夕凪の時間
「四年生になると、就活が待っているので、三年の間に、単位を修得できるだけ拾得しておかないと、両方は難しい」
と思っていた。
二年生の時、結構勉強に関しては、余裕を持ちすぎたせいもあり、三年生では、
「気が抜けない」
という状況に追い込まれた。
三年生の時は、
「その時には、時間がなかなかすぎてくれないと思ったが、後になって思えば、あっという間だった」
と感じた。
逆に、二年生の時は、
「毎日があっという間だったと思っていたけど、あとから感じると、結構長かった」
と感じていたような気がする。
だが、この二年間というのを後から思い出すと、
「結局、同じ間隔の一年でしかない」
と感じさせられた。
つまりは、
「どんな一年であっても、その期間というのは、自分の中で、過去だと思った時には、同じ感覚の期間にしかなならない」
ということになると感じたのだった。
高校生の頃を思い返すと、
「毎日にまったく変化はなかった」
ということで、
「毎日の感覚と、あとから思い出す感覚に差はないというのは、当たり前のことではないだろうか?」
と感じていたが、これが、
「大学生になると、時間への感覚が違うものとなり、その形は歪なものだといえるのではないか?」
と感じたのだ。
店主のこの感覚は、オーナーにも分かることであり、
「やはり、この人を店長にしてよかったな」
と感じた。
「経営コンサルタント」
では、店長は、
「決して、営業成績がよかった」
というわけではなかったが、顧客からの人気は結構あり、それを思えば、
「この人は、個人営業の方が似合っているのではないか?」
と、黒田オーナーは感じたのであった。
老人と女の子
「コスモス」
という店には、常連がたくさんいた。
「常連でもっている店」
といってもいいだろう。
常連同士は顔見知りで、ほとんど皆仲がいいといってもいいだろう。
実際に、近くの個人経営の店の店長同士ということもあり、
「商店街の寄り合い」
で、皆顔見知りだったのだ。
今のこの時代、
「商店街」
であったり、
「寄り合い」
などというのは、普通であれば、ありえないといってもいいだろう。
しかし、この地域は、昔から変わりない。
確かに、他の地域と同じように、
「近くに大型商業施設ができる」
ということで、
「商店街の危機」
と言われた時期があったが、ちょうど、その計画が持ち上がってすぐくらいに、
「バブルの崩壊」
というものが起こったのだ。
結局、
「大型商業施設計画」
というのは、頓挫してしまい、しばらくは、平屋の広大な土地に、鉄条網が張られ、
「商業施設建設予定地」
という立札が立っているだけで、それも、斜めになっていることから、まるで、
「兵どもが夢の後」
と言ったところであった。
そのまま、しばらく、放置された状態だったが、その土地に商業施設ができることはなかったが、マンション建設予定ということで、その後10年経ったところで、マンションができたのだった。
しかし、入居者は、それほどいるわけではなかった。
「半分も埋まっていればいいか?」
ということで、寂しさを感じさせたが、実際には、
「同じ頃にできたマンション」
というと、そんなに入居者がいるわけではなく、
「半分でも埋まっていれば御の字」
ということだったのだろう。
そのおかげといっていいのか、
「商店街は生き残る」
という形になった。
というよりも、
「商業施設ができないのだから、今まで通りに、商店街が活躍してくれなければ困る」
ということになるのであった。
そういう意味で、
「このあたりが、昭和レトロを感じさせる町」
ということで、逆に、
「全国的に興味が集まった」
といってもいいだろう。
そもそも、
「バブル経済」
というものに後押しされて、
「本当に必要なのか?」
と言われながらに、作った施設が、全国には山のようにある。
「繁栄を裏付ける」
ということで、
「自治体の名誉」
であったり、
「雇用問題」
というものからの、
「公共施設建設」
ということでの、
「会社同士の権勢」
というものなどを考えると、
「バブル経済における、負の遺産」
と言われてきたものとし、
「テーマパーク」
であったり、
「地方空港」
あるいは、
「整備新幹線」
などというのがそうであろう。
世の中には、
「必要悪」
というものがあり、
「悪ではあるが、社会貢献もしている」
というものであるが、これらのものは、
「百害あって一利なし」
といってもいいだろう。
「テーマパーク」
などというのは、
「採算が取れないと、すぐにつぶれる」
ということで、
「建設ラッシュ」
というものから、20年もしないうちに、どんどん姿を消していき、
「今ではほとんど残っていない」
といってもいいだろう。
しかし、実際には、
「地方空港」
であったり、
「整備新幹線」
というのは、潰すことはできない。
だから、一時期、
「バブル経済の負の遺産」
ということで話題になり、
「ドキュメンタリー番組」
ということで、放送された時代があったものだ。
特に、
「整備新幹線」
というものは今でも大きな問題になっている。
なんといっても、
「新幹線を作ると、従来の在来線とは違う路線を通る」
ということで、
「これまで、特急電車が主流で通っていて、その停車駅に当たるところは、町おこしということで、発展を遂げてきた」
というところが多かったのだが、
「新幹線が開通すると、特急電車は廃止」
ということになり、
「廃止になった路線は、さらに赤字路線」
ということで、
「廃線」
というものになるか、あるいは、
「第三セクター」
ということで、自治体に、
「管理運営を任せる」
ということになるのだ。
つまりは、
「整備新幹線」
というのは、
「赤字路線の解消」
というのが、その裏には潜んでいるのであった。
しかも、整備新幹線と開通させるというのは、その費用を、
「各自治体に持たせる」
ということで、どういうことになるかというと、
「新幹線の建設費用と、その後の維持費は、自治体の税金で賄う」
ということになるのだ。
要するに、
「新幹線を通してやるから、金を出せ」
ということであった。
実際には、これまでの地元の努力を踏みにじっておいて、
「新幹線を通してやるから、お前たちで運営しろ」
という国のやり方である。
実際に、
「赤字の自治体」
というのも、かなりある。
そもそも、
「新幹線などいらない」
と思っている人はかなりいるだろう。
「新幹線は、観光地に通ってこその価値がある」
ということで、
「自分たちが開発した、通してほしい」
と思っているところに通すわけではなく、これまで発展したところを通さずに、国交省が決めた路線を通すなどというと、当然、地元の自治体は市民たちから、
「反対運動」
というものが起こってしかるべきということになるだろう。
それを思えば、