繰り返す世代
と感じるほどだったのだが、その記憶を引っ張り出したきっかけというのは、
「その事件への全体像なのか?」
あるいは、
「個別的な発想からくるものなのか?」
ということで考えさせられたが、実際には、
「後者であるとすれば、思い出したのは人間ではないだろうか?」
という思いだったのだ。
今のところ、
「記憶に引っかかっている」
という程度のものであるが、思い出した記憶ということでは、
「それほど、印象深い事件だったはずではなかったのに」
と思えるのに、あえて思い出したというのは、
「どこかが似ている」
と感じたからであろう。
「事件性というものが似ていた」
ということになるのか。
「出てくる人間に、何かの共通点がある」
ということになるのか、それも、正直分からなかった。
ハッキリと見えているわけではないのに、自分の中で、
「以前の記憶を呼び起こすような何かがある」
と感じたということで、
「今回の事件解決への足掛かりになる」
といえるのであろうか?
逆に、
「混乱してしまうかも知れない」
と言えなくもないと思うと、
「しっかりと思い出して、自分の中で事件との絡みを納得させるしかない」
と考えてしまうのだった。
混乱してしまいそうな頭で、
「思い出すということが、却って頭を混乱させるということが往々にしてある」
ということを思わせるのであった。
そういう意味で、
「記憶というものが、それだけ曖昧なものだ」
ともいえるだろう。
しかし、その記憶というものがしっかりとしたものでなければいけない。
ともいえるだろう。
実際に曖昧な記憶の中から、一つのヒントが生み出されるということもある。
しかし、一歩間違えれば、その記憶違いというものが、災いするということだってあるのだ。
それを考えると、
「記憶操作」
というのが、
「人間の心理」
というものにおいて、まったく別の極端な発想につながってくるということだってあるのではないだろうか?
だから、
「記憶というものは、これほど怖いものはない」
といってもいいのではないだろうか?
そういう意味で、
「年を取ることに、記憶があいまいになってくる」
ということで、
「年を取るということの一番のネックは、記憶だ」
ということを老刑事は分かっている。
しかも、
「若い連中には、その記憶はないわけなのだから、こちらの記憶を頼りに、捜査をするということになれば、その記憶があいまいであれば、余計に、そんなものは信じられない」
ということになるだろう。
もちろん。若い連中には、
「記憶力」
というものは、少なくとも、老練の刑事に比べてはある。
それは、間違いなく、老練の刑事に比べて、有利に働くということは当たり前のことであり、このことが、事件解決に強い力になるということで、どうしても、
「年配の刑事よりも若い人を使いたい」
と思うのも、当然であろう。
確かに。
「老練の刑事には、経験もあれば、そこで培われたノウハウというものもある」
といえるだろう。
しかし、実際には、
「時代も変わり、ちょっと時間が経っただけで、過去のこと」
と言われ、
「やり方や考え方が古いと、ついてこれない」
と言われてしまうのだ。
「時代の流れに敏感でないと、刑事は務まらない」
という考えがあるのは当然のことで、
「ただ、時代というのは、繰り返すものだ」
ということを理解していないと、
「事件に立ち向かう刑事には、犯人を逮捕しても、事件解決ではない」
ということを分かっていなければいけない。
「犯人を逮捕するためには、逮捕の確証としての、物証であったり、自供というものが必要で、それがあるから、裁判所が、逮捕状を発行するのだ」
しかし、
「逮捕状が発行され、逮捕したとしても、それで終わりではない」
逮捕後に、
「事件の真相を、容疑者の口から利きだす必要がある」
だから、
「現場検証」
というのが、容疑者の立ち合いの元、行われる。
そこで少しでも矛盾が生じれば、
「起訴したとしても、公判を維持できない」
ということになる。
敵の弁護士というのは、
「真相を解明する」
ということよりも、
「被疑者の自由と財産を守る」
ということを最優先にするので、
「被告に有利な展開にもっていこう」
とするであろう。
当然、
「検察側の矛盾」
であったり、
「疑問点が少しでも浮かべば、そこを徹底的についてくる」
というのは当たり前のことである。
だから、
「警察というものが、ちゃんと捜査を行い、調書を取ったことが、すべて、検察側の武器というものになる」
そういう意味で、
「検察は、警察の味方」
ということになるのだろうが、あくまでも、
「敵は弁護士」
という、
「共通の敵」
という観点からであった。
しかし、
「警察と検察」
というものは、立場的にも違うといってもいいだろう。
実際に警察の捜査が、検察が望んでいるような、具体的には、
「裁判において、有利となり、こちらの情報としての武器になる」
というものでないといけないだろう。
老刑事が思い出した、
「古い記憶の事件」
というのは、そういう意味で、
「検察と警察の間で、溝があった」
と思う事件であった。
実際に、
「検察と警察の間の溝」
というのも、事実としてあったのだろうが、それよりも大きかったのは、
「相手の弁護士が優秀だった」
ということになるかも知れない。
裁判に関しては。完全に弁護士の方に主導権を握られていて。まるで、
「戦争において、制空権も、制海権もない状態」
といってもいいだろう。
戦闘機が飛び立とうとするのを、妨害電波などの影響で、
「レーダーがまったく役に立たない」
ということから、
「飛び上がった瞬間、打ち落とされる」
という運命にあるのと同じだ。
そこまで大げさなことはなかったのだが、警察側の証拠は、すべて、相手に解読されてしまっていて、繰り出すものはすべて、撃墜されるということになった。
裁判において、そのような状況になれば、
「検察側が提出する証拠は、すべて相手の攻撃目標となっていて。何を言っても、言い訳にしかならない」
という状況だったのだ。
それを考えると、
「警察や検察がここまで翻弄される」
ということは、老刑事にとって、初めてのことだった。
しかし、逆にいえば、
「ここまで徹底的に打ちのめされると、却ってあっさりしているものだ」
といえるだろう。
「飛び上がった瞬間に打ち落とされる」
というのは、
「まるで、もぐらたたきのようではないか」
といえるのではないだろうか?
そんな思いを感じたその時の事件が、
「本当に今回の事件と似ていたのかどうか?」
というのは、あくまでも曖昧だった。
それとも老刑事が感じたのは、
「未来が見えた」
ということなのかも知れない。
その未来というのは、
「警察と検察が、裁判で弁護士に徹底的に翻弄され、屈辱の思いを味わわないといけない」
という思いではないだろうか。
そこまで、
「未来が見える」



