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夕凪の時間

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 夜の時間ともなると、どうしても、背広姿の男性が多く、中には、単独の女性客も少なくはないことから、
「出会いのバー」
 ということで、一時期だけだが、
「地元の情報誌で紹介されたこともあった」
 という。
 その時のキャッチフレーズとしては、
「隠れ家のようなお店」
 と言われていたのだった。
 ただ、このお店で面白いところは、
「目的がはっきりしている客の邪魔はしない」
 ということであった。
 店には、
「バーテンダー」
 ということで、男子、女子、それぞれが数名いるのだが、
「男性客には女性のバーテンダー」
「女性客には、男性のバーテンダー」
 ということで、ハッキリと色分けされていた。
 ただ、中には、
「ここで、彼女彼氏を探す」
 という輩もいて、店側はそれを承認していた。
 だから、その場所として、テーブル席が必要ということであり、バータイムでは、男女の知り合う機会を与えるために、
「昼間の喫茶ルーム」
 として提供しているテーブル席を、利用しているというわけだ。
「本当は、最初からそんなつもりだったわけではない」
 ということのようで、
「最初は、昼間の喫茶店だけでは」
 ということで、
「夜はバーにしよう」
 と思ったということであった。
 その時、
「せっかく、広いスペースで、カウンターだけだと、少し寂しい」
 ということから、
「いかに有効利用すればいいか?」
 ということを考えた時、
「男女が知り合えるスペースを作ればいいか?」
 と考えたのだという。
 しかし、意見として、
「もし、知り合った男女がトラブルにでもなれば」
 という話もあったようだが、
「逆に、解放した場所で勝手に知り合ったのだから、何かあっても、店には関係ないといえるのではないか」
 と考えたのだ。
 実際に、席には、その旨の注意喚起を張っておいて、
「交際相手を探す」
 ということを目的とした人に、認識させることにしていたのだ。
 だから、バータイムは、完全に、コンセプトとして、
「出会いの空間」
 というお店になっていたのだ。
 当然、
「水商売」
 でもなければ、ましてや、
「風俗店」
 というわけではない。
 ただ、
「目的がある提訴ハッキリしていると、お客さんが入ってきやすい」
 と思ったのだ。
 そもそも、今の時代は、
「なかなか男女が安全に知り合う」
 という場所が少ない。
 昔から、男女の出会い」
 というと、
「出会い系サイト」
 であったり、
「テレクラ」
 というものから始まり、今では、
「マッチングアプリ」
 と呼ばれるものまでさまざまである。
 その途中には、
「お見合いパーティ」
 などというものを主催する会社も結構あり、それらの主催のパーティなどを経て、今の時代は、
「婚活」
 などと言われるようになってきたのだ。
 昔であれば、
「過疎地の農村」
 などの跡取り問題などから、
「都会からの嫁とり」
 ということで、
「農家の嫁とり企画」
 などというのが結構あったが、今の時代は、嫁とり問題としてよりも、
「少子高齢化」
 という問題から、
「成田離婚」
 などといって、
「すぐに離婚する」
 という時代があり、さらに、
「バブル崩壊」
 により、
「夫婦共稼ぎが当たり前」
 という時代になると、今度は、
「子供をどこに預けるか?」
 という問題が大きく立ちふさがることになる。
「祖父祖母が面倒を見てくれる」
 という人であれば、まだマシなのだが、実際に、
「親と別居」
 というのが多い夫婦では、子供は、保育園や託児所に預けるというのが主流になるのであった。
 しかし、実際に、
「保育園」
 であったり、
「託児所」
 というところの、絶対数が足りないということであった。
 もちろん、
「施設の場所」
 というよりも、
「保母さんの人手不足」
 ということから、
「施設はあっても、一人の保母さんの見る人数が、限界を超えている」
 などということで、無理がたたって。事件が起きるということだって、当然のごとくあるわけである。
 ただ、やはりそれよりも、
「施設の絶対的な不足」
 ということから、
「待機児童」
 ということで、
「申請は出しているが、なかなか受け入れまでには時間が掛かる」
 ということになっているのだ。
 となると、
「月極ということではなく、その日一日の託児所」
 ということで、
「とりあえず、子供を預かる」
 という施設が出てくるだろう。
「預けるところがないから、しょうがない」
 ということになるのだろうが、本来であれば、
「教育の一環」
 ともいうべき、
「保育所」
 というものが充実していれば、何も問題はないということであろう。
 しかし、
「教育というものも必要」
 ということになると、
「保育所」
 というところは、教育機関ということで、
「認可制」
 ということになるであろう。
 だから、当然、
「保母さんの認可を持っている」
 という人が雇われて、子供の面倒を見るというのは当たり前のことである。
「教員免許のない人が、学校の先生をする」
 というのと同じことである。
 それだけ、
「教育というのは大切なこと」
 ということであり、
「その教育というのは、小学校からということではなく、すでに、小学校入学の前から始まっている」
 といってもいいだろう。
 確かに、
「バブルの崩壊」
 というのが突然ということであり、
「予知できなかったこと」
 ということであれば、
「保母さんが不足している」
 というのも無理もないことであろう。
 しかし、
「本当にバブル崩壊を予知できなかった」
 といってもいいのだろうか?
 いや、もっといえば、そもそも問題となっている、
「少子高齢化」
 というものは、最初から予知できていたはずである。
 だとすれば、
「保母さんの養育」
 というものを、政府でも、最初から対策を取らないといけなかったのではないだろうか?
 実際に、
「バブル崩壊前から、少子高齢化」
 と言われていたのではないだろうか。
 当時は、まだまだ、
「専業主婦」
 というものがほとんどで、
「託児所」
 などそれほどいらないといってもよかった。
 しかし、共稼ぎになると、子供を預けるところが急遽必要ということになり、時代が、
「少子高齢化」
 ということで、
「子供をたくさん作る」
 ということも、当時ぼバブル期であれば、別に意識することもなかっただろう。
 実際に、
「バブルというものが、これからも続いていく」
 と考えていたとすれば、当然のごとく、
「事業を拡大すればするほど儲かる」
 ということで、
「当時としては、企業戦士と言われるような、無理をしてでも働く人が少しでも楽になるような時代」
 というものがくるはずだった。
 だから、
「仕事は山ほどある」
 ということで、
「人手不足が問題」
 ということになるだろう。
 そうなると、
「人をどんどん増やす」
 という方針になるのは当然であった。
 しかし、それが、
「バブルの崩壊」
 とともに、完全に砕け散った。
作品名:夕凪の時間 作家名:森本晃次