繰り返す世代
ということで、犯人側は、警察に尻尾を掴まれることはなかったのであった。
中には、
「陰謀論」
のようなことをいう人の中に、
「ここまで警察が翻弄されるというのは、警察内部に内通者がいた」
ということから、
「逮捕されないのも、当たり前といえば当たり前だ」
ということになるであろう。
それを考えると、
「昭和と平成で、似た事件ではあるが、あまりにも対照的」
ということで、
「似て非なるもの」
として、
「継承事件」
といえるかどうか、難しいところであろう。
「昭和末期」
ということで、もう一つ大きな事件があった。
それは、事件のジャンルとして、いわゆる、
「詐欺事件」
というものだった。
それまでにも、
「細かいレベルにおいて、詐欺事件というのは、ここに発生していたのかも知れないが、昭和末期のその事件は、詐欺組織という意味での、会社が存在し、しかも、そのターゲットがハッキリと決まっていた」
ということが特徴だったといえるだろう。
そのターゲットというのが、
「一人暮らしのお年寄り」
というものだったのだ。
当時は、家庭が、
「核家族」
ということから、
「一人暮らしの老人」
というものが増えてきた。
しかし、社会福祉は、まだまだ充実していた時期だったので、
「定年退職」
というものが、
「55歳」
ということで、普通に仕事を續けていれば、
「それ以降は、悠々自適な余生が待っている」
ということであった。
別に働かなくとも、退職金や年金で、悠々自適ということである。
「子供たちが面倒をみてくれる」
ということで、
「年金や退職金はまるまるお小遣いにできる」
ということで、
「やりたいことをやりたいだけできる」
という、今から思えば、ユートピアのような世界だったことだろう。
今では、
「年金もまともにもらえない」
しかも、
「働いている若い時から、年金や税金、あるいは保険の天引きというのは、どんどん高くなっていき、それを、社会福祉のため」
といっておきながら、結果としては、
「税金はどんどん取られる」
しかし、
「社会福祉には、まったく影響していない」
ということで、
「若い間は、搾り取るだけ搾り取り、年を取ると、今度は、まるで、姥捨て山のごとく、社会から切り捨てられる」
というのが今の時代であった。
だが、昭和の末期は、
「一人暮らしで寂しいのだが、お金には不自由しない」
ということで、
「一人暮らしの老人の、孤独な心につけこむ」
という詐欺商法である。
「甘い言葉で近づいたり」
あるいは、
「色仕掛け」
ということであったりして、すっかり相手を油断させ、
「遺産を、譲る」
という遺言書を書かせてしまえば、こちらのものということである。
本人は死んでしまったのだから、分からないが、残された家族が、
「詐欺」
ということに気づくが、それでは後の祭りということである。
そもそも、
「生きている間に、なんとかしておかないとどうにもならない」
という計算が、詐欺グループにはあったわけで、そういう意味では、
「頭脳犯罪としては、頭がよかった」
といってもいいだろう。
しかし、実際には、
「発覚することは分かり切っていることであり、大きな社会問題を作り出した」
というだけであればまだよかったのだが、この時に、この組織のボスに囲み取材が行われているその時、一人の男が乱入し、
「社長を殺してしまった」
ということで、
「生放送中の殺人事件」
という放送事故に発展したのだ。
「こんな事態を誰が予測したであろう?」
もちろん、
「詐欺グループとして許されない人間ではあるが、さすがに、テレビの生中継で、殺害劇が放送される」
というのは、あまりにもセンセーショナルだったということになる。
それだけ、
「この事件」
つまりは、
「組織的な詐欺事件」
というのが、そもそも、センセーショナルであったのかということを、今さらながらに感じさせるものであった。
だが、結局は、社長が殺されたこと。
それで、会社が収拾がつかなかったということからか、
「事件は一過性のもの」
ということで、世間から忘れられるということになったのだ。
平成に入り、時代は、
「バブル景気」
というものから、あっという間に、
「バブルが崩壊してしまった」
ということから、混沌とした時代になってきた。
そのせいで。
「社会体制」
というものが、
「かなりの変化」
を伴い、
「それまでの常識」
というものが
「通用しなくなったという時代に入ってきた」
といってもいいだろう。
それが、
「昭和の末期」
という時代からの派生だといってもいいだろう。
そんな詐欺事件が、今の時代に影響しているかどうかというのは、ハッキリ言って、その程度までは分からない。
しかし、
「形を変えて」
ということであれば、
「平成の詐欺事件」
ということで、かなり流行った時期もあった。
その例として、
「オレオレ詐欺」
であったり、
「振り込め詐欺」
というものに代表される、
「一連の詐欺事件」
ということになるだろう。
それは、
「パソコンやネットの普及」
というものから出てきたものであった。
パソコンの中に入っている情報を、
「コンピュータウイルス」
というものを侵入させることによって、
「盗み出す」
ということで、すっかり、
「個人情報が盗まれる」
ということからの、
「パソコン操作によって、怪しいサイトに紛れ込ませ、そこで知らない間に課金させられている」
というような詐欺があったりもした。
要するに、
「パソコンやネットを使った詐欺」
というものも横行し、
「今の時代の詐欺」
と言われるものが生まれてきた。
ただ、
「組織的詐欺」
というのが始まったと言われるのが、昭和末期に起こった詐欺だったのかも知れない。
それを思えば、
「今の詐欺」
というのも、基本的には、
「オレオレ詐欺」
にしても、
「振り込め詐欺」
にしても、
「機械に詳しくない人間に、親切を装ってだますことで、相手を誘い込む」
というやり方に変わりはない。
ここで、共通のキーワードとしては、
「親切を装う」
ということになるのであろう。
それを考えると、
「詐欺というものが、親切という人情に訴える」
ということが、
「汚い」
と言われることになるのであろう。
そんな昭和の頃にあった事件というのを、思い出していると、老刑事の中にあった、
「デジャブ」
というものがおもいだされた気がした。
記憶の事件
「デジャブの事件」
ということであるが、それはあくまでも、
「大きな記憶」
というわけではなく、
「引っかかっていた記憶」
という程度のものだったはずだ。
次第に明らかになっていく記憶の中で、
「よくこの事件が引っかかっていたな」
という程度で、
「思い出せたのには、何か因縁でもなければできなかったのではないか?」



