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昭和からの因果応報

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 一郎とすれば、その時、奥さんからかなり言われていた。
「私は、もうお義父さんとこれ以上一緒に暮らすことはできません」
 ということだったのだ。
 息子は結婚してから、マンション暮らしを始めたが、そこで、本当であれば、夫婦水入らずで暮らすつもりだった。
 しかし、母親が死んでしまったことで、父親が一人になることから、
「別々に住んでいて、時々様子を見に行かなければいけなくなるよりも、一緒に住んでいた方がいいのではないか?」
 という一郎の話を信じて一緒に暮らし始めると、
「元々、堅物」
 ということは分かっていたが、それだけでは済まなかった。
 というのも、
「父親の妻。つまり、一郎の母親というのが、実に献身的な妻」
 ということで、
「よくできた嫁の鏡だ」
 といってもいいだろう。
 それが、父親の頭の中にこびりついていたので、本当は、
「ちゃんとした嫁」
 といってもいい義理の娘に対して、
「過剰なまでの、嫁を期待する」
 ということになってしまったのだ。
 そうなると、
「舅ち嫁の関係」
 ということで、最悪な状態になったというのも、当たり前のことだといえるであろう。
 被害者の家族構成ということでいけば、
「世間一般によくあること」
 といってもいいだろう。
 とはいえ、
「被害者が、実際には、思った以上の頑固者」
 ということで、果たして奥さんがどれだけの人だったのか?」
 ということも分からない。
 しかも、
「夫婦が被害者の家から出ていったというのは、もうその当時からも、数十年前だった」
 ということで、
「その時のわだかまりが、まさか今になって出てくるとは思えない」
 ということであった。
 そこで、刑事は、さらなる、
「別居後の家族関係」
 についても、いろいろ調べてみるということにした。
 しかし、実際には、
「ほとんど、被害者は、いつも一人」
 ということで、
「家族が訪れるところを見た」
 という人は一人もいなかったということであった。
 いくら、
「近所づきあいがない」
 といっても、家族が訪れたということであれば、別の意味で、この一人暮らしばかりの集落に対して、
「新鮮な風」
 のようなものが吹いてくるということで、
「誰かが気づいてもいい」
 といえるのではないだろうか?
 それを考えると、
「家族が来ていたということは考えにくいな」
 ということになり、
「とりあえず、家族は、捜査線上に保留」
 ということになった。
 もちろん、近親者ということで、容疑の外に置くわけにはいかない。
 実際に、
「死後5日くらい」
 ということで、アリバイを調べるにしても、ハッキリとした白黒はつけられないということから、
「保留」
 ということにしかならないということであろう。
 しかも、
「保険金に入っていた」
 というのは、捜査線上では、
「容疑者の一人」
 ということになる。
 本人は、
「知らない」
 といっているが、果たして、どこまで、言い切れるのかということも、ハッキリとしない状態だった。
 初期捜査としては、あまりにも分からないことが多かったのだ。
 そもそも、被害者が、
「孤独な老人」
 ということである、
 人間関係も、限られてくるに違いないのだ。
 そうなると、動機というものを考えた時、
「怨恨」
 ということよりも、
「被害者が死ぬことで誰が得をするか?」
 という方が、考えられるのではないだろうか?
 そうなると、
「保険受け取り」
 という意味で、
「息子が一番怪しい」
 ということになる。
 本人は、
「保険を掛けているなど知らなかった」
 ということを言っているが、警察は、
「怪しいものだ」
 と思っていた。
 しかし、
「被害者をよく知っている」
 という人であれば、
「それはそうだろうな」
 と証言したことだろう。
 というのは、
「あいつは堅物な性格で、実直なところがあるから、もし、保険を誰かのために掛けていたとしても、それを本人には言わないだろうな。それは、自分に対してという意味と、相手に対しての意味が両方存在するわけで、自分に対しては、自慢しているようで、それが恩着せがましくなることをもっとも嫌うやつだからな。そして、これが、相手のためだということであれば、あいつの性格上、自分に厳しい分、人に厳しいということだからな。しかも、その逆の、相手に厳しいから自分にも厳しいということを、片方からだけでなく言い切れるやつだから、そういう意味では、筋金入りの頑固なやつだといえるんじゃないかな?」
 ということになるのだ。
 もっとも、それを分かっている、
「昔からの親友」
 というのは、今は別の土地に住んでいる。
 しかも、
「被害者とは、今では交流していない」
 ということだった。
 というのも、
「その親友が近くにいない」
 ということがその理由だった。
 というのも、その親友は、息子夫婦に、
「お父さんのことが心配だから、俺たちと一緒に住もう」
 といってくれたのだという。
 そんなことを、被害者にいえるわけはないではないか。
 孤独な毎日というのは、
「自分も望んでいる」
 ということではあるが、体裁的には、
「息子夫婦が出ていった」
 ということになっている。
 しかも、若い人たちの間では、
「頑固おやじに耐えかねて、息子夫婦が出ていった」
 ということになっている。
 間違いではないが、そんな被害者に対して、しかも、親友の立場の人間が、まるで自慢しているかのように、
「息子夫婦が一緒に住もうといってくれた」
 ということで、その言葉に従ったのだから、被害者とすれば、
「裏切られた」
 という感情を抱いても仕方がないだろう。
 もっとも、親友としても、
「そう思われても仕方がない」
 という思いと、
「あいつのことだから、きっとそう思うに違いない」
 という、
「世間一般として考えたとしても、親友だから、何でもあいつのことは分かるんだ」
 ということであったとしても、
「どう転んでも、言い訳にしかならない」
 と思うと、
「連絡が取りずらい」
 というのも、当たり前のことであった。
 実際にその親友は連絡といっても、ほとんどとっているわけではなく、
「ここ十年くらいは、一年に一度くらいしか連絡を取っていなかったかも知れないですね」
 ということであった。
 本人が言っているだけのことで、
「こんなところで嘘を言って、親友にとって、何の得があるのか?」
 ということである。
 あくまでも話を聞いたのは、
「被害者のことを聞きたい」
 ということが目的で、話を聞いていると、
「容疑者からも外れる」
 といってもいいであろう。
 そうなると、あとは、近くに住んでいる人を調べるしかなかった。
「遠くの親戚よりも近くの他人」
 と言われるように、今の時代は、確かにそうである。
 昭和の頃くらいまでは、
「血のつながり」
 ということで、
「血は水よりも濃い」
 などと言われていたが、そんな時代ではなくなったということであろう。
 ただ、今の時代は、
「遠くの親戚よりも近くの他人」
 という言葉も当てはまらなくなってきている。
作品名:昭和からの因果応報 作家名:森本晃次