命力の強い、恐竜のような連中が生き残り、突然変異で巨大化した」
とは考えられないだろうか。
そして、そもそも、地球には、
「適温」
というものがあり、急激に、過去の人類によって、異常に暑くなった地球をもとに戻そうとする、
「自浄現象」
というものが働いて、そのプロセスとして。



 

 
    