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中途覚醒

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 というものが、本当になかったのか?
 ということになれば、そこは分からない。
 大義名分とすれば、
「頼朝の許しがなければ」
 ということになるのだろうが、
「鎌倉の長である自分を差し置いて」
 と思ったとしても、それは無理もないことだろう。
 義経も、
「兄の嫉妬」
 というものを感じたのかも知れない。
 それこそ、
「兄も大人げない」
 と思ったかも知れない。
 だが、実際に、
「鎌倉から、自分を殺すための刺客」
 というものが送られてきたということで、いよいよ、
「兄弟対決」
 ということになった。
 しかし、
「武士団のほとんどすべては、頼朝は以下」
 ということである。
 義経が、平家追討」
 というものをしている間に、頼朝は、
「武士団の団結」
 を計っていたのだ。
 もちろん、義経追討のだめというわけではない。
「武士団による、世界を作ろう」
 という考えからであり、結果として、
「義経追討」
 というものが、その過程に入ったということになるだろう。
 そのおかげで、
「義経をかばった」
 ということを理由に、奥州藤原氏を滅亡させたことで、
「いみじくも、全国を統一できた」
 ということになるだろう。
 義経とすれば、あくまでも、
「兄のため」
 ということだけで生きてきたものを、最終的には、
「裏切者扱い」
 をされたことが、まるで、
「人柱」
 であるかのような立場に追い込まれたことで、
「悲劇のヒーロー」
 となったのだ。
「判官」
 というのは、義経の官位であり、
「実際には戦であれば、実に強い」
 という伝説を持ちながら、兄に疎まれたせいで、命を落とした。
 しかも、それが、武士の世界を作る、
「人柱」
 になったということで、気の毒に感じされる。
 だから、
「判官びいき」
 というのだ。
 日本人は、確かに、
「弱い者の味方」
 という意識が強い。
 特に、
「江戸時代初期に起こった、お家騒動における討ち入り」
 ということでの、
「赤穂浪士」
 であったり、
「幕末において、武士の誇りを守りながら、滅びゆく幕府の側に立って、最後まで戦った」
 という意味で、ほとんどの人に悲劇として見られる、
「新選組」
 というのも、
「判官びいき」
 という言葉のたとえとして、
「最たるものだ」
 といえるであろう。
 ただ、実際には、判官びいき」
 というのは、あくまでも、
「他人事」
 ということで見るから、応援するという感覚になるのであろう。
 だから、
「自分は、強いという立場において、強いものをくじき、弱い者を助ける」
 という感覚になる。
 それが、
「勧善懲悪」
 ということになるのだろう。
 しかし、これは若干の矛盾をはらんでいるのではないだろうか?
「実際の戦国時代」
 などでは、
「群雄割拠」
 ということであるので、
「領主は、強くなければいけない」
 と言われる。
 なぜなら、
「弱い領主であれば、まわりから攻められた時、すぐに敗れて、領民はどうなるか分からない」
 ということになる。
 封建制度の考え方は、あくまでも、
「御恩と奉公」
「ご恩」
 というものがなければ、奉公もできないということで、
「弱き領主は罪悪だ」
 といってもいいだろう。
 ということになれば、
「弱きものを助ける」
 というのは、領主に対していえることではない。
 あくまでも、
「領主は強い」
 ということが前提であり。その強い領主が、
「弱い立場の領民を守る」
 ということは、当たり前である。
 そうなると、
「何も改まって、判官びいきなどという言葉を使う必要もない」
 といえるだろう。
 つまり、
「判官びいき」
 というのは、
「義経」
 のような領主というものであってはいけない。
 ということであり、逆に、
「義経が滅びるのは、当たり前のこと」
 ということで、それでも、ひいき目で見てしまうというのが、
「日本人の心情というものだ」
 ということになるだけのことである。
 判官びいきというのは、確かに、
「弱いものをひいきする」
 ということで、ある意味、
「日本人独特の考え方」
 とといってもいいだろう。
 もちろん、諸外国においても、似たような考え方というものはあるだろうが、日本において、その考え方が広く考えられるというのは、一種の、
「耽美主義」
 という考え方からきているのではないだろうか?
「耽美主義」
 というのは、
「ものの考え方においての優先順位の中で、モラルや倫理というものよりも、美というものが、何に対しても優先する」
 という考え方である。
 これは、元々は、
「芸術」
 という考え方からきているものだといってもいいだろう。
 それは、
「芸術」
 というものに多くみられるもので。そういう意味で。、
「芸術が花開いた外国で、最初考えられてきたものではないだろうか?」
 特に、ヨーロッパなどでは、
「古代芸術」
 というものから、
「ルネッサンス」
 というものを経て、近代芸術に至る、長い歴史の中で、
「美」
 というものを尊ぶというのが、実に芸術的だということから、そもそもは、海外のものだったといってもいいだろう。
 しかし、
「日本の国風文化」
 というのも、
「島国」
 であり、
「鎖国」
 というものを行っていたこともあり、
「独自な文化」
 というものが生まれ、今でも、
「日本古来からの独特な文化」
 というのは、
「海外の人たちにも受け入れられている」
 といえるだろう。
 そういう意味で、
「日本独自の考え方」
 というものに。惹かれる外人も多いことだろう。
「サムライ」
「ハラキリ」
「カミカゼ」
 などと言われるのも、当たり前のことであり、特に、
「日本式の城郭であったり、もとは海外からわたってきた建築技術も、日本独自の文化となって、花開いた」
 といってもいい。
「文学」
「華道」
「茶道」
 さらには、
「武道」
 というものも、外人連中には、想像を絶するものがあるといってもいいだろう。
 そういう意味では。それぞれの、
「道」
 というものは、日本における
「耽美主義」
 といってもいいだろう。
 特に、
「武士道」
 などというのは、
「一つの一貫した考え方が、筋の通った美学」
 ということになり、伝えられてきた。
 それこそ、
「耽美主義の一つ」
 といってもいいだろう。
 そんな耽美主義において、時代が進むにつれて、どうしても、
「一部の特権階級の人間のための世の中」
 という時代があったというのは否めない。
 それは、
「日本に限らず」
 ということであり、
「力のあるものが、どうしても世の中を制する」
 ということになる。
 それが、
「戦国時代の領主」
 ということであれば、それが一番いいということになるだろう。
 しかし、
「世の中が平和な時代」
 という、
「戦のない時代」
 ということになると、その平和を守るためには、
「力のあるものが、平和を守っていく」
 というのが当たり前ということになる。
 特に、
「武家政権」
 である、
「幕藩政治」
 ということになれば、
「力のある領主」
作品名:中途覚醒 作家名:森本晃次