小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

腐食の後悔

INDEX|14ページ/15ページ|

次のページ前のページ
 

 だから、受付を済ませ、待合室にいる時も、通路で出会わないように、部屋への案内に、時間差をつけたりしているのであるし、
「女の子が、身バレを防ぐ」
 という理由から、
「待合室にいる客をカメラやマジックミラーで確認する」
 ということであっても、カメラがその客しか見えないようにしたりするのだ。
 考えてみれば、女の子は、必ず。
「部屋で待っているか」
 それとも、
「カーテンの向こうにいるか」
 のどちらかである。
 決して、
「待合室に迎えには来てくれない」
 ということだ。
 しかし、店によっては、
「待合室に誰もいない」
 という時だけに限り、
「女の子が迎えに出る」
 ということがあるという。
 つまり、
「誰も他にいない」
 ということがミソなのであり、これこそが、
「女の子と他の客とを引き合わせないようにしている証拠」
 ということになるのだ。
 それこそが、
「店が客にも、女の子にも気を遣っている」
 という証拠であり、実際に、今の店舗型の風俗店では、
「常識になっている」
 ということであろう。
 風俗店の店内には、
「何かピリピリとした緊張感のようなものがある」
 というのを感じたことがあるが、それは、
「これから行われるプレイに対して、ドキドキ感という緊張感があるからではないだろうか?」
 と感じていたが、
「実際にはそれだけではない」
 ということで、
「店が皆に対して感じている気を遣っているということが、一種の緊張感として伝わってくることが、これも一種のプレイの一環である」
 と言わんばかりで、
「店舗型の方が好きだ」
 と思っている人は、そのあたりに、楽しみを見出しているのかも知れない。
 確かに、
「店舗型のように。待合室で待っている時間」
 であったり、
「カーテンを開けた時に、女の子が笑顔で迎えてくれる」
 というのが楽しみだという人も少なくないだろう。
 それこそが、
「風俗の醍醐味」
 というもので、
「派遣型」
 と呼ばれるような、
「デリヘル」
 というものの、
「どこがいいのか?」
 と考える人もいて、それはそれで面白い。
「デリヘルファンには、それなりの言い分があるというものだ」 
 ということである。
「自分の城に、女の子を呼ぶ」
 という感覚がいいのだろうか?
 それとも、
「風俗街に入り込む」
 ということを恥ずかしいと思っているからなのだろうか?
 ということを考えてみたが。
「だったら、そもそも、ラブホテル街にしけこむというのは、風俗街にしけこむのとどこが違うというのか?」
 と思うと、
「変わりはないのでは?」
 と思えてならないのだった。
「ラブホテルでのプレイが、店舗型よりも、素人遊びのようでいい」
 といっている人がいたが、それもピンとこない気がする。
 いろいろな発想があるが、
「どうしても、派遣型のデリヘル」
 というものを、好きにはなれないと考える人が多いと聞いていた。
 ラブホテルのようなところでは、
「店の勢力範囲ではない」
 ということで、どうしても、
「出会いがしらに、見つかってしまう」
 ということはあるだろう。
 ただ、店舗型の店であれば、
「ソープ」
 と
「ヘルス」
 ではその業態が違う。
「ヘルスの場合」
 というのは、どうしても部屋が狭いので、女の子の待機場所として、
「大部屋で顔を突き合わせる」
 ということになるだろう。
 しかし、ソープであれば、
「結構部屋も広く、指名が入っていない時間の待機には、その部屋での待機ということになり。
「一日中、その部屋を出ることはない」
 となる。
 だから、
「女の子同士が、まったく顔を合わさない」
 ということが当たり前のようになっていて、
「女の子でも、気を遣う」
 という人には、
「そのやり方が一番しっくりくる」
 と考えている人が多いことだろう。
 それを思えば、
「本当はそんなに気を遣うことはないのに、余計な気を遣わせる」
 ということは、
「昔からの、伝統」
 あるいは、
「因縁」
 のようなものなのかも知れない。

                 大団円

 事件が急転直下したのは、数日後、被害者の家に来ていた手紙からだった。
 その手紙は、被害者が亡くなってから、4日後に届けられたもので、すでに、警察が被害者の家を捜索した後のことだった。
 その内容は衝撃的なことで、へたをすれば、
「いや、本人がわざとしたことなのかも知れない」
 と思えたのだ。
 それがどういうことなのかというと、そもそもの、
「被害者の会社の不正献金疑惑」
 というものから考えなければいけない。
 この事件で被害者となった西郷という男は、
「不正献金」
 ということにおいても、被害者であった。
 ただ、それはあくまでも、
「今回の事件」
 ということでのことであり、そもそも、この会社には、以前から、
「うさん臭いウワサ」
 というものが、結構あったのだ。
 それも、吉岡専務の、
「悪だくみ」
 ということで、会社の中で、
「二重三重」
 にも、その裏をいうものを持っていた。
 つまり、
「西郷を影で操りながら、西郷にも、汚れ役を演じてもらう」
 そして、いざとなれば、西郷に押し付けて、いずれは、
「西郷の首を挿げ替えればそれでいい」
 とさえ考えていた。いわゆる、
「血も涙もない人間」
 ということだったのだ。
 そんな西郷は、最近になり、
「改心した」
 ということで、今まで、自分が吉岡の手足になりしてきたことを、悔い改める気持ちになっていたのであった。
 今までしてきた中で、他の社員に責任を押し付け、会社を辞めてもらうということで、会社を守ってきた。
 吉岡からは、
「優秀な私の右腕」
 と称され、さらに、
「影となっている私についてくれば、お前が疑われることはない」
 ということで、
「吉岡専務とは、一蓮托生だ」
 と思っていたのだ。
 実際に、
「血も涙もない」
 という自分の会社での生き方に。
「これが俺の人生だ」
 と感じていた。
 それを誇りのようにすら思ってきたのだったが、さすがに、最近になって、気持ちが次第に萎えてきた。
「精神が病んできた」
 といってもいいかも知れない。
 特に、最近は、忘れっぽくなり、さらには、
「躁鬱の気」
 というのが顕著に出てきた。
「精神内科」
 にも通ったが、
「会社を辞めるか、せめて休職するくらいのことはしないと、どんどん悪くなる」
 ということであった。
 これまで張り付えていた糸が、プツンと切れた音がしたような気がした。
 そこで、彼は
「今まで迷惑をかけてきた。つまりは、自分たちの都合で、陥れてきた人のことが気になって仕方が亡くなってきた」
 というのは、
「夢に見るようになった」
 ということであった。
 夢の中で出てきた男は、完全に断末魔の表情で、見たこともない家族が、恨みを込めてこちらを見ている。
 明らかに、復讐に燃えたその表情は、
「復讐したくてもできない」
 という感覚であった。
「死んでしまったのかも知れない」
 と思うと、そこで、恐怖が最高潮となり、夢から覚めるのであった。
作品名:腐食の後悔 作家名:森本晃次