腐食の後悔
「悪というのが、一種類ではなく、反対が何か?」
ということで、種類が複数あると考えると、
「見方を、平面から立体にしないといけない」
といえるだろう。
「そういう意味で、極端な時代というものをまたいでしまうことで、余計なものが見えてしまい、結局、見失ってしまうことになりかねない」
といえるのではないだろうか?
その見失ってしまうものが、
「時代の中で見えているものの、極端な部分ばかりを見せる」
ということになることで、
「一体、どう解釈すればいいのか?」
ということを、
「時系列で考える必要がある」
と言えるのではないだろうか?
実際に
「婚活パーティ」
というものは、
「男性は5000円くらいかかるが、女性は1,000円でいける」
という料金設定になっているのである。
これは、一見。
「不公平ではないか?」
ということになるが、理由を聞けば、
「なるほど」
という納得のいくものであった。
実際に、他の業界でも、これが当たり前の料金設定ということで、
「男性が相当に高い」
ということになっているのだ。
そもそも、
「こういう料金体系にしておかないと、これらの趣旨のイベントが開けない」
ということになるのだ。
そういう意味で、
「このような料金体系になっている」
というところの一つの例として、
「SMバー」
などというところがそうだったりする。
特に、
「SMバー」
というところでは、
「女性同伴であれば、さらに安くなる」
ということになっているのだ。
「SMバーというところはある意味分かりやすい」
というのは、
「SMには興味はあるのだが、なかなか敷居が高い」
と思っている女性が多いだろう。
「やってくる男性は、本当の変態だったらどうしよう」
という考えである。
しかし、SMというのは、本来、
「プロ」
というものであれば、安全だといえるだろう。
中途半端に、
「似非マニア」
だったりすると、
「ちゃんとした知識もなく、プロとしてのテクニックもないのに、SMということで、女性を拘束したり、虐めるということがSMだと思っている」
という人が多い。
それが、実際に事故につながったり、へたをすれば、
「殺人事件」
というものになるというものだ。
「首を絞める」
という行為もあるので、実際には、
「相手に苦痛を味合わせないようなもの」
というのが当然の行為だというのに、なまじ中途半端な知識から、
「首を絞めて、苦痛を味合わせることで、相手が喜ぶ」
と勝手に思い込んでいると、本当に相手が苦しくて、
「やめてほしい」
というサインを送っていることが分からずに、
「そのまま、絞殺してしまった」
ということになれば、
「ただのプレイで、不可抗力だ」
といっても、裁判でそんなことが通用するとはいえないだろう。
「同意のもと」
というのは、あくまでも、
「殺されるはずはない」
という思いからであったとすれば、
「事故」
ということになり、正当防衛のように、
「無罪になる」
ということではない。
殺意がなくても、
「本当に殺してしまえば、殺人罪であることに変わりはない」
ともいえるだろう。
そういう意味で、
「SMなどのプレイにおいては、よほど信頼できるパートナーでなければ、殺される可能性がある」
というリスクを考えないといけないだろう。
それを思えば。女性の
「SMバー」
というのは敷居が高い。
しかし、逆に、
「本来のパートナーを見つける」
ということであれば、
「そういうプロのお店に顔を出している男性と知り合う」
というのも、一つの手だといえるだろう。
しかし、どうしても、敷居が高い。そういうことで、値段を下げることで、女性も気安くしないと男女のバランスが取れないだろう。
男性としても、
「パートナーを探したい」
ということで、
「バーの中という雰囲気に、趣向であるSMの色がある場所であれば、いろいろ深い話ができる」
ということからのパートナー探しに来ている人からすれば、
「女性が来ない」
ということであれば、その人も来る理由がなくなってしまうだろう。
そうなると、
「SMバー」
ということでの営業がままならないということになるので、
「男女の比率」
というのは、大切なことである。
そういう意味で、
「婚活パーティ」
というのも同じである。
そもそも、パーティの一般的な流れとして、最初は、
「男女が、向かいあって、1対1で対面して、約3分をめどに、自己紹介をして、男性が横に移動していくということが、最初の時間ということになる」
だから、人数制限があるわけで、それと同時に、
「男女比が整わない」
ということになると、
「パーティ自体が中止」
ということになる。
つまり、
「せっかく借りた施設代であったり、軽食代が無駄になる」
ということであり、さらに、その時間の従業員の給料も賄えないということになり、
「穴が開く」
というのは、企業としては大きな損失だということになる。
しかも、
「中止になるのは途中」
ということであり、すでに、申し込んでいる人に対して、
「すみませんが、今回は、男女比がそろわないので、中止にさせていただきます」
ということになるのだ。
「一度くらいは、しょうがないか」
ということになるだろうが、それが、複数回になってくると、
「こんな会社信用できない」
ということで、今度は、男の申込者もいなくなるということになるだろう。
それを考えると、
「男女比のすり合わせがどれほど大切か」
ということになる。
そういう意味で、
「女性がたくさん参加してくれない限り、いつも男性ばかり」
ということになってしまうと、男性としても、
「競争率が高いだけ」
ということと、しかも、
「毎回同じ人が参加している」
ということで、いい加減、嫌気がさしてくるということになるだろう。
そうなってしまうと、会社だけの問題ではなくなり、
「婚活パーティ」
というものが、すたれてくるということになるだろう。
実際に、数年は、流行ったのであるが、あっという間にすたれてしまったようで、
「あれだけ、宣伝がいろいろなところにあったのに、いつの間にか、見なくなった」
というのは、
「実際に、婚活パーティ会社がなくなっていった」
ということになるだろう。
「一世を風靡した」
というほどまでではないが、
「時代の一ページ」
として存在したことは間違いないが、それも、今の時代では、
「スマホ」
というものが流行るようになり、今度は、
「マッチングアプリ」
などというものが流行ってきた。
昔を知っている人は、
「テレクラから出会い系サイトに流れた時代」
ということで、
「悪くなってきた」
というイメージがあることから、うさん臭さを感じるのだろうが、
「知らない人」
から見れば、
「アプリという、スマホとは切っても切り離せない言葉を使うことで、あたかもそれらしい」
ということで、新たなブームとなったのだろう。
「婚活パーティ」
というものが、



