昭和からの因果応報
「宝の持ち腐れ」
ということになる。
つまりは、
「商売もできないのに、商売に手を出してしまった」
ということでの、勉強不足から、多大な借金を抱え込むようになったという人が多かったということだ。
だから、
「マンションを建てた」
はいいが、それを購入する人がいなくなり、結局、入居者が、ほとんどいないということで、
「維持費と、固定資産材」
というもので、借金がかさむということになるだろう。
だから、都心部には、一時期、
「入居者のいないマンションがたくさんあふれた」
ということで、土地の値段がどんどん下がっていくことで、売るにも売れないということになるのだった。
それでも、
「背に腹は代えられない」
ということで、最終的には、
「二束三文」
ということで売ることになるのだろうが、買った方も、その利用には、頭を悩ませたことだろう。
バブルの時期は、
「テーマパークブーム」
ということで、各県にいくつもの、
「テーマパーク」
なるものがあったが、数年でつぶれてしまったことで、その跡地には、
「マンションが建つ」
ということもあったが、大体は、
「大型商業施設」
などが多く入ったりした。
そもそも、バブルの時期から増えてきた、
「郊外型の大型商業施設」
というものであったが、
「テーマパーク」
のように、
「ショッピングをしながら、レジャーを楽しむ」
ということを目的に作られたのではないかと思えるものだった。
そういう意味では、
「テーマパーク同様に、ブームが去れば、すたれていくのではないか?」
とも考えられたが、実際にはそうではなかった。
一つには、
「都心部や、駅前などの、昭和の時代の従来から存在していた商店街というものが、大型商業施設の進出によって、すたれてきた」
ということがあった。
交通手段に、自家用車が普及してくると、郊外に、大きな駐車場を備えた商業施設があることで、それまでのテーマパークほど、お金を使うこともなく、
「一日遊べる」
という大型商業施設は、重宝された。
しかも、普通のレジャーランドとは違い、大型商業施設のほとんどが、
「買い物をする」
というところなので、
「必要なものを買いに来た」
ということで、そのついでに、ゲームセンターや、スポーツ施設などといった、
「アミューズメントパーク」
が備わっていることから、
「一日に使う金額」
というものを最初から決めていれば、移動することなく、
「買い物」
というものから、
「レジャー」
さらには、飲食に至るまで、一か所で済ませることができると考えると、
「入場料がいらない分、駐車料金を取られても、安上がりだ」
といってもいいだろう。
しかも、都心部には、マンションはどんどんできるが、商業施設は、衰退したままである。
一時期は、田舎を切り開いてまで、土地開発をすることはなかったのは、
「バブル崩壊の影響」
というものが残っていたからだろう。
「10年前の事件」
というのは、そんな時期に、都心部というか、
「都心部への通勤圏内」
という、一種の、
「ベッドタウン」
と呼ばれる地域で起こったことだった。
最寄り駅まで、徒歩で約20分くらい、
そして、電車で会社がある都心部までは、約30分という、
「実に交通の便からすれば、最高の場所にあった」
といってもいいだろう。
その場所は、まわりをマンションに囲まれているが、その一角にあった、
「昭和の昔」
を思わせるような、平屋建ての、
「災害があれば、あっという間に壊れてしまいそうな」
と言われるところにあったところであった。
今では、すでに、そんな平屋建ての区域はなくなっていて、
「市の区画整理」
ということで、
「未知の拡張」
というものが計画されていた。
というのも、
「さすがに老朽化」
ということで、
「その土地建物の危険性」
というものが叫ばれるようになり、
「半分は、強制執行」
ということで、立ち退きを余儀なくされたが、意外にも、それに対して住民の反対というのは、少なかった。
「お金さえもらえれば」
というドライな考えの人も結構いて、
「俺たちは、そんな昭和の頃のように、土地に執着するというわけではないからな」
といっていたのだ。
別に、
「先祖代々の土地」
というこだわりがあるわけではなく、
「昭和時代のように、家というものがあったわけではないので、金さえもらえれば、別にこの土地にこだわる必要はない」
という人が多かったのだ。
そもそも、
「老朽化」
というのは、どうしようもなく、
「家を建て直す」
としても、土地を少し売却しないと、建て替えの岡部が出るわけではないということであったのだ。
それを考えると、
「立ち退き料をもらって、どこかのマンションでも買った方がいい」
と考えるのも当たり前で、
「そもそも、平屋に住んでいる人というのは、一人暮らしの人が多かったのであった」
ということであった。
しかし、10年前というと、立ち退いた人も結構いたが、まだまだ粘り強く、残っているという人もいたのだ。
「せっかくまだ住める」
と思っている人もいただろうが、中には、
「値段を釣り上げてやろう」
という思いを抱いていた人もいただろう。
それでも、そこに残っていた人のほとんどは、一人暮らしの老人ばかりであった。
「孤独死」
というものを普通なら考えるであろうに。
と考えてしかるべきであろうが、そこに残っている人にとって、
「別に、今さらどうでもいい」
と考えている人が多かった。
つまりは、
「どうせ、そのうちに死ぬのだから、何も今さら動いたって仕方がない」
ということで、
「土地に執着がある」
ということであったり、
「どうせなら、根を釣り上げてやろう」
などという人も少なからずいたが、本音は、
「もう動きたくない」
という、
「ものぐさな気持ち」
というものが強かったのだろう。
だから、本当は、
「動こうが動かなかろうが、どっちでもいい」
ということである。
実際に、土地建物を有しているわけなので、それを売れば、残り少ない人生を考えると、
「余生の余生は、何不自由もなく」
とも考えられる。
しかし、
「それでも動くのが面倒くさい」
と思っている。
それだけ、
「人生というものが諦めの心境だ」
といってもいいだろう。
「若い連中が、何をそんなに世捨て人のような自分たちに躍起になって、しかも、
ペコペコ頭を下げるというんだ」
とばかりに、
「逆に、それが面白い」
とばかりに、
「年老いた俺にとっての唯一の楽しみだわい」
と考えている人もいただろう。
昭和から、平成、令和」
と生き抜いてきて、高度成長時代から、バブル経済、さらには、その崩壊からこっちという、
「激動の時代」
というものを見てきたことで、感じたことも結構ある。
特に、政府に対しては、少なからずの不満を持っているのは、全員が全員ということいなるだろう。
それは、
「年金問題一つをとっても、いえることだ」
ということであった、



