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完全犯罪の定義

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「たぶん、自分で目指した金銭的目標に到達したのかも知れない」
 ということではないだろうか。
 それから、
「東がさくらを自分のものにした」
 というのは、すぐのことだった。
 もちろん、東だって、最初から
「鬼畜だった」
 というわけではない。
 そもそも、東の中で、
「どうして、近親相姦というものが、いけないことだといわれるのだ?」
 という思いがあった。
 近親相姦というのが、
「忌み嫌われる」
 というのは、昔からの謂れがあるからであろう。
「身体障害者が生まれる可能性が高い」
 ということであった。
 もっとはっきり昔であれば、今でいう、
「放送禁止用語」
 で言われていたのだが、そもそも、この、
「放送禁止用語」
 というものも、別に、
「法的にまずい」
 ちいうわけではなく、
「モラル的にまずい」
 というだけで、放送することで、
「クレームが来る」
 ということから、
「モラルに欠ける」
 ということになり、
「放送倫理上の問題」
 と言われるのである。
 正直、
「実際の差別用語」
 というものであれば、それも仕方がないといえるのだろうが、
「ただ、クレームが来る」
 という、たとえば、
「男女平等」
 と言われることから、
「職業上の言葉」
 であったあり、
「どこかの外国で戦争しているから」
 という理由で、
「今まで教わってきた都市の名前を、敵対勢力の国の言葉だ」
 という理由で、言い回しを変えるというのは、いかがなものであろうか。
 昔の日本が、
「大日本帝国だった」
 という時代に、
「敵国語だ」
 ということで、
「横文字禁止」
 と言われた時があった。
 あれは、正直、
「滑稽だ」
 といってもいいだろうが、
「戦争期間中」
 ということで、やむを得なかったのであろう。
 しかし、今回の戦争は、
「日本が直接関与している」
 というわけではない。
 つまりは、あくまでも、
「第三国」
 ということで、
「中立国としての立場」
 というものを守らなければいけないのである。
 戦争において、
「中立国」
 ということであるのに、
「片方の国にだけ援助して、かたや、敵対してしまうことになる国には、経済制裁を行う」
 というのはどういうことであろうか?
「他の民主主義国が、皆一団結して、平和を守る」
 などという、
「いかにも、正当性のある言い方」
 というものをしているが、それこそ、
「大いなる欺瞞だ」
 といえるのではないだろうか。
 というのは、
「支援金を政府が送る」
 ということであるが、そもそも、その支援金というのは、
「政府の金」
 ということであるが、そもそもは、
「国民の税金」
 ということである。
 それを、日本で困っている人を見殺しにしてまで、日本に関係のないところで戦争している国に対して援助するというのであれば、
「税金を使う」
 ということでの、
「大義名分をハッキリと示す」
 ということをしなければいけないだろう。
 それは、完全に、
「国民投票レベル」
 の問題ではないだろうか?
 しかも、
「そのお金の用途というのは、ハッキリしているのだろうか?」
 確かに、
「平和のための支援」
 とは歌っているが、相手国に支援金という名目で与えられたものだがら、
「何に使われていても、ハッキリと分からない」
 と言ってもいい。
 なんといっても、
「戦争継続中の当事国」
 ということである。
 当然、
「武器弾薬を買う」
 ということは必然的に行われているだろう。
 逆に、
「医薬品や食料を買う」
 というのも、当たり前ということであるが、果たして、支援金というのは、後者に使われているといえるのだろうか、
 もし、
「そうだ」
 というのであれば、それは、
「欺瞞でしかない」
 ということになるだろう。
 それを考えると、
「支援金は、相手国の人間を殺す兵器に使われている」
 といってもいいだろう。
 相手も当然攻撃してくるわけで、
「こちらが攻撃しなければ相手もしない」
 ということで、
「支援金で買った武器が、まわりまわって、支援したはずの国民を殺すということに一役買っている」
 といってもいいだろう。
「そんなもののために、支援金が使われるなんて」
 ということになるだろう。
 だが、きれいごとではなく、まさしく、
「今の政府が支援している」
 という行為は、どんな言い方をしようとも、結果としては、
「欺瞞でしかない」
 と言われても仕方がないだろう。
 何をどう言い訳をしたとしても、
「困っている国民がいる」
 ということであり、そもそも、
「支援金」
 という名目で供与された、
「欺瞞に満ちたその言葉」
 というのは、
「国民の義務」
 ということでの、
「納税」
 からきているものであり、それは、国庫の中から、
「選挙で選ばれた国会議員が、国民のために使う」
 というのが、本来の姿であろう。
 だが、それを、
「政治観が自分たちのために勝手に使う」
 ということになっているのだ。
 しかし、資本主義というのは、
「国会議員は、選挙で国民が選ぶ」
 ということになるわけで、もし、
「政府が悪党だ」
 ということであるのであれば、その責任の一端は、
「そんな悪党を選んだ国民にも責任がある」
 といってもいい。
 それを考えると、
「民主主義というのは、その考え方が最初から、平等にはできていない」
 といってもいいだろう。
 つまり、民主主義というのは、
「自由を守るために、平等というものを犠牲にしている」
 といってもいいのだ。
 東は、次第に、自分のことを、
「うつ病だ」
 と感じ始めていた。
 というよりも、
「何かに集中できない」
 ということで、
「ついつい、いろいろなことに考えが移行してしまい、集中できないことを、
「うつ病のせいだ」
 と思うようになっていた。
 そんなことを感じているうちに、自分を抑えられなくなり、ついに、妹と、
「禁断の関係」
 ということになったのだ。
 しかも、妹のさくらも、兄である東を受け入れた。それが、
「禁断の関係だ」
 ということを分かっているはずなのにである。
 妹のさくらは、節操のない方ではなかった。善悪の判断などはしっかりとついている方で、そのことを兄の東も分かっていた。
 しかし、妹は、妖艶に兄を受け入れたのだ。
 それも、
「禁断である」
 ということを分かって受け入れているということなので、それはあくまでも、
「自分の中では近親相姦は、禁断ではない」
 と思っているのだろう。
 兄の東もそう思っているのだが、それは、
「自分の理性よりも、感情の方が強い」
 という、
「本能」
 というのか、
「動物的な感覚」
 というものが強いからだった。
 しかし、妹のさくらは、もっと、
「知的感覚」
 というものに基づいた。
「近親相姦」
 というものに対しての感情だった。
 だから、決して、
「理性が本能に負けている」
 というわけではない。
「理性は理性」
「本能は本能」
作品名:完全犯罪の定義 作家名:森本晃次