表裏のスパイラル
「正悪というものを決め、最終的の収拾のために、悪を正す」
という形を作らなければいけない」
ということになるのだ。
だから、
「世の中には、いろいろな収拾をつけるため」
ということで、
「それぞれに裏表がある」
といってもいいだろう。
今回発生した事件というのは、そんな
「裏表のあるものだ」
といってもいいかも知れない。
警察なら、
「縦と横」
というところであろう。
横の関係というのは、縦の関係というほどの、
「揺るがすことのできない硬い関係」
というわけではないが、昔からの伝統のようなものから、
「逆に、その問題をはぐらかすことはできない」
といってもいいだろう。
縦の関係が、
「官僚制度」
というものであったり、
「階級制」
というものからきているとすれば、
「横の関係」
というのは、それこそ、
「縄張り意識」
というものが問題になっている。
これが、
「個人」
ということでも、結構な問題であるが、これが、
「組織や団体」
というものでも、その性質は違っているとしても、その原因となるものに、変わりは合いといってもいいだろう。
それが何かというと、
「プライド」
というものである。
プライドというものは、
「人間関係にとっては、実に面倒くさいものだ」
といっておいいが、逆に、
「プライドがないと人間ではない」
といってもいいほどに、必要なものだといえるのではないだろうか。
つまり、
「必要悪」
と呼ばれるものなのかも知れない。
「プライドというのを持っていないと、人間は生きていけない」
といっていいかも知れない。
プライドというものがあるから、
「人間は迷ったりする」
ということであるが、逆に、
「そのプライドがあることで、立ち直るきっかけというものを掴むことができる」
というものである。
これこそ、
「タマゴが先かニワトリが先か?」
と言われるようなものであり、
「どちらが先か?」
ということに対しての、
「永遠のテーマ」
ということになるのではないだろうか?
つまりは。
「プライドがあるから、ややこしいことに巻き込まれるが、プライドがあるから、立ち直りもできる」
ということである。
しかし、最初に、立ち直りというものがあるということはありえない。
立ち直るためには、落ち込む必要があるというわけで、プライドが、直接の原因となることはないだろう」
ということを考えると、
「もし、プライドというスパイラルが最初に原因を引き起こすとするならば、立ち直りからしかない」
というわけで、そう考えると、
「きっかけや、入り口」
というものは、何がきっかけであったとしても、
「立ち直るためのプライドが影響しているということはない」
ということになる。
これは、
「輪廻転生」
ということにも言えるわけで、
「最初から地獄だったとは言えない」
ということを結論として考えれば、納得がいくことだ。
なんといっても、宗教的にいっても、
「地獄から、人間が生まれるということはない」
ということであって。さらにいえば、
「最初が人間でなければ、人間に生まれ変わることができない」
ということからであった。
「前世は虫だった」
などと言われるが。本当にそうであろうか?
人間には、人間としての特殊な遺伝子があり、元々人間でなければ人間に生まれ変わることはできないといえるのではないだろうか?
それと同じで、
「表裏というものが存在しているとしても、その表裏は、あくまでも人間でしかない」
と考えると、
「人間も、人間以外に生まれてくる」
ということはない。
そして、
「人間が、人間に生まれ変わることができない」
ということがあり得るということであれば、
「人口はどんどん減り続けている」
といってもいいかも知れない。
それでも増え続けているということは、そこに、
「一人一人生きている時代が違う」
ということからいえるのではないだろうか?
そう考えると、一つの考え方として、
「誰かが死んだその瞬間に、必ず、その人がその瞬間に生まれ変わっているのではないか?」
と考えられるのだ。
かなり無理の多い考え方であるが、
「人間は、前世の記憶を持たない」
ということも、
「誰かが死んだ瞬間、生まれ変わりの人が必ずいるはずだ」
と考えると、理屈に合うかも知れない。
「新しい人間として生まれる」
ということのために、
「記憶をリセットする」
ということであれば、
「生まれ変わりで、新しい命を吹き込むと考えると、記憶をまったく消去するためには、前世というものの存在すら、考えさせないようにする」
ということになるのではないかと考えられる。
人口がどんどん少なくなるのを調整しているのは、
「頻繁に生まれ変わりを行う」
と考えるからであろう。
「一つの生き物が増える」
ということは、他の種族も増えないと理屈に合わない。
というのは、
「自然の摂理」
というものから、それぞれの比率は一定でなければまずいことになるだろう。
例えば、ヘビの主食がカエルだとすれば、
「ヘビの数が増えると、カエルも増えないと、食料がなくなるので、ヘビもどんどん減っていく」
という理屈になる。
しかし、
「ヘビもカエルも、そんなに劇的に数が減っているわけではない」
この理屈は、宗教的な意味で、
「人間が生まれ変わる」
というのは、
「人間は、他の動物に生まれ変われない」
ということになると、
「人間はどんどん減っていく」
ということになる。
「神の世界」
である天国にいけば、
「神様となる」
ということで、人間に生まれ変わることはない。
そして、地獄にいけば、
「再生のない苦しみを永遠に味わうことになる」
ということになる。
だから、
「人間として生まれ変われる世界に行った人だけが、人間に生まれ変わることができる」
ということになれば、
「人間はどんどん減っていく」
ということになるだろう。
ただ、そうではないということを証明しようとすると、
「自然の摂理」
という考え方しかないことになるだろう。
もちろん、
「生まれるタイミングと死ぬタイミング」
というものを、きれいに操作できれば、
「人口を今冬に保つことができるかも知れない」
といえるだろう。
しかし、
「そこまでして、人間の人口を一定に保つ必要があるのか?」
ということである。
人間というものは、本当に、
「永遠の存続」
というものが約束されているのだろうか?
聖書の中にだって、何度も、
「人間世界を滅ぼそうとした」
ということが書かれている。
「ノアの箱舟」
などというのが、その話に該当するのだろうが、
「確かに神は、人類を滅ぼそうとしたが、一部の生物を残して、他を絶滅させる」
という方法を取った。
つまりは、
「滅亡寸前での、リニューアル」
ということになるのだ。
しかし、考えてみれば、
「神というものは、人間を最初に作った時、いとも簡単に作り上げた」
という風なイメージで書かれているではないか。