小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

中途覚醒

INDEX|2ページ/15ページ|

次のページ前のページ
 

 しかし、新しい上司になると、完全に、こちらを
「下に見ている」
 という感じであった。
 実際に、
「何度言ったら分かるんだ?」
 という言葉を何度も言われ、その都度、修正を入れているのに、前に言ったことだけでは、許してはくれず、
「俺が話したことだけを聞いているだけでは、進歩がない」
 というのだ。
 前の上司は、それでもよかったのだが、今度の上司は、
「お前がきちんとしないと、俺の上司としての評価にも響くんだ」
 というのだ。
 確かに、上司のいうことには説得力があり、
「当たり前のことだ」
 といってもいいだろう。
 だから、
「相手は上司だ」
 ということもあるのだが、
「上司の言葉とはいえ、それを上からいうと、パワハラということになり、今の時代は、世間が黙っていない」
 ということになるのだろうが、
「注意を受ける部下」
 としても、
「上司のいっていることが間違っていない」
 と感じ、
「非はこちらにある」
 と思い込んでしまうと、文句も言えなくなり、結局、
「上司の言い分に従うことで、自分の殻に閉じこもってしまう」
 ということになる。
 これは、一種の、
「苛めによる引きこもり」
 といってもいいだろう。
 しかし、これも、
「どこまでが、会社の正当性」
 というものなのか、それとも、
「世間一般に言われているパワハラ」
 というものなのか?
 ということで考えかたが分かれるというものだ。
 もし、
「解釈を間違えると、自分は孤立してしまい、世間からも取り残されてしまう」
 と考えると、
「いくら、まわりが、パワハラはいけないことだ」
 といっているとはいえ、その世間の理屈とは違ってしまうと、最後には、自分が孤立してしまい、精神疾患に陥ることで、完全に孤立し、、引きこもりになるであろう。
 実際に、
「これだけたくさんの引きこもりがいる」
 ということになると、
「確かに、本当に苛めなどで、引きこもりになった」
 ということで、世間の同情を集めることになるだろうが、中には。
「上司や会社の普通の業務に耐えられない」
 という人が、同じような精神疾患となったとして、
「病気の間は同情されるが、実際の原因の問題で、治ってから、世間の目がかなり違って浴びせられることになる」
 というような思いが残ってしまうと、
「怖くて、世間に逆らうことができない」
 と考えると、
「最初から引きこもりになったとしても、無理もないことだ」
 ということになるであろう。
 そんな中において、今の上司というのは、
「相手のいうことに、間違いはない」
 と思い込んでしまうことであった。
 ただ、言い訳を言いたくても、
「いつも完全否定する」
 という状態であれば、何も言い返せなくなるということだ。
 以前は、
「上司に何か言われても、自分の意見だけはしっかり言わないといけない」
 と言われていたので、上司に自分の考えを示していたが、
「お前の言い分は間違っている」
 ということで、上司の言葉には、なまじ、
「説得力」
 というものがあり、さらに、それが自分の中で、
「上司のいっていることに間違いはない」
 と思ってしまったことで、
「これ以上自分の言い分を通そうとすれば、それは、本当の言い訳でしかない」
 と考えるようになるのだ。
 そうなると、何も言えなくなり、
「お互いに、文句を言えなくなってしまう」
 ということになるのであった。
 要するに、
「上司による完全否定」
 ということである。
 実際に、上司の、
「パワハラ」
 というものに、
「部下に対しての完全否定」
 というものも含まれているという。
 実際に、自分がそのことでノイローゼになっていた時は、そこまで考える余裕はなかった。
 結局、
「何か文句を言われ、それに対して、上司の言い分に間違いはないということで、言い訳などできない状況」
 ということになると、
「お互いに何も言えず、にらめっこ状態だ」
 といってもいいだろう。
 それを考えると。
「文句を言われることで、殻に閉じこもってしまい、何も文句も言えなくなることで、引きこもりになってしまう」
 ということだ。
 それは、まるで、
「身体に熱が籠ってしまった時の、熱中症のようではないか?」
 ということであった。
 特に、最近は、
「原因不明の頭痛」
 というものが結構あり、
「頭痛薬を飲んでも、なかなか収まらない」
 というのが多かった。
 前は、頭痛薬を飲めば、遅くとも、30分以内くらいには、ある程度収まってくるというものであったが、最近では、
「数時間でも痛みが消えない」
 というようになり、そのかわり、
「気が付いたら、頭痛がなくなっていた」
 といってもいいだろう。
 ただ、頭痛が激しい時は、最初から、
「この痛みだったら、薬は簡単には聞かないかも?」
 という予想はつくのだが、
「実際に、薬が効かない」
 ということになると、
「本当に俺の身体は大丈夫なんだろうか?」
 と思うようになるのであった。
 最近は、以前よりも、一つの症状でも、昔よりもひどくなってきたようで、それも、
「ノイローゼ」
 というような、
「精神的なことからなのではないか?」
 と感じるようになった。
 子供の頃から、
「大人に逆らってはいけない」
 という思いが強かった。
 しかし、その割には、
「自分は、そんな子供を逆らえないような状態にさせるような大人にはなりたくない」
 と思っていた。
 それは、
「大人からいつも怒られている子供は、皆そう思っていたことだろう」
 つまり、
「大人になってから、自分が感じたような思いを自分の子供にはさせない」
 と思っていても、実際に自分が大人になると、結局は、
「子供を叱る大人になっている」
 というものであった。
 しかし、今の時代はさらにひどい時代になっていて、
「怒らなければいけないシチュエーションで、怒るということをせずに、怒ってはいけない時に怒る」
 という大人が多いということだ。
「怒らなければいけない」
 という、いわゆる、
「躾」
 というものをしようとはしないくせに、
「怒ってはいけない」
 というはずの場面で、子供を折檻する。
 というような場合である。
 特に、自分が子供を折檻するときは、必ず、
「まわりの人に知られないように、十分な注意をする」
 ということで、
「自分が悪いことをしている」
 という意識があったのことである。
 つまり、
「普段から、会社などで受けてきたストレスの発散というものを、自分の子供で晴らす」
 という、いわゆる、
「幼児虐待」
 というものをしているということである。
「子供にとっては、その思いが、トラウマとして残り、それが結局、自分が親になった時、子供にも同じことを繰り返す」
 ということになる。
 本来であれば、
「社会を正さなければいけないのに、子供を虐待することで、大人の世界はそのままになってしまう」
 という、
「実に理不尽な状態」
 ということになってしまうのだろう。
 それこそが、
「数十年前までと、今とでの違い」
 ということになる。
 つまりは、
「子供の世界」
作品名:中途覚醒 作家名:森本晃次