小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

昭和からの因果応報

INDEX|2ページ/16ページ|

次のページ前のページ
 

 もっといえば、
「対角線というものは、見えないものであり、どうして見えないのかというと、それだけ細いものということで、本当にそれぞれに力が均衡しているからではないか?」
 といえるからだと思えるのだ。
 しかも、
「外壁を彩る図形として、一番力の強いもの」
 ということになる。
 それぞれの相互関係が、完全に、均衡が取れている場合は、
「三つ巴」
 ということになり、
「それぞれに、少しでも力関係が存在する」
 ということになれば、それが、
「三すくみ」
 となるのだ。
 もし、それぞれに力関係に、これ以外のものがあれば、
「正三角形」
 としての力がないということになり、
「その存在意義がmなくなるのではないか?」
 ということであった。
 そう考えると、
「三角形というのは、他の図形や幾何学模様とは違い、不思議な力を持っているということの証明になる」
 といってもいいだろう。
 だからこそ、
「バミューダトライアングル」
 と言われるものであったり、
「ピラミッドパワー」
 というものが、力を持っていると言われるゆえんなのではないだろうか?
 実際に、いわゆる、
「三角関係」
 というものが、災いの種として効力を発揮するということであれば、これは、完全に、
「三すくみ状態になっている時」
 といってもいいだろう。
 特に、
「男女しかいない人間関係の中であるから、必ず、どちらかがたくさんいる」
 ということになる。
 そういう意味で、
「三すくみ」
 という関係ではあるが、性別の問題から、
「絶対的な三すくみ」
 ということにはならず、
「必ずどこかが崩れる」
 ということになり、当然、
「抑止力になることはない」
 といえるだろう。
 それを考えると、
「三すくみというものは、絶対的な力関係が存在しないとありえない」
 といってもいいだろう。
 ただ、このような。
「三すくみの関係」
 というものが、成立してしまうと、最後には、
「勝負がつかない」
 ということになるだろう。
 そうなってしまうと、
「全滅」
 ということになるのだ。
 そもそも、
「三すくみの関係」
 というものは、
「抑止力」
 ということで、
「身動きが取れない」
 というものだ。
 そして、
「最初に動いたものは、絶対に生き残れない」
 ということで、
「誰が生き残れるのか?」
 ということになると、
「最初に動いた者に対して、絶対的な力を持っている者」
 ということになるのだ。
 これが、三すくみの関係ということで、そもそも、
「二国間」
 ということであれば、
「どちらも身動きができない」
 ということになるのだ。
「三すくみ」
 であろうが、完全に力が均衡している間であったとしても、生き残れないとすれば、
「最初に動いた者」
 ということになるであろう。
 三角形という形は、
「内角の和」
 というものが、
「180度」
 と言われている。
 これは、
「四角形」
 と違って、
「360度:
 というものではないということから、
「元のところに戻ってくる」
 ということではない。
「まったく正反対のもの」
 ということで、
 それぞれ単独であれば、均衡が保てているが、その三つを並列にして、一直線につなげば、
「一直線ということではなくなってしまい、見えてくるのは、別の世界」
 ということになるのではないか?
 そういう意味で、
「三角形というものには、未知の力がみなぎっていて、目に見えない力があるのではないだろうか?」
 ということから、
「バミューダトライアングル」
 であったり。
「ピラミッドパワー」
 などという力が潜んでいる
 と考えてもいいように思える。
 そんな、
「三角形」
 という図形に、不思議な力というものを感じながら、世の中における、
「いろいろな三角形」
 というのを思い浮かべたりしている。
 もちろん、
「バミューダトライアングル」
 であったり。
「ピラミッドパワー」
 と言った、
「形あるもの」
 というのもあれば、
「三角関係」
 であったり、
「三すくみ」
「三つ巴」
 と言った、
「形のないもの」
 というのも存在していて、
「形ないもの」
 ということで、実際には見えないものという意味での、
「まだ誰も気づいていない三角形」
 というものが存在しているのかも知れない。
 しかし、それは、そもそも、今存在している、
「三角形」
 というものをヒントにして考えられるというものであり、
「派生型」
 といってもいいのではないだろうか?
 それらの、
「形あるもの」
 であったり、
「形なきもの」
 であったりしても、
「理論的に同じもの」
 ということであれば、
「その効果は、類似したものとなるに違いない」
 といえるのではないだろうか?
 それを考えると、
「人間界に無数に存在する事象」
 というものの中で、
「どれほどの三角形というものが存在しているというのか?」
 興味深いことである。
 そんな三角形を感じさせる事件が起こったのは、今から10年前のことであった。

                 10年前の殺人事件

 忘れかけている人も多い中で、実際には、
「迷宮入り」
 となった事件であるが、こんな事件というのは、
「どこにでもある殺人事件」
 ということで、警察による、
「通り一遍の捜査」
 というものが、
「結局は真相にたどり着けなかったことになる」
 といってもいいのかも知れない。
 しかし、実際に殺人事件というものが起こる中で、
「警察も忙しい」
 と言いたくなっても仕方がない時期だったのかも知れない。
 実際に、その時期、警察が、
「どれほどの案件を抱えていたのか?」
 ということを、今となっては、窺い知ることはできないが、同じ警察内において、
「この事件に関して、捜査員の中には少なくとも、あまり関心を示さない」
 という人が多くなったということは、分かる気がした。
 ただ、
「気になっていた刑事」
 というのはいるもので、その人は、独自に操作をしているようだった。
「まるで、刑事ドラマのようじゃないか」
 といって、一笑されることであろう。
 しかし、実際に事件が解決してしまって、真相が明らかになってくると、
「あの時の刑事が、もう少し考えてみれば、分かったことじゃないのか?」
 と思う人もいるかも知れないが、
「あのまま捜査していても、結局は変わりはない」
 という人もいる。
「そこに、どのような違いがあるというのだろうか?」
 ということであるが、
「警察というものは、事件をどのような方向から見なければいけないのか?」
 というのは、ある程度マニュアル化されているだろう。
 しかも、殺人事件などというものになれば、当然、どこかの署に、
「捜査本部」
 を設立して、事件によっては。
「特捜」
 というものが、捜査に当たるということになるだろう。
「刑事ドラマなどを見ていれば分かることだ」
 ということである。
 ただ、警察というのは、
「基本的に、庶民から疎まれている」
 といってもいいだろう。
 普段から、ちょっとしたことでは、
作品名:昭和からの因果応報 作家名:森本晃次