繰り返す世代
「年を取れば取るほど時間があっという間に過ぎ」
というのが、
「どうしてそういう感覚になるのか?」
ということを考えようとしただろうか?
「そういうものだ」
という感覚から感じることなのであろうが、その理由ということで、老刑事は、自分なりの考えを持っていた。
というのは、
「年齢を重ねれば重ねる」
ほどに、
「繰り返しというものがある」
と考えているからだ。
それは、
「今起こっていることは、以前にも、似たような経験をしたことがある」
という思いがあり、
「初めてのことのはずなのに、以前にも同じようなことを感じたことがあったはずだ」
ということで、これを、
「デジャブ現象」
という。
この、
「デジャブ」
というものを感じたことがないという人は、おそらく、
「いないのではないか?」
と思うのだが、実際にはどうであろうか?
それを考えた時、
「自分に関係することだけでなく、世の中が繰り返されることから、デジャブというものが起こり、それを感じるタイミングというものがあり、本来であれば、いつでも感じるだけの材料があるのだが、タイミングで感じることで、今回が初めてのはずなのにという感覚に見舞われるのではないか?」
という考えである。
だから、同じ長さの時間を過ごしていても、
「繰り返される時間」
というものが存在し、
「それを意識していない」
ということから、
「時間というものがあっという間に過ぎてしまう」
という一種の錯覚に見舞われるのではないか?
そんな考えを老刑事は思っていたが、それはあくまでも自分の考えであり、
「突飛な考えといえるのではないか?」
と思っているのだが、それは、
「他の人は、ほとんど、そこまでは考えることはしないだろう」
というところからであった。
そういう意味で、
「一つのことにこだわって考え込んでしまう」
というところから、
「自分が刑事に向いている」
とは思うのだが、それでも、
「一長一短」
というものはあるもので、
「刑事に向いている」
と思いながらも、
「あまり前に出ようとすると、よくも悪くも、あまり欲深くはない人間なので、我も我もという人たちに埋もれてしまって、圧し潰されることになるだろう」
ということは分かっている気がした。
実際に、10年前の、
「放火殺人」
の捜査において、
「自分なりの考え」
というものがあったことで、
「信念をもって捜査」
をしていたのだが、それが、
「捜査本部の見解とは違う」
ということから、自分の考えを前面に出せば、
「捜査から外される」
ということで、ジレンマに陥ってしまったのだ。
結局、自分の見解を押し殺し、捜査本部の考えに従ったが、結果としては、
「迷宮入り」
彼の後悔とすれば、かなりのものがあったに違いない。
それを考えると、
「解決しなければいけない事件を、自分の妥協で、解決できなかった」
ということで、業を煮やしたということであるが、あくまでも、
「自分が悪い」
という考えに終始し、結局は、
「俺がでしゃばるようなことはしないようにしよう」
と考えるようになり、それから彼は、
「無口になり、まるで人が変わったように、目立たなくなった」
ということであった。
だが、その姿勢を若手が見ていて、
「口には出さないが、背中を見ていると勉強になる」
という人が多かった。
実際に、若手が手本にする先輩というのは、そんなにいなかった。
いたとしても、口うるさい人で、
「口のわりには、実績が伴っていない」
という人が多く、さらには、
「警察組織を継承しているひと」
ということで、
「自分がなりたくない上司」
と見えることから、どうしても、その人に従うことはできないと思っていることから、従うには、疑問があると考えていたのだ。
だから、
「無言で、背中でものをいう」
というような老刑事に、捜査員は、ついてくるということになるだろう。
ただ、最近警察に入った若い連中は、10年前の事件を知らない。
そもそもが、話題に出すことが、
「タブー」
ということになっているのだから、
「それも仕方のないことだ」
といってもいいだろう。
だから、20代の刑事には、老刑事の気持ちは分からない。
しかも、20代というと、
「毎日がなかなかすぎてくれない」
という感覚を持っていて、しかも、先輩刑事たちからは。
「30台を過ぎると、どんどん時間があっという間になってくるぞ」
という忠告は受けるが、
「だから、なんだというのだ?」
ということから、
「実際の言葉の意味を理解できない」
ということで、
「先輩の話には信憑性がない」
と思えてならないだろう。
だから、特に老刑事ほど年が離れてしまうと、
「おじいさん」
という感覚と、
「俺はまだまだこれからだけど、もうすぐ、定年を迎える人」
ということで、その差が歴然としていると感じるのだ。
だから、
「あの人の世代と今とではあまりにも違っているに違いない」
ということで、最初から、
「もし説教を受けるとしても、半分だけまじめに聞けばいいだろう」
というくらいに考えている。
もちろん、
「すべてを無視する」
というのは簡単なことであるが、
「まじめに警察官として頑張ろう」
と思っているのであれば、
「人の意見は、とりあえずは聞いてみる」
ということを考えるようにしていることであろう。
それができるのが、
「若さの特権」
ということで、その考えは、
「どの先輩も通ってきた道だ」
といっても過言ではない。
老刑事は、
「10年前の事件」
というものを、
「自分の中のトラウマ」
と捉えているといってもいいが、実はもう一つ、
「トラウマ」
と感じている事件があると思っているのだ。
それは、
「10年前の事件がなければ、今でも、一番のトラウマなんだけど」
というもので、
「一つの大きなトラウマになった事件が、今の記憶を上書きしている」
といってもいいだろう。
実際にトラウマというものが、どういうものなのか?
それは、老刑事の記憶の中にある、
「昭和の事件」
というものであった。
老刑事がまだ高校を卒業し、警察に入ったばかりの頃という、本当に時代とすれば、
「昭和末期の事件だった」
といってもいいだろう。
昭和の事件
「昭和の記憶」
というものを持っている人は、すでにほとんど少なくなっているといってもいいだろう。
確かに、
「生涯現役」
と言われ、
「100歳まで生きる」
という人はどんどん増えている時代とはいえ、平成という時代を挟むことで、
「昭和という時代」
は、
「歴史の一ページ」
といってもいいだろう。
「昭和末期の事件」
というと、その時代を知っている人には、今でも生々しく思い出せるものであるが、この時代を、
「歴史の一ページ」
というだけの思いしかない人にとっては、
「記憶にあるわけではない」
ということで、結局、
「話を聞いたところから、今の時代の事件というものと比較して考える」



