夕凪の時間
ということで、政府は、ごまかしたつもりだった。
しかし、政府は、
「簡単につぶすわけにはいかない」
ということがやっと国民にも分かった。
以前は
「この政府さえ変われば」
と思っていたのを、何度、新政府に裏切られたということになるのだろうか。
要するに、
「今の政府を壊しても、その後にできる人がいない」
ということである。
へたに潰して、他のやつにやらせると、
「さらに最悪になる」
ということであれば、
「このままの政府の方がましだ」
ということになるのは当たり前というものだ。
そんな政府を、
「誰が期待する」
というのか?
だから、
「今の政府がどんなにひどいことをしようとも、簡単に辞めさせるわけにはいかない」
ということになるのだ。
政府も分かっているからか、
「任期満了までは何とかなる」
ということで、その間に、
「少しでも法案を成立させよう」
とする。
「どうせ、任期までなのだから」
という開き直りが、そうさせるのだろう。
それを考えると、
「もう、国家は信じられない」
ということになる。
当然、
「政治への関心を持たない」
という人が増えることだろう。
「パンデミックのランク」
というものを引き下げたことで、
「政府もマスゴミも、パンデミックについて何も言わなくなった」
つまりは、
「あとは、自分のことは自分で守ればいい」
ということで、政府は、国民に、
「丸投げした」
ということになるのであった。
国民の一人一人は、そう簡単に忘れられないものだろうが、社会が前のように回るようになると、
「パンデミックだけを気にしていては、生きてはいけない」
ということになる。
しかし、その後遺症というべきものは残っていて、
「経済の崩壊」
というものが、特にそうだったのであろう。
それでも、何とか社会はまわっていく。
そういう意味で、この店の改装や、新規開店に関して、
「最初に考えていたよりも、かなり自粛ムードだった」
というのも、無理はないだろう。
特に、その当時、
「つまりは、パンデミック発生から1年経過した」
という頃だったので、
「一番大きな波が襲ってくるあたりくらいだった」
という時期だったから、他の人からみれば、
「この時期に、新装開店というのは」
ということであっただろう。
確かに、最初は、
「ちょっと早まったかも?」
と考えてしまうくらいであったが、だからといって、ずっと計画してきたことを、簡単に辞めるわけにはいかない。
「元々の土台がない」
というわけではなく、
「前からの常連客も、それなりの評判もあった」
ということから、新装開店を決めたということであるから、
「それなりの自信」
というものがあったといってもいいだろう。
そんな中で、
「昼間と夜、両方はちょっと」
ということで、最初の一年くらいは、
「メインは昼」
ということで、夜は、
「時短営業」
であったり、
「アルコール類の提供は禁止」
ということであったりしたので。逆にいえば、
「昼夜を通した店として開店しておいたのは、怪我の功名だった」
といってもよかっただろう。
だから、昼間は、
「店の中は、椅子を半分減らし、半分だけの人を入れられるようにした」
という状態において、半分の売り上げを、
「弁当の販売」
ということで賄ったのだ。
そもそも、人は失業者とっしてあふれていたので、
「お弁当を作るアルバイト」
を臨時で雇い、何とか回していた。
似たようなやり方をする店も増えてきたが、
「このあたりで最初に思いついて始めたのは、うちだったんだ」
とばかりに、自慢できることであった。
もっとも、
「俺たちだって考えないわけではなかった」
と、同業他社の、特に夜の町を彩っている店は、考えないわけではなかったというのは、まんざら嘘ではなかった。
しかし、
「夜の店で、昼の店の上前を撥ねるような真似はできない」
と言いながら、要するに、
「プライドが許さなかった」
ということであろうが、時期が時期だけに、
「従業員の雇用を守る」
ということを考えれば、
「迷っている暇はない」
といってもいいだろう。
それを考えると、
「あの時期のパンデミックでの新装開店」
を思えば、
「今の落ち着いた時代に商売をするのは、何でもない」
とも思っていた。
つまりは、
「今こそ、以前から考えていたことを、思う存分できる時がやってきた」
ということになるだろう。
実際には簡単にできないと思っていたことも、
「パンデミックを乗り越える」
ということで自信がついたというのは、これこそが、
「けがの功名だ」
といってもいいだろう。
店長と時間
昼の店は、順調だった。
昼前の11時を開店予定としているが、それは、ランチタイムを目指しているからだった。当初は、
「世界的なパンデミック」
のよる、
「営業制限を余儀なくされる」
ということで、
「店内におけるランチ営業」
は制限が掛かってしまった。
仕方なく、仕出し弁当を作って、少し行ったところの、オフィス街にての、
「ほそぼそとした営業」
ということになった。
というのも、都心部には、それぞれ、飲食街というものがあり、彼らには、自分たちで、
「縄張り」
というものがあることから、住宅街などを中心に営業している連中としては、完全に、
「猟場あらし」
と言われても仕方がないだろう。
それは当然、もちろんのこと。
「相手の立場に立てば、こっちが荒らされれば、怒って仕方のないことだ」
といえる。
それでも、昼間は比較的、外出も以前に比べて増えてきたといってもいいだろう。
最初の一年目は、
「世界的なパンデミック」
というものにおける
「ウイルスの正体」
というものも分からず、さらには、
「ワクチン」
というものもなかったことで、
「緊急事態宣言」
というものが発令され、
「罰則はない」
といっても、国民も、
「さすがに怖い」
ということで、忠実に守っていた。
しかし、
「ワクチン」
「正体がある程度判明した」
ということから
「何に気を付ければいいのか?」
ということがある程度、国民にも分かったことで、今度は政府が、
「緊急事態宣言」
というものを出したからといって、
「素直に従う」
という国民は少なかった。
いくら、
「休業要請」
というものをしたとはいえ、もうどこも守らない。
そもそも、
「休業要請をした代わりに、補助金は出す」
ということが、政府の条件だった。
ただ、実際に、
「緊急事態宣言」
というものに従って、休業したお店とすれば、
「国から出る補助金くらいでは、雀の涙にもならない」
ということであった。
夜の店によっては、日々の売り上げが、数百万というところもあったりする。
それにも関わらず、国からは、
「一日数万」
という、本当に、
「消費税にも足りない」
というのが普通にあったといってもいいだろう。
都心部などでは、家賃も高いので、