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夕凪の時間

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「おとぎ話であれば、浦島太郎や雪女」
「聖書であれば、ソドムとゴモラ」
「ギリシャ神話であれば、パンドラの匣」
 などと言われるものが、共通しているものだといえるのではないだろうか?
 逆に、
「世の中は昔はつながっていて、同じような発想」
 であっても、
「その国の文化であったり、民族性」
 などというものが影響し、
「自分たちのイデオロギーにふさわしい話」
 として作られたものが伝わっているという考え方である。
 だから、
「歴史」
 というものは、
「時系列という縦の流れ」
 というものと、
「地域制や民族性という横のつながり」
 というものからできているといってもいいのではないだろうか?
「国によって、考え方やイデオロギーが違う」
 というのは当たり前のことであり、
 太古の昔から、
「弱肉強食」
 という国家体制から、
「侵略の歴史が繰り返されてきた」
 というわけであり、
「敗れた国は、併合されたり、植民地化される」
 ということになる。
 民族は、
「奴隷」
 として扱われ、完全に、
「強くなければ生き残れない」
 ということで、歴史というものは作られてきたのである。
 その中での、
「哲学であったり、宗教」
 というものが、
「民族の精神的なよりどころ」
 ということになり、宗教が政治や社会に影響を与えるようになってきたといってもいいだろう。
 それは、今の時代にもつながってくることで、宗教というと、
「その宗教を信じている民が救われる」
 ということで、信じられるようになり、
「当然その宗教がその国の君主であったり、他の宗教から迫害される」
 ということになれば、
「自分たちが信じるものを救うために、自分たちの命だって惜しくはない」
 という考えになるのだ。
 そもそも、
「信じていれば救われる」
 ということだったはずの宗教を、
「信者が命がけで守る」
 ということでは、普通に考えれば、
「本末転倒というものではないか?」
 と思えるはずなのに、世界各国で、起こっている戦争の理由の多くは、それら宗教による、
「宗教戦争だ」
 といってもいいのではないだろうか。
 それは、国家間の戦争だけに限ったことではなく、
「政府ではない、一種の反政府組織」
 というものによる、
「テロ攻撃」
 というのも、
「一種の戦争だ」
 といっていいだろう。
「自爆テロ」
 などということが平然と行われていて、それは当然、
「信じるものを守る」
 という強い思いがなければできることではない。
 それは、日本においての、
「大東亜戦争時代」
 における、
「カミカゼ特攻隊」
 であったり、
「玉砕戦法」
 と呼ばれるものが、それにあたるであろう。
「虜囚の辱めを受けず」
 ということでの、
「戦陣訓」
 と呼ばれるものであるが、確かに、それも一つであるが、当時日本は、敵国というものを、
「鬼畜米英」
 などいう言葉で、
「敵は鬼や家畜同様なので、捕まれば、何をされるか分からない」
 ということを教え込まれていたといってもいいだろう。
 実際に、当時の戦争というものは、
「歴史の事実」
 ということで、
「占領した村や町において、占領軍による、強奪、強姦、略奪というものが横行していた」
 ということであった。
 それが、
「大量虐殺事件」
 ということで、大きな問題となり、特に、
「昔の中国軍」
 という連中から、
「どれほどの虐殺であったり、迫害を受けたか?」
 ということを考えると、
「占領されて捕虜になるくらいであれば、敵兵を一人でもやっつけて、死のう」
 と考えるのも無理もないことであろう。
 だから、
「虜囚の辱め」
 という言葉になったのだ。
 もっとも、これは、
「戦争というものにおける第一線での精神状態」
 というものが、
「想像を絶するものだ」
 ということからきているということになるのだろう。
 それが、
「19世紀後半くらいから、20戦記前半」
 までにかけての、
「民族主義」
 というものから発展した
「戦乱の時代」
 といってもいいだろう。
 しかも、
「世界大戦」
 ということで、
「大量虐殺」
 ということでの兵器開発というものが、言われていた時代である。
 「戦車や、戦闘機、化学兵器」
 と言われるものが、
「第一次大戦」
 によって開発され、さらに、
「その発展形の開発」
 であったり、
「戦術的なものの発展」
 ということが出てきたのが、
「第二次大戦だ」
 ということになるだろう。
 つまり、実際に、第一次大戦が終わると、
「一度発令されると、全滅しかありえないという戦争の形としてのパンドラの箱を開けてしまった」
 と言われるようになり、さらには、
「これで、戦争をすることができなくなった」
 と言われるようになったのが、
「第二次大戦」
 であった。
 その根拠となるものが、
「原爆」
 というものであり、そこから始まる、
「核開発競争」
 というものが、目に見えていたからではないだろうか?
 つまりは、
「人類は、手にしてはいけない兵器を手に入れた」
 ということで、
「パンドラの匣」
 の話にある、
「人類に火を与えてはいけない」
 と言われた、その火というものを、
「核兵器になぞらえた」
 といってもいいだろう。
 そんな昭和の時代の後半には、
「戦後復興」
 というものが進み、
「平和な時代」
 というものが確立されてきた。
 この時代には、昼間くらいには、
「コーヒー専門店」
 というような雰囲気の、
「純喫茶」
 と呼ばれるものがあった。
 木製平屋建ての雰囲気のある喫茶店で、扉のところには、まるで、
「アルプス高原の羊が、首からぶら下げている、鈍器のような鐘の音が響くような入り口」
 といってもいい扉を開けると、
「夏であれば、木の香りが涼しさを醸し出している」
 かのようで
「冬の間は、まるで、奥に暖炉でもあることから、出窓になったところに、結露が流れてきそうな雰囲気」
 という感覚で、
「四季折々の感覚」
 というものを味わわせてくれるかのようであった。
 しかも、店で作るコーヒーは、サイフォンなどの、
「本格派」
 ということで、店の中では、クラシックが流れていて、客も、その雰囲気に漂う雰囲気を味わうだけの度量をしっかり持っているということで、
「文庫本でももっていき、読書を楽しみたい」
 という雰囲気を味わえるのであった。
 そんな店であったが、夜に時間帯になると、バーに早変わりするのであった。
 その店は、
「時間は決まっていないけど、ある程度の時間になれば、店の証明が、夜バージョンになる」
 ということで、
「夜の時間は、バータイム」
 ということであった。
 今の時代にも、
「昼間はカフェでありながら、夜の時間はバータイム」
 というところも少なくはない。
「むしろ、今の時代の方が多いのではないか?」
 と言われるくらいで、
 昼のクラシックとは違い、夜は、
「大人の時間」
 ということで、
「バラードっぽいジャズ」
 という音楽が流れていたのであった。

                 昼夜のお店
作品名:夕凪の時間 作家名:森本晃次