地図から抹消された村
ということであるが、だからといって、失敗はありえないわけではない。
そのためには、
「失敗しても、その後にうまくいく流れを作る」
ということが不可欠だということになるだろう。
そのために重要なことは、
「柔軟な頭」
ということになるのであった。
明治政府が、
「この村を歴史から葬り去る」
ということを考えてはいたが、村人の中には、そんな政府の思惑とは別に、歴史は歴史で紡いでいく必要があると考えている一段もあった。
彼らは、そんな政府の意向を無視し、自分たちだけで歴史を書き残す思いを固めていた。しかし、それをいきなり書物にすることは、なかなか難しい。そのために、まずは、メモのようなものに、それぞれの知識、つまり親などから口伝で伝えられた部分の断片のどこを担うかということだけを定期的に話し合って、後は、個人個人でそれを書くというだけにしておいた。
何といっても、それを政府や警察に見つかると、とんでもないということになるからだ。
そもそも、彼らとて、元々は
「地図から消滅した村の出身」
ということで、実際には、警察の監視の目というものがあった。
だから、あまり余計なことはできないということである。へたなことをしようものなら、それこそ、家族や縁者にまで災いが及ぶ。それだけ、一つの村を抹殺するということは、歴史上であっても、政府や警察にとっても大きなことで、真剣に向き合わないといけないということになるのだ。
どこまで村人がそのことを真剣に考えているのか分からないが、彼らも命がけということはわかっていな。生半可な気持ちではできないことも分かっていたし、彼らの行動は、ささやかだが、政府に対してと、自分たちへの運命に対しての挑戦というものであった。
今の人間には分からないだろう。彼らにとって、それまでの歴史というのは、生活そのものであり、歴史があってこそ、今生きていけるということを身体で感じているということなのだ。それを分かっているからこそ、命がけにもなれるということであり、それこそが、生きていくということになるのであった。
それを、警察や政府が犯そうとしている。その当時には、まだ、人権などというものは確立していない。法律自体があるにはあるが、それは、庶民に対してというよりも、
「いかに、政府が統治できるか」
ということに掛かっているということであろう。
それを考えると、
「昔の人の方が、今の人間よりも、しっかりしていた」
ということであろう。
人間というのは、搾取されればされるほど、何とかしようと考えるものだ。特に、江戸時代などは、幕府の理不尽なやり方に反発する人も多かった。
特に、
「隠れキリシタン」
などというのはそうだっただろう。
今の時代であれば、見つかれば間違いなく処刑されるということが分かっているはずのキリシタンを、どうして辞めることができないのかということになるだろう。
特に、今のように、
「宗教団体というと、詐欺であったり、テロ集団」
という過去の歴史において、証明されていたり、今でも詐欺に関しては、歴然として存在していることを思えば、
「宗教団体など、ロクなものではない」
と言えるだろう。
特に最近は、
「二世信者」
などという言葉もあり、親が信者だったことで、残された家族が離散したり、借金を抱えてひどい目に遭っているということが当たり前のようになっているではないか。
「宗教団体の詐欺」
というのは、本当に問題で、さらには、
「親が失踪して、子供が探しにきても、教団ぐるみで、その存在を否定する」
などというのも当たり前にあったりした。
相手が、宗教というものを盾に表では、布教といっても、裏では何をしているか分からないという連中が多いのだから、どうしようもない。
そんな歴史を見たり、聞いたり、さらには、少しでもかかわった人には、
「どんな宗教であっても、結局のところは、どこも変わらない」
としか思えないことであろう。
もちろん、中にはまじめな宗教もあるだろうが、そのほとんどは、ロクでもないところである。
隠れキリシタンを見ていれば分かるように、
「どうして人間は、死を恐れずに、信仰するのか?」
ということである。
やはり、宗教というのは、
「死後の世界に、救いを求める」
ということだからであろう。
しかし、信仰していない人は、
「この世での幸福を求める」
それはきっと、この世で満たされている感覚にあるからであろう。宗教が流行る時代背景というのは、政府や支配階級に搾取されたり、彼らが戦争を起こすことで、せっかく作った田や畑が荒らされ、それでも、年貢の要求は当たり前にあるというような、理不尽なことから、起こる考えである。
何といっても、徳川家康の言葉である、
「農民は生かさず殺さず」
という言葉に代表されるように、
「農民は政府のために搾取されても仕方がない」
ということになる。
今の時代の人に、
「歴史上の人物で尊敬する人は?」
と聞いて、必ず3位までには入るであろう。
そして、たぶん1位ではないかと言われる徳川家康の言葉がこれである。その当時の農民の気持ちを考えると、まるで、自分たちの先祖を踏みにじるような思いを、知らないとはいえ、平気でしているのだ。
ということである。
だから、
「歴史を知らない」
ということは、それだけでも罪だと言えるのではないだろうか?
実際に、今の時代では、
「歴史を好きだ」
という人はほとんどいない。
むしろ、
「嫌いな科目ということでは皆に共通していることであろう」
その理由として、
「人が多すぎて、誰が誰か分からない」
ということや、
「事件が多すぎて、起こった年なんて覚えられない」
ということである。
これは、完全に、
「歴史というものが、暗記物の学問だ」
と誰もが思うきっかけだといってもいいだろう。
さらに、歴史の嫌いな人の言い訳として、
「誰も見たことがない過去のことなんだから、本当かどうかわからない」
というのだ、
確かに、歴史を嫌いだという人の言い訳としては、このことが一番正しいいいわけのように聞こえる。
しかし、言い訳というのはあくまでも言い訳であり、逆に、暗記物ではないという考え方に至れば、言い訳というものすべてが、している人間にとって、
「言い訳でしかない」
という理屈を理解することができ、歴史の本来の意味というものを知ることができるのではないだろうか?
歴史というのは、あくまでも、時系列で考えるものである。
「物事には、原因というものがあって結果が存在する」
ということで、結果から原因を導き出すのが、歴史をさかのぼるということで、学校教育では、
「結果だけしか学ばない」
ということで、どうしてそうなったのかということを考えたり、教えたりはしないのではないだろうか?
つまりは、他の学問では、大切なことだとされる、
「検証」
というものをしないということが一番の原因ではないだろうか?
確かに、
作品名:地図から抹消された村 作家名:森本晃次