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循環という限界

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 だから、無限というものを考えた時、
「理屈ではありえても、現実ではありえない」
 という場合、その辻褄を合わせるために、納得できる発想を創造しようと考えた時、生まれてくる発想が、
「同じことを繰り返す」
 という発想である。
 そもそも、世の中は、
「循環」
 というものから成り立っている。
「自然の摂理」
 というものもそうであり、
「諸行無常」
「盛者必衰」
 という言葉からも、
「形あるものは、必ず滅びる」
 ということで、
「この世に、不老不死というものはありえない」
 といってもいいだろう。
 もちろん、
「不老不死というものを、望んでいる」
 という人はたくさんいるだろう。
 実際に、
「妖怪が、不老不死というものを求める」
 という話だってあるではないか。
 だが、人間というものは、
「一人では生きていけない」
 ということで、
「いくら不老不死をえられた」
 としても、
「自分が知っている人が皆死んでしまい、自分だけが残された世界」
 が次の世代には広がっているわけで、不老不死の人間というものが、
「次の世代」
 で受け入れられるということなどありえないと思われるのだ。
 しかし、
「不老不死」
 というものは、
「他の人も同じように不老不死ということであれば、皆が幸せになれる」
 というものではない。
 人間を取り巻く環境が、すべて、
「循環していない」
 ということであればいいのであるが、少なくとも、
「自然の摂理」
 ということで、
「人間以外のものが、諸行無常ということであれば、人間だけが不老不死ということであっても、そこに、幸福はありえない」
 といえるのではないだろうか?
 それを考えると、
「限界」
 というものが存在する以上、逆の発想として、
「パラレルワールド」
 というものの存在が、
「逆に証明された」
 といってもいいのではないだろうか?
 この世界を無限であるという感覚でいるから、
「他の世界は、存在しない」
 という発想になるのかも知れない。
 だからこそ、
「他の世界の存在を否定したくなる」
 というのも分からなくもないが、この、
「パラレルワールド」
 という発想は、今までに、
「宇宙が一つだ」
 と考えていたからこそ、解けなかった謎が解けてくることになったといってもいいのではないだろうか?
 確かに今の時代は、いろいろな学者が、いろいろなジャンルの学問から、その証明を考える・
 もっといえば、
「それら、たくさんのジャンルに精通しているのが、SFというジャンルなのだ」
 といえるだろう。
 そう考えると、
「SFというものも、一種の学問だ」
 といってもいいかも知れない。
 そんな思いから、あおいは、
「もう一人の自分」
 つまり、
「パラレルワールドの自分」
 というものを創造してみようと思ったのだ。
 そして、その前提として考えることは、
「パラレルワールドは未来」
 という考え方である。
「自分たちよりも、はるかに発展した世界というものが広がっている」
 という理屈である。
 そして、未来はあくまでも、
「過去の積み重ね」
 ということであり、
「未来の人は、過去のことを熟知している」
 ということを前提に考えるのだ。
 ただ、現在においては、過去のことを分かっているわけではない。
 あくまでも、
「歴史」
 という学問としてのジャンルが、その、
「過去」
 というもののすべてだと考えると、
「ほとんど知られていない」
 といってもいいだろう。
 もっといえば、
「今まで言われてきたことが、違っていた」
 という段階にやっと入ってきたという段階で、これから、どのような発想になってくるのかということは分からないが、少なくとも、着実に、
「歴史は明らかにされてきた」
 といってもいいだろう。
 そして、
「タイムマシン」
 というもので、過去にいかなくても、過去を確認することができるものが開発されれば、
「歴史というものを明らかにする」
 ということへの段階が一歩進むといってもいいだろう。
「歴史を熟知する」
 ということは、
「何かの装置を使わなければ人間では不可能だ」
 といえるのではないだろうか?
 というのは、
「歴史を理解し、正否を明らかにするには、同じだけの時間が必要である」
 ということである。
 つまりは、
「一時間の間に、歴史を理解しようとすれば、一時間分しかできない」
 ということになる。
 なぜなら、
「時間軸というものは、つながっている」
 ということであり、
「それを理解するには、少なくとも、同じだけの時間が必要だ」
 ということになるのだ。
 そもそも、
「太古からの歴史」
 というものを分かっているだけのことを勉強しようとすれば、
「教科書一冊でできるわけがない」
 ということである。
 同じだけの時間を使って、その時々の心情をすべて理解していないと、
「正しい歴史認識などできるわけはない」
 もっといえば、
「人一人一人に、歴史というものが存在するわけで、それを考えると、一つの時代を理解するだけで、どれだけの人間が、どれだけの時間を費やさなければいけないか?」
 ということになる。
 それが、
「無限」
 という曖昧な発想になってくるということになるのではないだろうか?
 だから、
「無限」
 というものと、
「限界」
 との境界線というものが、いわゆる、
「未知との遭遇」
 といえるのではないだろうか?
 それが、
「異世界」
 というものであったり、
「パラレルワールド」
 と呼ばれるものではないだろうか?
 あおいが、創造した、
「パラレルワールド」
 は、
「未知の世界」
 であり、その発想が、
「未来という世界」
 であったのだ。
 そこは、
「科学力は、果てしなく、この時代の、現代と呼ばれる時代とは、比べ物にならないほと発達している」
 知能の発達しているが、その分、身体が退化したという世界であった。
 あおいは、あまりアニメや、昭和の頃のSF作品なども見ることはなかった。
 だから、
「自分の創造した世界」
 というものが、昔からあった世界だということを、あまり認識していない。
 その世界においては、
「今の時点では、解決することは不可能だ」
 と言われた、
「ロボット開発」
 というものであったり、
「タイムマシン」
 というものも、ちゃんとできている時代だったのだ。
 実際には、
「ロボット開発も、タイムマシンも、その歴史からいえば、結構早いうちに解決され、開発された」
 というものであったが、なかなかできなかったのが、
「パラレルワールドを超える壁」
 というものであった。
「タイムマシン」
 というのは、
「異次元を超える」
 という意味で、解釈上も、
「かなり難しい」
 と言われたが、それ以上に、
「同一次元、同一時間に存在している」
 というパラレルワールドを超えることが、なかなかできなかったのだ。
 これができるようになったきっかけというのが、
「路傍の石」
 の発想だった。
 この発想は。
「近くにあり、見えているのに、意識として作用しない」
 というものである。
作品名:循環という限界 作家名:森本晃次