循環という限界
これが、
「人間特有のものだ」
ということを考えると、
「灯台下暗し」
と言われるように、この発想が、人間に、
「無限の可能性」
というものを打破させ、そして、
「フレーム問題を解決させるきっかけになった」
ということになった。
さすがに、未来の人の大半は、そんな難しいことを理解はできていなかったが、彼らには、生まれてからすぐに、頭の中に、
「マイクロチップ」
というものを埋め込まれていた。
「行政の手間を省く」
という理屈もあった。
実際に、現在でも、平成の頃であれば、
「住基ネット」
と呼ばれるもの。
令和であれば、
「マイナンバー」
と言われるものを持ったが、時代が進むと、それを、個人の身体い埋め込むという技術が開発されたことで、ちょっとして光線を照射することで、簡単に、身体にそれらの情報が埋め込まれるということであった。
しかし、それ以上に、
「科学の粋を生かした、人間共通の電子頭脳」
というものを埋め込むことになったのだ。
これはあくまでも、
「知能」
というものではないので、ロボットにおける、
「人工知能」
というものとは違うのだった。
これらの未来の世界というのは、やたらと、こちらの世界を気にしている。
ずっと昔から、こちらの時代を監視していたことに間違いはないのだが、
「なぜ、そんなに意識するのか?」
ということを考えた。
なぜなら、
「彼らには、こちらにはない信じられないほどの科学力があり、それだけで十分のはずだと思えるのに、何が気になるというのか?」
ということだからだ。
「こちらからは、向こうが見えないだけに気になるところだ」
ということであったが、相手にも、こちらが自分たちのことを知っているのかどうか、分からないようで、少なくとも、そこは気になっているようだった。
だから、
「向こうの世界の科学力」
というもので、こちらからは絶対に見えないようなシールドを張っているのは間違いないといえるだろう。
しかし、
「人の考えに触れることはできない」
道義的にもできないといってもいい。というのは、
「過去を変えることになる」
ということと、理屈は一緒だからだ。
そして、
「彼らには、まるで過去を変えたことでどうなってしまうのか?」
というのが分かっているといえるのではないだろうか?
もう一つ、あおいが考えたのは、
「果たして、パラレルワールドが未来の自分たちだ」
といって、
「それは、人間が現代と同じだ」
ということを考えると、
「自分たちがそのまま、未来に行った」
という世界だといえる。
もちろん、未来のことを分かっていて、現在を過去だという認識でいるとすれば、
「過去を変えてはいけない」
という、
「タイムパラドックス」
という発想が同じであるとするならば、
「彼らにとって、こっちの世界は、恐怖でしかない」
といえるだろう。
もちろん、
「過去に何等かの影響を与えないように、垣間見るだけ」
ということはできるだろうが、
「向こうの人にこっちの人間だ」
ということがバレてしまうと、それこそ、
「過去を変える」
という発想と同じことになると考えると、
「ドッペルゲンガーとして、あちらの人間を見てしまうと、向こうの人間が、その人間を抹殺しなければならなくなり、向こうの人間だけではなく、こちらの人間。もっといえば、ドッペルゲンガーがマルチで存在していれば、その数だけ、抹殺しないといけない」
ということになるだろう。
つまりは、
「すべての歴史からの抹消」
ということになる。
「では、もし、どこかの世界で、その人が死んだ」
ということになれば、
「他の世界でも、死ななければいけないのか?」
と考える。
そうなると、
「パラレルワールド」
というのは、
「鏡に映った世界」
のような発想になるわけで、もし、それが、マルチに存在するということであれば、それこそ、
「合わせ鏡の発想」
ということになる、
そこで、
「単独の世界を、点と線という発想からの一次元」
と考えれば、
「鏡に映った世界」
というのは、
「平面である二次元の世界」
さらに、
「合わせ鏡というのが、厚さというものを持っていると考えると、立体である三次元という発想になる」
といってもいいだろう。
しかし、今の時点で、
「合わせ鏡以上の発想」
というものが思い浮かばない。
それを、
「次元」
という発想と重ね合わせると、
「次元というものの上位である、四次元の世界の発想」
というものを、今の世界でできないのは、
「合わせ鏡以上を創造できない」
ということからもいえるのではないだろうか?
もし、その発想が、
「無限と限界」
というもののはざまに存在していると考えると、そこで生まれてくる発想というのが、
「循環」
という発想になるのだ。
「自然の摂理」
というものであったり、
「輪廻転生」
という発想はそこから出てくるといってもいいだろう。
さらに、その発想を進展させると、
「パラレルワールド」
という
「並行世界」
というものであっても、そこに存在している人の運命、つまりは、
「寿命」
というものは、同じだといえるのではないか。
その発想が、結局は、
「いろいろな世界が創造されるが、その最上位に位置しているのは、ドッペルゲンガーというものの発想ではないか?」
といえる気がする。
実際に、
「パラレルワールド」
という世界で、新たな発想が生まれるとすれば、
「限界というものがあるからこそ、それぞれの世界が存在するわけで、もし、世界全体に限界が訪れるとすれば、最終的に、果てしない無限という一つの大きな世界が、できあがるということになるのではないだろうか?」
( 完 )
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