小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

中途覚醒

INDEX|10ページ/15ページ|

次のページ前のページ
 

「待合室にはモニターがあり、テレビがついている」
 というところが多く、ただ今は、皆スマホを持っているので、テレビを見ている人は、そんなにいない気がする。
 しかし、
「俺はテレビを見たいんだ」
 と思っていた。
 スマホを見たりするのであれば、
「どこででもできるではないか?」
 と感じるのである。
 これから、別世界に突入しようというのに、普段と同じ世界を待合室で過ごすというのは、気持ちを盛り上げるという意味で、無駄な気がした。
 それなら、
「ミニターに映っているテレビを見ていると、時間の経過」
 というものをハッキリと感じることができ、
「気分の盛り上がり」
 というものが、
「気持ちの準備」
 ということになり、
「カーテンを開ける瞬間を最高潮に持っていける」
 ということからであった。
 盛り上がった気持ちで、女の子に対面する」
 というのと、
「今までの世界から、いきなりカーテンを開けることで気持ちを盛り上げる」
 ということであれば、そのどちらも、
「甲乙つけがたい」
 というくらいの気持ちの盛り上がりなのかも知れない。
 しかし、肝心なこととして、
「時間が決まっている」
 ということだ。
 カーテンを開けて、お部屋に入ってからの時間が決まっているのだから、
「最初から、気分が盛り上がっていないと、せっかくの時間がもったいない」
 ということになれば、
「最初から最高潮にしておく」
 ということが必須だと思うのだ。
 しかも、
「カーテンを開けて対面した瞬間が、癒しの最高潮だ」
 と思っていることから、余計に、そう感じる。
 だから、
「プレイタイムが時間で決まっている」
 ということを、情けないとは思わないのだ。
 逆に、
「この決まった時間すら、プレイの一環」
 ということで、
「癒しというものを、自分でいかに求めるか?」
 ということが大切なのだと感じるかということであった。
 だから、中には、
「離婚はしても、風俗は辞められない」
 という人もいるのではないかと思えるのであった。
 彼も。実はその一人だった。
 最初は、
「飽きがきてしまった」
 ということで、
「結婚生活への限界」
 というものを感じた。
 だから、
「離婚もやむなし」
 と思ったのだが、どうしても、
「離婚に踏み切れない自分がいる」
 と思っていた。
 そこには、
「嫁さんからもらえる癒し」
 というものがあり、それは、風俗とは明らかに違うものだった。
 だから、
「俺は、嫁さんのために犠牲になってもいい」
 と開き直ったのだが、開き直ると、今度は、嫁さんの方が、
「すでに離婚を決めていた」
 ということであった。
 つまりは、
「俺が嫁さんに飽きるよりも前から、嫁さんはこちらに気づかれないように、ひそかに離婚を考えていた」
 ということになるだろう。
 そして。
「オンナというのは、旦那との会話がなくなってしまった時点で、ある程度開き直った状態であり、そこまで来ていれば、離婚を言い出すのは、時間の問題」
 といってもいいだろう。
 しかし、男は、
「まだまだ、説得はできる」
 と思っているという、
「お花畑的な考え」
 に至っているといってもいいだろう。
 もちろん、そこまでくれば、自分が、
「離婚問題の真っただ中にいる」
 ということを思い知らされたも同然であった。
 しかし、そう思えば今度は、どこか、
「他人事」
 という感覚になるというもので、
「本当に離婚というのが目の前にあるのに、ピンとこない」
 という感覚になるのであった。
「これだったら、まだ成田離婚の方が、自分としては、現実味を帯びるのかも知れない」
 と思えた。
 成田離婚というと、
「結婚して初めて相手のことが分かり、結婚するのではなかったと二人ともが感じたことで、離婚を決める」
 ということから、
「結婚するまで分からなかったというのが情けない」
 と感じさせられていたが、実際はそうではない。
「本来であれば、誰もが持っている不安が、どの時点で訪れるか」
 ということで、
「結婚すぐであれば、まだまだ傷は浅い」
 ということで、
「すぐやり直すことができる」
 と考えると、
「我慢して耐えたとすれば、傷口が広がっているだけということで、却って引っ張った方が悪い」
 といえるのではないだろうか。
「ただ、それは、昭和の頃の家」
 というものからの、
「我慢」
 や
「忍耐」
 というものが美徳だということであったり、
「そうしないといけない」
 という考え方があったのだとすれば、それは、
「離婚というのはありえない」
 ということから、
「いかにうまく復縁するためには、耐えるしかない」
 という、いかにも、
「その方法しかない」
 という、
「選択肢は他にない」
 ということになるのだろう。
「離婚というものは、本当に許されない時代」
 といってもいい。
「離婚して戻ってくれば、世間様に顔向けができない」
 ということで、実家に戻っても、
「あなたは、家の恥だから、表に出てはいけない」
 というのが当たり前だったといってもいいだろう。
 今では、
「離婚は当たり前」
 と言われる時代なので、ほぼ、
「我慢」
 というのはないだろう。
「最初から無理だと分かっているのだから、引っ張ったとしても、どうしようもない」
 ということ。
 それに、
「やり直す」
 というのであれば、
「お互いに早い方がいい」
 ということになる。
 だから、
「離婚問題」
 を抱えている、若い夫婦は、まわりの人が話を聞いて。
「歩み寄りがない」
 と考えると、
「早く別れて、やり直した方がいい」
 ということになるのだ。
 実際に、本人も、
「歩み寄りはない」
 と考えているとすれば、あとは、
「どこで妥協するか?」
 ということである。
「離婚は結婚の時に比べて。数倍のエネルギーがいる」
 と言われるが、まさにその通り。
「離婚するには、その段階を考え直す必要がある」
 もちろん、離婚理由にれっきとしたものがあるということであれば、
「慰謝料」
 などという生々しい問題が生じてくるだろう。
 それこそが、
「数倍のエネルギー」
 ということになるのであろう。
「朝飯を食わない」
 という人が、実際に増えたのは、今に始まったことではない、
「なるべく長く寝ていたい」
 という人がそのほとんどであろうが、
「飽きが来るから」
 ということで、
「家で食べることはせず、途中の店で食べる」
 あるいは、
「コンビニで買っていく」
 ということが多いだろう。
 だからといって、昔のように、
「朝から営業している純喫茶」
 というのは、あまりなくなってきた。
「チェーンのカフェ」
 というものが増えてきたことが、その理由といってもいいが、昔の喫茶店がないというのは、実に寂しいものといえるかも知れない。
 似たようなものといえば、
「ホテルのラウンジ:
 のような店といってもいいのではないだろうか?
 だが、さすがに毎日ということになると、かなり値段が高かったりする。しかし、それも、
「モノは考えよう」
 と思っていたようだ。
 というのも、
作品名:中途覚醒 作家名:森本晃次