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中途覚醒

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 ということで、飽きたものに対して、苦痛に感じられるようになると、
「生活リズムが完全に狂ってしまう」
 と感じるようになった。
 それが、こともあろうに、
「性生活に対して感じる」
 ということになったのだ。
 結婚してから、5年が経っていたが、妻とは、3年目くらいまでは、
「まだまだ新婚」
 という気分から、毎日の生活にしても、性生活にしても、
「この新婚気分がなくなることはないように思う」
 というくらいの、幸せを感じていたといってもいいだろう。
 しかし、一度我に返って、
「あれ?」
 と感じてしまうと、
「足元が、とたんに崩れてしまう衝動に駆られる」
 ということになると思うようになる。
 その理由がどこから来るのか分からなかったが、
「これが飽きというものか?」
 と思ってしまうと、もうそれ以外は考えられなくなってしまう。
「食べ物で飽きがくると、見るのも嫌になる」
 ということを感じていたので、
「嫁さんの身体が嫌になったわけではないが、性生活に致命的な状況になった」
 ということは感じていた。
 だからといって、
「女房が嫌いになった」
 というわけでは、決してない。
 むしろ、
「夫婦」
 ということでは、
「新婚時代とまったく変わっていない」
 という思いが強く、それ以上に
「女房に気を遣うなど今までになかったはずなのに」
 と感じながら、無意識のうちに気を遣っている自分に気づいたのであった。
 そう思えば、
「相手も気を遣っている」
 ということに気づいた。
 それは、
「今まですべてがうまくいっていたという時代にも、気を遣ってくれていたということに気づかなかっただけということなのか?」
 それとも、
「自分が変わってしまったことで、変わらなくてもいいはずの女房を変えてしまった」
 ということなのか、そのどちらかというのが気になってしまったということになるのであろう。
 その気持ちが、お互いに、
「離婚」
 ということに近づいてきたことを、気づいていなかったのだ。
「いつ気づいたのだろう?」
 ということは、正直分からなかったが、
「意外と、ほぼ同時期だったのではないか?」
 と感じるのであった。
 だが、夫としては、
「妻がどう感じていたのか分からなかったが、なるべく離婚の方向には考えたくない」
 と思っていたに違いない。
「性生活は今まで通りにはできないが、離婚はしたくない」
 という思いと、
「嫁は、俺の変化に気づいていない」
 ということから、
「まだごまかせる」
 と思っていた。
 実際には、
「時間の問題」
 といってもいいはずなのに、そのことを意識していないというのは、
「若さから」
 といってもいいだろう。
 性生活というものと、性生活を除いたところでの夫婦生活というものの、分岐点のようなものを、
「男と女では、感じ方が違っている」
 ということに気づいていないということであろう。
 とはいえ、それも、
「男は全部」
 あるいは、
「女は全部」
 ということではない。
 それぞれ、人間性によっても違うだろう。
 そんな、
「人間性の違う他人」
 が夫婦として、人生の途中から一緒に暮らすようになるのだから、
「離婚率が高い」
 というのも当たり前のことだろう。
 確かに、
「平成になって、離婚率が爆発的に増えた」
 といってもいい。
 しかし、昭和の頃も、
「平成以降の離婚問題」
 といえるものがなかったというわけではない。
 むしろ、
「我慢をしていた」
 ということであろう。
 特に、昭和の頃までは、
「家父長制度」
 であったり、
「男尊女卑」
 などということから、
「家を守って、受け継いでいく」
 という考え、さらに、
「大黒柱絶対主義」
 といってもいいような、
「家を守るのは夫であり、妻は、犠牲になっても仕方がない」
 というような考えが、
「男尊女卑」
 というものから、当たり前のようにあったのである。
 今の時代では考えられないことだ。
「男女平等」
 というのは当たり前ということで、昭和時代のようなことを口にしただけで、
「セクハラ」
「パワハラ」
 と言われ、世間から敵視されることになるだろう。
 だから、男女とも、
「同じ立場」
 というものからものを見るということで、
「片方がダメだ」
 と思えば、相手も、同じ高さから見ているということで、
「ダメだ」
 と同じように思うだろう。
 特に女性は、
「男女平等」
 というものが言われ始めると、余計に、
「男女は平等だ」
 と思うのだ。
 つまりは、逆にいえば、
「女は男よりも勝っている」
 という考えにはいきつかない。
 結局は、
「男に追いつく」
 ということだけで満足しているといってもいいだろう。
 もっとも、
「男性には負けたくない」
 と考える人もいる。
 それは、
「男性だから」
 ということではなく、
「相手が誰であれ負けたくない」
 という普通の競争心からくるものだといえるのではないか?
 それを、余計な意識を持つことで、
「男女平等に結び付けよう」
 などと考えると、
「出る杭は打たれる」
 ということで、その討たれた理由を、
「女性だから」
 と考えたとすれば、結局、その人は、
「男を超えることはできない」
 といえるのではないだろうか?
「男女平等」
 というものを、あまり意識しすぎると、
「本来の闘争心がその人の長所だ」
 ということであるものが、男女関係というものに固執することで、隠れてしまったことが、
「いずれは命取りになってしまう」
 と考えると、そこには、最終的な
「破局」
 であったり、
「破滅」
 というものが待ち受けているといってもいいのかも知れない。
 ただ、性生活の、
「逃げ道」
 ということであれば、男にはないわけではない。
 それが、
「風俗」
 というものだ。
 実際に、結婚前には、社会人になってからのすぐくらいは、ちょくちょく出かけていた。
 それは、
「彼女がいる」
 という時期でも変わりはなかった。
「風俗は別に浮気ではない」
 と思っていたからで、
「彼女が、もしそのことを知ればどう感じるのか?」
 ということを、あまり考えたことはなかったが、
「それでごちゃごちゃいうくらいの女だったら、こっちから願い下げだ」
 というくらいに思っていたのだった。
 風俗というところを、
「性処理のはけ口」
 とは思っていなかった。
「癒しをもらいにいく」
 という感覚が強かったというわけで、特に、
「店舗型の店」
 しかほとんど利用したことがない人間としては、
「待合室から、個室に向かうまでの、カーテンが、別世界の入り口に感じられ、ここを通る時の感覚が一番好きだ」
 と思っていた。
 だから、
「待合室で待たされる」
 というのも嫌いではなかった。
「30分くらい待たされる」
 ということも珍しくもない。
 誰もが黙って、まわりに気を遣っているのかいないのか、その人それぞれの気持ちは分からないが、
「俺はどう感じているだろう?」
 ということを考えてみるが、結局は、
「その時々で違う」
 と感じるのであった。
作品名:中途覚醒 作家名:森本晃次