繰り返す世代
ということになるわけではないだろうが、
「老刑事にとっての、刑事としての経験は、未来が見える」
という感覚に陥るだけの
「事件を嗅ぎ分けることができる力を持っているのではないか?」
と考えるのであった。
「警察と検察」
何が、自分の中でかみ合わないものを感じさせるのか?
実際の事件によって違うのだろうが、
「そのことを思い出させてくれたのが、昔の記憶に引っかかっていた事件だったのだ」
ということで、
「今回の事件も、再度同じ思いにさせられる」
ということになるのではないだろうか?
事件というものが、
「時代によって、似たような事件でも、微妙に内容も違っていた李、そもそも、操作方法が違うのだから、その解決に対してのプロセスを、
「マニュアル化されている」
ということで、そのまま行うということには、危険が伴うということになるに違いないだろう。
今までに解決してきた無数の事件。
当然のことながら、
「一つとして同じものがあったわけではない」
と思う。
ある程度の年齢までは、
「一つの事件を一つとして理解し、意識し、記憶する」
ということができてきた。
しかし、それ以降では、
「どこかの過去の事件と同じということで、上書きをしたり、読み飛ばしとして、理解や意識まではするが、記憶する」
というところまではいかないと考えるのであった。
それを、最近、
「そのように考え始めたのはいつからだっただろう?」
と考える。
「40代くらいからかな?」
という意識は強い。
しかし、実際には分からない。
なぜかというと、
「年齢を重ねるごとに、時間の感覚があっという間になってくるからだ」
ということであった。
しかし、これは逆に。
「あっという間に感じさせる何かがあり、その根本には、自分の中にある辻褄合わせというものが影響しているのではないか?」
ということであった。
そう、その
「辻津妻合わせ」
というものが、どのような影響にあるのか?
というと、
「デジャブ現象」
ではないだろうか?
と考えるのだ。
そもそも、
「デジャブ現象」
というものが、どのような影響をもたらしているか?
ということは、科学的には立証されていない。
だから、個人それぞれにデジャブというものに対して抱いている感覚があるのだとすれば、
「その数の中に、真実があるのではないか?」
と考えるのであった。
「辻褄合わせ」
というものと、
「デジャブ現象」
というもの。
これはきっと、
「どちらに焦点を当ててみるべきか?」
ということから変わってくる気がする。
つまり。
「多方向から見ることで、見え方が違い、その立場の優位性に絡んでくる」
といえるのではないだろうか?
以前、老練の刑事が、事件を解決した中に、
「当時の凶悪犯を模倣した犯罪」
が流行った時期があった。
「詐欺事件」
がそうであり、それを看破されたことで、事件は急転直下解決した」
つまり、
「模倣犯というのは、他の犯人の連続殺人と思わせることで、自分を蚊帳の外に置くことができる」
という方法とすれば、一番安全な方法なのかも知れないが、模倣犯の可能性を看破されてしまうと、すべては水の泡になってしまう。
といえるからであり、それこそ、
「表裏の関係」
ということで、看破されやすいともいえるだろう。
今回の事件で、いろいろ捜査をしてくると、どうも、その、昭和の末期に起こった、
「老人をターゲットにした詐欺」
というものと
「テクニックが似ている」
と、老練刑事は感じたのだ。
さすがに、もう、40年近くも前の犯罪で、その内容などは、本当にベテラン刑事くらいにしか気が付かないものである。
しかも、今の時代であれば、それから以降、犯罪も多角化していき、さらに、時代の変革などからも、
「果たして、今の若い連中に、自分の考えていることを話して、理解してくれるだろうか?」
と考えていたのだ。
特に警察官というのは、
「亀の甲より年の功」
という意識はあまりないかも知れない。
昔であれば、
「ベテラン刑事の意見は、聞くものだ」
ということであっただろうが、今はそんなことはない。
「老いては子に従え」
と言われるくらいで、しかも、どうしても、時代としては、年寄りがでしゃばると、
「老害」
などと言われ、
「年寄りはでしゃばるな」
と言われる時代になってきた。
老練刑事と若手刑事
昔は、会社においては、
「年功序列」
というものがあり、
「先輩後輩」
ということで、結構な世界において、
「勤続年数」
というよりも、
「年齢が優先する」
と言われた時代があった。
それだけ、
「年功序列」
というものが強かったのだが、今ではそんなことはない。
昔は、基本が、
「終身雇用」
ということだっただけに、年齢が優先されたのではないかと思われる。
もちろん、今でも、会社であったり、その社会の
「掟」
ということから、今でも同じ伝統が守られている。
そういうことから、今と違って、昔は、
「少々理不尽であっても、昔から受け継がれてきた伝統というものが、ものをいう」
という時代だった。
それが、昭和の時代ということで、実際に、
「そんな時代に活きてきた」
という、老練刑事は、平成の途中くらいまでは、何とかその考えをもとに刑事生活ができてきたが、今ではすっかり無理になってきた。
社会的には、
「コンプライアンス違反」
ということが叫ばれるようになり、
「警察における捜査」
というのも、以前とはかなり変わってきたのだ。
昔と今とでは、完全に一長一短というものがあり、
「拷問のような捜査」
というのが、当たり前だった当時とすれば、警察に対してのイメージは、ロクなものではなかっただろう。
そのような捜査をしていると、
「冤罪を生む」
ということになりかねない。
それを考えると、今のような、
「コンプライアンス違反」
というのを嫌悪するという考え方は当たり前なのだが、昭和の頃は、それよりも、
「勧善懲悪」
というものが当たり前で、
「犯罪を憎む」
ということを最優先であり、そのためには、
「事件の早期解決」
ということを目指したものだった。
それだけ、
「事件が長引けば、被害者が増える」
ということであったり、それこそ、
「社会的に影響が大きいと、模倣犯を生む」
ということが懸念されるということでの、優先順位ということになったのではないだろうか?
老練刑事が思い出した昔の、
「詐欺事件」
というものとやり口が似ている犯人が、
「今回の被害者」
ということが分かってくると、他の刑事は、
「何やら、犯行の手口が、古臭い感じがするな」
とは思っていたが、昭和を知らないことで、
「まさか、時間を超越した模倣犯」
という意識はなかった。
しかし、さすがに、
「老練刑事」
だけは、そのことを感じていた。
今回の捜査本部においては、それほど年齢の高い刑事はいなかった。



