繰り返す世代
ということしかできないということになるであろう。
あの時代の事件として、意識することとすれば、
「結構共通点はある」
ということが気になるところであった。
当時の事件としては、結構センセーショナルな事件もあった。
その一つとして、
「当時の事件としては、かなり大きなものだった」
といっていいのは、
「食費メーカーの会社をターゲットにした」
という一連の事件であった。
「狙ったのは、一つではなく、一時期に、複数の会社をターゲットに脅迫する」
というものであった。
最初は、
「某食品会社社長を誘拐する」
というところから始まり、実際には、
「社長は開放」
ということになり、ターゲットを変えた。
しかし、ここで非常に不思議だったのは、
「誘拐した人を、無傷で返す」
ということであった。
普通であれば、
「顔を見られた」
であったり、
「少なくとも一緒にいたのだから、返してしまうと、自分たちが不利になる」
ということを考えると、
「口封じ」
というのが当たり前といえるだろう。
しかし、犯人は、返してきた。それを考えただけでも、
「他の犯罪とはかなり違っている」
といってもいいだろう。
しかも、事件は、
「最初の誘拐こそ、極秘に行われたが、それがバレると、今度は、公開での脅迫を行ううようになった」
というのは、
「犯行声明を、マスゴミに公表する」
ということをしているではないか。
明らかに、
「劇場型犯罪を狙っている」
といってもいいかも知れない。
そして、犯人グループは、まだ身代金を要求し、
「応じなければ、会社の商品に、青酸カリを混入する」
というのだ。
そして、実際に青酸カリを混入した商品を店に置き、しかも。
「それを、誰も買わないように、いかにも怪しい商品」
ということで置いているのだ。
これは、あくまでも、
「脅し」
ということであり、
「要求に応じなければ、無差別で犯行を行う」
といってしまえば、
「さすがに従わないわけにはいかない」
ということになるだろう。
警察もさすがに簡単には動けない。
動いたとしても、
「犯人に翻弄されるだけ」
という結果にしかならないことで、警察としても、
「メンツは丸つぶれ」
ということである。
青酸カリ入りの精進が、デモンストレーションということで、スーパーに置かれた時点で、警察は、すでに、後手に回っているということを証明しているのだ。
それは、当たり前のことで、
「相手は無差別攻撃してくるわけで、これだけの数のスーパーやコンビニが、全国に点在しているわけなので、防ぐことなどできるわけはない」
といえるだろう。
もし怪しい人が防犯カメラに写っていたとしても、四六時中すべてのモニターに人を張り付けて監視するなどできるわけはない。
そう考えると、
「完全に、犯人の術中に嵌っている」
といっても仕方のないことであろう。
結局は、青酸カリ入りの食品が実際に見つかりはしたが、
「それによって、被害者が出た」
ということはなかった。
それが、
「不幸中の幸いだった」
といえるのだろうが、結果として露呈したことは、
「警察は何もできなかった」
ということと、
「警察のメンツは失墜した」
ということである。
これを考えると、
「犯人の目的は身代金でも。食品メーカーに対しての恨みではなく、警察のメンツを失墜させることだった」
といってもいいかも知れない。
ただ。
「警察のメンツの失墜」
という目的だけにしては、あまりにも大げさすぎるともいえる。
目的は、やはり、
「食品メーカーに対しての、異常な感情が含まれているのかも知れない」
複数を狙ったのは、
「本当の目的を分からなくするため」
ということで、
「実際には劇場型」
ということで、犯行を大げさに公開してはいるが、
「動機がハッキリしないのであれば、犯人を特定することは難しい」
という、犯人側の、ち密な計算がなされているのかも知れない。
それを考えると、
「犯人側からすれば、その動機も分からず、警察も、翻弄されてしまった」
ということで、犯人の影すら見つけることもできず、犯人側は、いくつかの食品メーカーに対して、脅迫行為を繰り返していたが、最後には、その表に出た目的を達成することもなく、犯行を辞めてしまった。
これは、
「犯人側とすれば、自分たちは捕まっておらず、未解決事件として、時効を迎えた」
ということで、
「彼らの勝利だった」
ということになるだろう。
実際に、
「動機が何か?」
ということは、
「犯人像の影すら見ることができなかった警察」
ということから、
「想像することすらできなかった」
といってもいいだろう。
今の警察であれば、平成に入ってからの、
「心理捜査」
であったり、
「犯人像を考えるプロファイリング」
という捜査方法が導入され、
「ひょっとすると、その時代にこの事件が起こっていれば、未解決事件ということにはならなかったかも知れない」
といえるのではないだろうか?
それを考えると、
「この脅迫事件がもたらしたものは、昭和末期の事件の代表にふさわしいもの」
ということで、
「プロファイリング捜査」
であったり、
「心理捜査」
などの
「きっかけになった事件」
といってもいいだろう。
「昭和の末期」
というと、まだパソコンなど、一般にはなかった時代である。
科学捜査というのも、今から思えば、ほとんど、
「何もできなかった時代」
といってもよく、本当に、時代としても、
「歴史の一ページ」
というものに過ぎないといっていいだろう。
「一世を風靡した事件」
といってもいいかも知れない。
そんな事件が、その後にもたらした影響ということになるのかどうかは分からないが、
「無差別」
ということでいえば、平成になってから、ちょうど、昭和という時代が終わってから、
「十数年後」
というくらいに起こった、
「カルト宗教団体による、無差別テロ事件」
というものがあった。
これは、
「自称、天才集団」
といえる宗教団体が、国家転覆を目的にしていたとも言われるが、実際には、
「自分たちに警察の捜査が及ぶことを少しでも遅らせるために、混乱を巻き起こすため」
という理由で行われた、
「無差別テロ」
だったのだ。
「電車の中で、毒ガスを撒く」
というもので、
「今でも、その被害の後遺症に苦しんでいる人がいる」
ということである。
それが、どこまでひどいものであったかといえば、
「結果、その時の首謀者のほとんどが警察に逮捕され、裁判にかけられたが、死刑判決がほとんどだ」
ということからも分かる。
もっとも、
「当然といえば当然」
ということであり、
「殺害された人」
からすれば、本当にたまったものではない。
昭和末期に事件との一番の違いは、
「誘拐されたりして、精神的な被害を被った人はいた」
ということであるが、
「実際に殺害された人は一人もいなかった」
ということで、だからこそ、
「未解決事件」



