表裏のスパイラル
「今回は、片方だけに、身代金の要求がある」
ということであった。
以前の事件は、実際には、
「両方の事件に身代金が掛けられていて、実際に成功したのは、片方だけだった」
ということであった。
もし、
「この事件にそれぞれつながりがある」
ということであれば、それは、
「かつて取り損ねた身代金を、20年も経ってから、取り戻しに来た」
ということになるのではないか?
という、あまりにも突飛な考えが浮かんでくるということであった。
だが、実際には、そうだったのかも知れない。
今思い出せば、確か、当時も取り損ねた金額が、
「五千万だった」
ということだった。
しかも、前回の身代金で、犯人が取ることができた金額は、
「七千万だった」
ということだ。
「金銭的に高い方に成功したのだから、犯人と警察の勝負だということを考えたとすれば、前回は、警察の敗北だった」
といえるだろう。
そこまで考えてくると、
「おや?」
と、また早川刑事は考えた。
今度は、ハッキリと、声に出たくらいなので、自分の中で、
「納得のいく、
「おや?」
という言葉だったのだろう。
その心がどこにあるのか?
というのは、
「今回の一連の犯行の本当の目的は、あの時取り損ねた五千万」
ということになるだろうか?
もちろん、
「これほど突飛な発想はない」
といえるだろう。
そもそも、
「どうして20年も経った今になってこんなことをするのか?」
ということであるが、
これは、早川刑事が自分のことを思い出してみれば、想像はついた。
といっても、やはり、
「突飛であることに違いはないが、逆に、警察もそんなことを考えたりはしない」
ということからの発想といってもいいだろう。
「これまで、ずっと成功させてきた実績を持っている人が、やり残したこと」
ということで、時間を置いて、再度挑戦しようと考えたとすれば、
「それは、最後の集大成」
ということになるだろう。
早川刑事が、自分の立場だったらと考えると、
「定年前にするかも知れない」
ということで、
「この犯人は、年齢が近い」
ということになるかも知れないのであった。
「だから突飛だ」
と言われるかも知れないが、
「それこそ、プライドを持っていたり、若い頃にそのプライドに任せて、そのプライドがあるからこそ、事件を解決できてきた」
というのが、早川刑事だということであれば、その逆ということを思えば、
「今度は失敗できない」
という考えから、警察に、
「昔の事件」
を思わせないようにしないといけないと思いながら、
「片方がダメだった」
ということを自分の戒めとして考えているのだ。
それを考えると、
「失敗できない」
と犯人が考えているのだとすれば、
「それが、警察の思うつぼだ」
といってもいいかも知れない。
「決して油断」
というわけではないのだろうが、
「警察というものと、犯罪集団というものが、表裏の関係にあるとすれば、今回の二通の脅迫状というものを再現させたというのは、犯人の一種のプライドというものなのかも知れない」
大団円
今回の犯罪が、
「以前の犯罪にかかわりがある」
ということを考えると、
「当時の犯罪が、今までの犯罪の中で違っている部分」
というものを探すということで、分かる部分もあるというわけであった。
特に、
「今回の犯罪は、昔の犯罪の模倣というわけではなく、どちらかというと、リベンジという方が当たっている」
という気がするのであった。
そして、もう一つ考えられることとしては、
「今回も前回も、脅迫状という古めかしい方法を使っている」
ということから、
「律儀な性格ではないか?」
と思えるのだ。
今の時代であれば、このような犯罪に対しては、
「プロファイリング」
というものであったり、
「心理操作」
というものから、
「犯人を割り出す」
ということを行うかも知れない。
しかし、早川刑事は、
「そんなことはしない」
と思った。
彼が考えたのは、
「20年以上も経っている」
ということを考えると、
「時代的には世紀末」
といってもいいだろう。
それなのに、犯罪というものは、まるで、
「昭和レトロ」
というものを感じさせるものが多い。
それを考えると、
「かつての、20年前の犯罪というものこそが、リベンジではなかろうか?」
と考えたのだ。
つまり、それ以前、今から約40年前くらいの昭和の時代に、
「今までに、未解決事件があるのではないか?」
ということである。
時代とすれば、今から40年前というと、ちょうど、高度成長時代というものが終わり、「日本経済が最高潮だった」
という時代である。
この時代というのは、
「世界における企業のランキング」
というものの中で、
「ベストテンの中に、日本企業が、半分以上を占めていた」
という時代である。
今であれば、ベスト50までの間に、2,3社入っていればいい」
というくらいになっている。
そもそも、大きな間違いは、
「バブル経済」
であった。
「実態のないもの」
というもの、例えば、土地などを、
「転がす」
というだけで、大儲けをしたり、
「今では考えられない」
ということで、
「銀行なども、本来であれば、企業に貸し出す金が適正化どうかを見分けるはずの営業」
というものが、
「見分ける」
というどころか、
「事業を拡大すればするほど、儲かる」
ということを信じてしまい、
「だったら、たくさん融資する」
という過剰融資をするということで、結局、
「バブル経済に踊らされる」
ということで、
「銀行は絶対に潰れない」
と言われた神話をぶち壊すことになり、それが結局、
「社会を大混乱に落とし込む」
ということになったのである。
それを考えると、
「バブル崩壊も時間の問題だった」
ということになるわけで、それを、
「誰も気づかなかった」
ということが大問題だったということになるのだ。
そこから、世間は、180度転換したといってもいいだろう。
倹約に倹約を重ね、人件費の節減から、
「リストラ」
というものが流行り、
「会社の存続」
ということのために、
「大きな会社との、吸収合併」
であったり、
「同族会社同士の合併」
などが当たり前になった。
さらには、
「非正規雇用」
というものが流行り、逆に、
「年功序列」
「終身雇用」
というものがなくなる社会になったのである。
「それまでの常識」
というものではやっていけるわけはなく、
「ある一点を境に、上りと下りというものが、左右対称になった」
といってもいいだろう。
それが、どれほどの周期になるのかは分からない。
「バブル軽罪を境に、左右で上りと下り」
というものがあるが、
「それが、同じ期間だった」
ということではなさそうだ。
しかし、今回の事件で、思い出したこととして、
「40年前に似たような事件があったのではないか?」
ということを考えてみると、それぞれに、
「上り下り」