小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

循環という限界

INDEX|14ページ/14ページ|

前のページ
 

 これが、
「人間特有のものだ」
 ということを考えると、
「灯台下暗し」
 と言われるように、この発想が、人間に、
「無限の可能性」
 というものを打破させ、そして、
「フレーム問題を解決させるきっかけになった」
 ということになった。
 さすがに、未来の人の大半は、そんな難しいことを理解はできていなかったが、彼らには、生まれてからすぐに、頭の中に、
「マイクロチップ」
 というものを埋め込まれていた。
「行政の手間を省く」
 という理屈もあった。
 実際に、現在でも、平成の頃であれば、
「住基ネット」
 と呼ばれるもの。
 令和であれば、
「マイナンバー」
 と言われるものを持ったが、時代が進むと、それを、個人の身体い埋め込むという技術が開発されたことで、ちょっとして光線を照射することで、簡単に、身体にそれらの情報が埋め込まれるということであった。
 しかし、それ以上に、
「科学の粋を生かした、人間共通の電子頭脳」
 というものを埋め込むことになったのだ。
 これはあくまでも、
「知能」
 というものではないので、ロボットにおける、
「人工知能」
 というものとは違うのだった。
 これらの未来の世界というのは、やたらと、こちらの世界を気にしている。
 ずっと昔から、こちらの時代を監視していたことに間違いはないのだが、
「なぜ、そんなに意識するのか?」
 ということを考えた。
 なぜなら、
「彼らには、こちらにはない信じられないほどの科学力があり、それだけで十分のはずだと思えるのに、何が気になるというのか?」
 ということだからだ。
「こちらからは、向こうが見えないだけに気になるところだ」
 ということであったが、相手にも、こちらが自分たちのことを知っているのかどうか、分からないようで、少なくとも、そこは気になっているようだった。
 だから、
「向こうの世界の科学力」
 というもので、こちらからは絶対に見えないようなシールドを張っているのは間違いないといえるだろう。
 しかし、
「人の考えに触れることはできない」
 道義的にもできないといってもいい。というのは、
「過去を変えることになる」
 ということと、理屈は一緒だからだ。
 そして、
「彼らには、まるで過去を変えたことでどうなってしまうのか?」
 というのが分かっているといえるのではないだろうか?
 もう一つ、あおいが考えたのは、
「果たして、パラレルワールドが未来の自分たちだ」
 といって、
「それは、人間が現代と同じだ」
 ということを考えると、
「自分たちがそのまま、未来に行った」
 という世界だといえる。
 もちろん、未来のことを分かっていて、現在を過去だという認識でいるとすれば、
「過去を変えてはいけない」
 という、
「タイムパラドックス」
 という発想が同じであるとするならば、
「彼らにとって、こっちの世界は、恐怖でしかない」
 といえるだろう。
 もちろん、
「過去に何等かの影響を与えないように、垣間見るだけ」
 ということはできるだろうが、
「向こうの人にこっちの人間だ」
 ということがバレてしまうと、それこそ、
「過去を変える」
 という発想と同じことになると考えると、
「ドッペルゲンガーとして、あちらの人間を見てしまうと、向こうの人間が、その人間を抹殺しなければならなくなり、向こうの人間だけではなく、こちらの人間。もっといえば、ドッペルゲンガーがマルチで存在していれば、その数だけ、抹殺しないといけない」
 ということになるだろう。
 つまりは、
「すべての歴史からの抹消」
 ということになる。
「では、もし、どこかの世界で、その人が死んだ」
 ということになれば、
「他の世界でも、死ななければいけないのか?」
 と考える。
 そうなると、
「パラレルワールド」
 というのは、
「鏡に映った世界」
 のような発想になるわけで、もし、それが、マルチに存在するということであれば、それこそ、
「合わせ鏡の発想」
 ということになる、
 そこで、
「単独の世界を、点と線という発想からの一次元」
 と考えれば、
「鏡に映った世界」
 というのは、
「平面である二次元の世界」
 さらに、
「合わせ鏡というのが、厚さというものを持っていると考えると、立体である三次元という発想になる」
 といってもいいだろう。
 しかし、今の時点で、
「合わせ鏡以上の発想」
 というものが思い浮かばない。
 それを、
「次元」
 という発想と重ね合わせると、
「次元というものの上位である、四次元の世界の発想」
 というものを、今の世界でできないのは、
「合わせ鏡以上を創造できない」
 ということからもいえるのではないだろうか?
 もし、その発想が、
「無限と限界」
 というもののはざまに存在していると考えると、そこで生まれてくる発想というのが、
「循環」
 という発想になるのだ。
「自然の摂理」
 というものであったり、
「輪廻転生」
 という発想はそこから出てくるといってもいいだろう。
 さらに、その発想を進展させると、
「パラレルワールド」
 という
「並行世界」
 というものであっても、そこに存在している人の運命、つまりは、
「寿命」
 というものは、同じだといえるのではないか。
 その発想が、結局は、
「いろいろな世界が創造されるが、その最上位に位置しているのは、ドッペルゲンガーというものの発想ではないか?」
 といえる気がする。
 実際に、
「パラレルワールド」
 という世界で、新たな発想が生まれるとすれば、
「限界というものがあるからこそ、それぞれの世界が存在するわけで、もし、世界全体に限界が訪れるとすれば、最終的に、果てしない無限という一つの大きな世界が、できあがるということになるのではないだろうか?」

                 (  完  )
64


作品名:循環という限界 作家名:森本晃次