夕凪の時間
「家賃にもならない」
であったり、
「従業員の給料にもまったく足りない」
という状態だったのだ。
それどころか、そお補助金にしても、
「申告制」
ということなので、何よりも、
「清国の手続きが難しい」
ということであったり、当然ながら、
「審査というものがある」
ということで、その審査が通るまでに、半年近くの時間が掛かったということで、店によっては、
「補助金の審査に入る前に、店が持たず倒産した」
というところも多かったことだろう。
最初の、
「緊急事態宣言」
で、そんな店をどんどん見せられたりすれば、
「誰が、そんな補助金をあてにしたりするものか」
ということで、
「だったら、客は来ないかも知れないが、まだ店を開けている方がましだ」
ということになるだろう。
政府としては、
「宣言を出した」
はいいが、結局、
「それを守る人は誰もいない」
ということになるのだ。
だから、町は、政府のいうことを聞かず、店を開けるようにした。
こうなると、政府も、
「店を開ける連中を制限できない」
ということで、政府は、
「ルールきめをするしかない」
ということになり。
「感染対策」
というものを、最初に決めておいて、
「それを守っての営業を許可する」
というように、
「舵をきる」
ということしかないのであった。
それでも、日本人は結構守っていた。
中には、
「いい加減、たまらない」
ということで守らない人というのもいたり、
「ワクチンには、陰謀が隠されている」
などというウワサから、
「ワクチンは打たない」
という人も結構いたりした。
日本では、人権を阻害できないので、
「ワクチン接種を強制する」
ということは、基本的にできないのであった。
それを考えると、
「確かにワクチンが出てきたとしても、完全に安全だということはいえない」
といってもいい。
そんな状態の中で、政府としても、実際に最前線といってもいい、町の中心部というのも、
「経済を回さないといけない」
ということは分かっているのだ。
実際に、
「ウイルスがこわい」
といっても、だからといって、ずっと、
「店を閉めたり」
「会社が仕事をしなかった」
などというと、経済が回らず、
「会社の倒産」
あるいは、
「失業者が町にあふれる」
ということで、
「伝染病に罹って死ぬ」
ということになるか、
「仕事がなくて、収入がない」
ということで、
「飢え死にするか?」
という、
「二つに一つ」
ということになるだろう。
実際に、
「どっちがいいか?」
ということになるのだろうが、
「早めに、波の終息を見極めて、なるべく早く、経済復興を行う」
ということが大切である。
つまりは、
「それぞれのバランスをいかに、考えていくか?」
ということである。
もちろん、その間に、
「精度の高いワクチン」
であったり、
「病気に罹った時の、特効薬の開発」
というものが、大切になるということである。
実際に、その時代においては、何とか、3年目の途中くらいで、いち早く経済を回すこと男鹿でき、ただ、実際に、
「それが成功だったのかどうか?」
ということは分からない
問題は、
「政府で、今回の検証をどこまでできるか?」
ということであろう。
特に、
「有識者による第三者委員会」
などの検証というものが必要となるのだろうが、
「まさか政府は、その検証をしていない」
などということがあるのではないかと思える。
実際に分かっていれば、
「パンデミックが去った後、少ししてから」
その検証に関して、
「ニュースになってしかるべき」
ということであるが、
「ランクを下げてからというもの。ほとんどニュースになる」
ということはなく。
「あれは何だったんだ?」
と言わんばかりに、誰も、
「世界的なパンデミックの話」
というものをしなくなったのだ。
それでは、
「休業などして、最終的に会社をつぶし、責任を取って自殺した」
という人も一定数いただろう。
そんな人たちは、
「犬死」
というもので、
「政府の、お粗末な政策に殺された」
といってもいいのではないだろうか?
ただ、実際に、今では、
「あの頃の話をするのはタブーだ」
と言わんばかりで、それこそ、
「臭い者には蓋」
といっておいいのではないだろうか。
それも、
「パンデミックの終息から、まだ2年も経っていない」
という状態なのにである。
つまりは、
「今のお粗末な政府」
としては、
「今さら、あの時のことを国民が思い出してしまい、自分たちのお粗末な政策を思い出してしまうと、今度の選挙で不利になる」
と考えたのではないだろうか?
「当然、今さらあの頃のことを国民に思い出されては困る」
ということから、
「国民に思い出させないように、検証もしない」
ということになるだろう。
もちろん、政府としては、
「急に国民が思い出して。検証をしていない」
と騒がれても困るということで、
「ちょっとした、言い訳用の検証資料くらいは作っておこう」
と思っていることだろう。
「どうせ、国民に難しいことを言ってもわかりゃあしないんだ」
と言わんばかりである。
それが、
「日本という国においての、緊急事態への意識」
ということであり、
「なるほど、これじゃあ、政策がいちいちお粗末だったはずだ」
ということで、本来であれば、
「政府を正す」
という立場にある野党でさえ、今は弱すぎるということなのだから、
「政府が、検証を形の上だけでは行ったとしても、それを国民に成果として話すようなことはしないに違いない」
そうなると、国民も、
「喉元過ぎてしまった」
ということで、
「政府が何も言わない」
ということを、今までであれば、
「政府に不満や疑問をぶつけながら、すでにその状況を逸脱してしまっている」
と考えると、
「もう、藪をつつくようなことはしない」
と考えてしまう。
へたに騒ぎ立てて、また余計なことをして、本来もらえるはずだった金がもらえなくなるというのは、
「国民としてもたまらない」
ということだ。
「有事の際は、補助金や、医療費や、検査費。さらには、ワクチン接種代が、ただになる」
と言われたが、そもそも、
「ただになる」
というわけではなく、
「政府のお金」
ということだ。
これだって、政府のお金といっても、
「政治家のお金」
というわけではなく、
「国民が、義務として払っている税金」
ということである。
そういう意味でいけば、本来なら、
「倒産しそうな会社を助けるためのお金」
というのは国民の税金からなので、
「出し渋る」
というのはおかしい。
といえるだろう。
そもそも、
「税金というのは、国民の生命や利益。権利を守るためのたくわえ」
ということのはずではないか。
しかも、こんな、
「有事の際に使う」
ということのために、国庫などがあるわけで、
「それを出し渋っていいというのか?」
ということになるわけである。
そういう意味で、