中途覚醒
「待合室にはモニターがあり、テレビがついている」
というところが多く、ただ今は、皆スマホを持っているので、テレビを見ている人は、そんなにいない気がする。
しかし、
「俺はテレビを見たいんだ」
と思っていた。
スマホを見たりするのであれば、
「どこででもできるではないか?」
と感じるのである。
これから、別世界に突入しようというのに、普段と同じ世界を待合室で過ごすというのは、気持ちを盛り上げるという意味で、無駄な気がした。
それなら、
「ミニターに映っているテレビを見ていると、時間の経過」
というものをハッキリと感じることができ、
「気分の盛り上がり」
というものが、
「気持ちの準備」
ということになり、
「カーテンを開ける瞬間を最高潮に持っていける」
ということからであった。
盛り上がった気持ちで、女の子に対面する」
というのと、
「今までの世界から、いきなりカーテンを開けることで気持ちを盛り上げる」
ということであれば、そのどちらも、
「甲乙つけがたい」
というくらいの気持ちの盛り上がりなのかも知れない。
しかし、肝心なこととして、
「時間が決まっている」
ということだ。
カーテンを開けて、お部屋に入ってからの時間が決まっているのだから、
「最初から、気分が盛り上がっていないと、せっかくの時間がもったいない」
ということになれば、
「最初から最高潮にしておく」
ということが必須だと思うのだ。
しかも、
「カーテンを開けて対面した瞬間が、癒しの最高潮だ」
と思っていることから、余計に、そう感じる。
だから、
「プレイタイムが時間で決まっている」
ということを、情けないとは思わないのだ。
逆に、
「この決まった時間すら、プレイの一環」
ということで、
「癒しというものを、自分でいかに求めるか?」
ということが大切なのだと感じるかということであった。
だから、中には、
「離婚はしても、風俗は辞められない」
という人もいるのではないかと思えるのであった。
彼も。実はその一人だった。
最初は、
「飽きがきてしまった」
ということで、
「結婚生活への限界」
というものを感じた。
だから、
「離婚もやむなし」
と思ったのだが、どうしても、
「離婚に踏み切れない自分がいる」
と思っていた。
そこには、
「嫁さんからもらえる癒し」
というものがあり、それは、風俗とは明らかに違うものだった。
だから、
「俺は、嫁さんのために犠牲になってもいい」
と開き直ったのだが、開き直ると、今度は、嫁さんの方が、
「すでに離婚を決めていた」
ということであった。
つまりは、
「俺が嫁さんに飽きるよりも前から、嫁さんはこちらに気づかれないように、ひそかに離婚を考えていた」
ということになるだろう。
そして。
「オンナというのは、旦那との会話がなくなってしまった時点で、ある程度開き直った状態であり、そこまで来ていれば、離婚を言い出すのは、時間の問題」
といってもいいだろう。
しかし、男は、
「まだまだ、説得はできる」
と思っているという、
「お花畑的な考え」
に至っているといってもいいだろう。
もちろん、そこまでくれば、自分が、
「離婚問題の真っただ中にいる」
ということを思い知らされたも同然であった。
しかし、そう思えば今度は、どこか、
「他人事」
という感覚になるというもので、
「本当に離婚というのが目の前にあるのに、ピンとこない」
という感覚になるのであった。
「これだったら、まだ成田離婚の方が、自分としては、現実味を帯びるのかも知れない」
と思えた。
成田離婚というと、
「結婚して初めて相手のことが分かり、結婚するのではなかったと二人ともが感じたことで、離婚を決める」
ということから、
「結婚するまで分からなかったというのが情けない」
と感じさせられていたが、実際はそうではない。
「本来であれば、誰もが持っている不安が、どの時点で訪れるか」
ということで、
「結婚すぐであれば、まだまだ傷は浅い」
ということで、
「すぐやり直すことができる」
と考えると、
「我慢して耐えたとすれば、傷口が広がっているだけということで、却って引っ張った方が悪い」
といえるのではないだろうか。
「ただ、それは、昭和の頃の家」
というものからの、
「我慢」
や
「忍耐」
というものが美徳だということであったり、
「そうしないといけない」
という考え方があったのだとすれば、それは、
「離婚というのはありえない」
ということから、
「いかにうまく復縁するためには、耐えるしかない」
という、いかにも、
「その方法しかない」
という、
「選択肢は他にない」
ということになるのだろう。
「離婚というものは、本当に許されない時代」
といってもいい。
「離婚して戻ってくれば、世間様に顔向けができない」
ということで、実家に戻っても、
「あなたは、家の恥だから、表に出てはいけない」
というのが当たり前だったといってもいいだろう。
今では、
「離婚は当たり前」
と言われる時代なので、ほぼ、
「我慢」
というのはないだろう。
「最初から無理だと分かっているのだから、引っ張ったとしても、どうしようもない」
ということ。
それに、
「やり直す」
というのであれば、
「お互いに早い方がいい」
ということになる。
だから、
「離婚問題」
を抱えている、若い夫婦は、まわりの人が話を聞いて。
「歩み寄りがない」
と考えると、
「早く別れて、やり直した方がいい」
ということになるのだ。
実際に、本人も、
「歩み寄りはない」
と考えているとすれば、あとは、
「どこで妥協するか?」
ということである。
「離婚は結婚の時に比べて。数倍のエネルギーがいる」
と言われるが、まさにその通り。
「離婚するには、その段階を考え直す必要がある」
もちろん、離婚理由にれっきとしたものがあるということであれば、
「慰謝料」
などという生々しい問題が生じてくるだろう。
それこそが、
「数倍のエネルギー」
ということになるのであろう。
「朝飯を食わない」
という人が、実際に増えたのは、今に始まったことではない、
「なるべく長く寝ていたい」
という人がそのほとんどであろうが、
「飽きが来るから」
ということで、
「家で食べることはせず、途中の店で食べる」
あるいは、
「コンビニで買っていく」
ということが多いだろう。
だからといって、昔のように、
「朝から営業している純喫茶」
というのは、あまりなくなってきた。
「チェーンのカフェ」
というものが増えてきたことが、その理由といってもいいが、昔の喫茶店がないというのは、実に寂しいものといえるかも知れない。
似たようなものといえば、
「ホテルのラウンジ:
のような店といってもいいのではないだろうか?
だが、さすがに毎日ということになると、かなり値段が高かったりする。しかし、それも、
「モノは考えよう」
と思っていたようだ。
というのも、



