繰り返す世代
と感じていたからだ。
少しでも知っている人は、
「せめて楽な服装でなければ、目立ってしまい、恥ずかしい」
と感じるからである。
実際に、その人が歩いていると、結構目立った。
というのは、
「時間的には、まだ日の出から少ししたくらいの時間で、サラリーマンが出勤するには、あまりにも早すぎる」
ということだからである。
夏なのに、スーツの上着を着た人で、いかにも、
「これから出勤」
という雰囲気の姿は、この時間ではあまりにも目立つ姿であった。
というのも、
「まだ、路線バスはおろか、鉄道も動いていない」
ということで、考えられるとすれば、逆に、
「始発待ちの人」
ということであれば、
「理屈としては分かる」
というものである。
昔と違って、今の、
「ターミナル」
では、
「終電が終わってしまうと、駅を閉鎖し、始発の時間になるまで、駅は明かない」
というのが当たり前ということであった。
昔であれば、駅構内というと、
「電車が動いていない時間は、ホームレスの山」
という状態であった。
正確にいって、
「いつ頃から駅を閉鎖するようになったのか?」
ということは分からないが、
少なくとも、
「ここ20年くらいのものではないか?」
ということである。
少なくとも、ここ十数年くらい前くらいには、
「駅は閉鎖されていた」
といってもいいだろう。
なぜなら、その頃に、
「大災害によって、電車が動かない」
ということがあり、
「帰宅できない」
という問題が起こった。
その問題が発生した時、鉄道会社は、
「ルールとして、駅を閉鎖する」
という、まわりの状況を考えず、事の重大性を無視する形で、駅から、
「帰れない人たちを追い出す」
という、
「暴挙ともいえる行動」
に出たのであった。
彼らは、その後、
「帰宅難民」
と呼ばれ、鉄道会社の仕打ちに怒り心頭ということで、大問題となった。
「国会審議にまでなった」
というほどの大問題が発生したということで、それ以降は、
「災害が起これば、駅の解放は当たり前のことであり、さらに、動いていない車両を開放し、ホテル代わりに利用する」
ということになったのだ。
本来であれば、災害時ということであれば、
「これが当たり前」
といってもいいだろう。
そんな当たり前のことが分からない鉄道会社なのだから、
「いつまで経っても、旧態依然の、国有化されていた時代から、40年近く経つのに、まったく変わっていない」
と言われるのである。
「40年というと、国有鉄道を覚えている人というと、その世代は、初老以上である」
といってもいいだろう。
そう、
「時代は昭和の時代」
ということであり、それがどんな会社だったのかというのは、エピソードの一つ二つを聞いただけで、
「信じられない」
ということになるだろう。
その一つとしていえることは、
「当時の国鉄職員には、無料パスが支給された」
ということで、
「国鉄路線のすべてを、国鉄社員皆に、無料で利用できるという、パスが支給された」
ということであった。
しかも、それは、
「家族に対しても有効」
ということで、今の時代であれば、
「ありえない」
ということだったのだ。
だからというわけではないのだが、
「その累積赤字」
というものが、
「天文学的数字」
となり、
「国家予算を圧迫する」
ということで、民間企業にすることで、
「民間に丸投げ」
ということになったのだ。
他の二社あった、
「国有企業」
も同じように。民営化された。
「民営での、自由競争」
という建前であったが、どうしても、
「国鉄赤字のための、民間払い下げに対しての言い訳を、いかに、正当化させるか?」
ということにしてしまわないといけないからであろう。
そうなると、
「それから以降は、民間での、自由競争」
という時代になり、
「それがいいのか悪いのか」
正直、
「政府の言い訳のための民営化」
ということで、それ以降も、半公共半民と言われたところは、どんどん政府から切られるようになり、国家体制を、
「言い訳の場」
ということになってしまったのだろう。
だから、
「民営化した、それまでの国営会社」
というのは、
「利益を追求する」
ということで、赤字路線を、無慈悲にも切り離したりしながら、
「サービス面強化」
ということで、そちらに金をたくさんつぎ込むことになるのだ。
そのくせ、
「やっていることは、国鉄と変わらない」
ということで、
「事故が起こった時など、乗客のことなどどうでもいい」
ということなのか、実際に調査するわけでもないのに、いたずらに、時間を浪費するだけということになるのだった。
というのも、
「人身事故が起こったことで、迷惑を被った乗客が、駅員にクレームを入れると、人身事故だからしょうがないといって笑っているところを見たことがあった」
というのである。
確かに、
「駅員に文句を言っても仕方がないことではあるが、駅員とすれば、迷惑を直接被っている相手に対して、笑ってごまかすということが許されるというのか?」
ということである。
なんといっても、
「お金をもらっているわけだから、お客様である」
「自分たちのせいではない」
とはいえ、お客さんが困っているのを、
「笑ってごまかす」
ということが許されるというのであろうか?
そんなのは、
「国営でも許されない」
ということなのに、
「民営化したはずの企業が、客に対して、笑ってごまかすなどあり得るというのか?」
ということで、しかもそれだけでなく、
「事故ではないが、線路に不審なものがある」
ということで
「列車を一時止める」
ということがあるが、その時は、車掌か運転手が、
「線路に降りて確認する」
ということで、
「列車の運行まで時間が掛かる」
というのは当たり前のことである。
しかし、実際には、そんなことはなかった。
「電車から誰もおりていくわけではなく、運転席から運転手が、本部と連絡を取っている」
ということである。
内容は。
「日誌に書けば済むだけのこと」
というものを、電話で行い、まるで、
「時間稼ぎでもしているのではないか?」
と思わせることを、あざとくしているのだ。
それを見た時、それを見た乗客の顔は、
「そのほとんどが、怒りに燃えていた」
ということであり、それこそ
「親方日の丸」
という時代を、
「そのまま彷彿させられる」
といってもいいだろう。
「かたや、民間企業ということで、サービス面の向上であったり、赤字に対しての、シビアな対応」
というものをしておきながら、
「かたや。元国有ということで、昔からのマニュアル通りのことしかしない」
という、
「客を舐めた態度によって、客からはクレームの嵐」
ということになるのだ。
だから、
「駅員が、客に逆切れされる」
というのも当たり前のことで、結局は、
「形だけの民営化」
ということで、
「国有の悪いところだけを残したまま、民営の悪いところだけを取り入れた」
という、



