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地図から抹消された村

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 と言えるだろう。
 だから、この無残塚は、今でもこの場所にあり、ただし、
「実際には、その元祖が何であったのか?」
 ということは、分からないということになっている。
 本来であれば知りたいということなのだろうが、
「ハッキリしない」
 ということの方が神秘的だということで、へたに知ることを考えないようにしていたのであった。
 そんな、
「無残塚」
 というのが、まさか、明治期に、
「国から抹消された村のものだった」
 とは思いもしないだろう。
 明治政府というものがどういうものだったのかというのは、今の教科書でしか知ることはできない。
「子供にどのような教育をすればいいのか?」
 ということを、ある意味、
「反面教師」
 ということで、教えられるはずの村だったのに、あくまでも、
「政府の諸外国に対するメンツ」
 というもののために、抹殺された村だったのだ。
 無残塚というものは、ほとんど注目されることはなかった。
 濡れ衣塚の方も、あまり注目されることはなかったが、最近では、オカルトブームというものが再燃していき、さらには、
「古ければ古いほど、そのスピリチュアルなものが立証できる」
 ということであった。
 濡れ衣塚というのは、実際には奈良時代にさかのぼるというから、時代的には、今から、1300年前といってもいいだろう。
 しかし、無残塚の方は、明治時代にまでしかさかのぼらないということから、過去への長さというものを考えた時、それほど注目を受けるものではない。
 しかし、一部の歴史研究家の中で、
「濡れ衣塚よりも、無残塚の方が、研究材料としては、興味深い」
 と思っていた。
 一つには、
「古代には、そんな塚がたくさんあるが、近代になってからは、そこまではない」
 ということからだった。
 実際に、近代ともなると、昔のような塚というものを作るというよりも、
「墓の建立」
 という方がイメージは強いだろう。
 さらに、本来であれば、幕末から明治初期というと、まだまだ明治政府が確立していない時代だったことから、それこそ、
「血で血を洗う」
 という時代だったことだろう。
 幕末の京都などでは、
「新選組」
 であったり、
「見回り組」
 などと、維新志士たちとの死闘というものが繰り広げられていて、歴史的な興味はそそられるというものであるが、実際には、
「歴史の表舞台」
 というものに出てくるわけではないという、影に隠れた志士であったり、実際には、注目を浴びるべき人が、密かに暗殺されたなどというのが多かったので、
「政府としては、表に出すわけにはいかない」
 ということで、
「暗殺に加担した人は、その後、生かしてはおけない」
 ということで、さらに、暗殺されたりしたというのが、闇の時代と言われる、
「明治初期」
 といってもいいだろう。
 そんな中で、
「政府転覆」
 というものを狙って、決起した連中が、隠れ蓑として田舎の村を根拠とするということも多かった。
 しかし、それが語られることはない。
 歴史というのは、
「表に出していいものと、決して出してはいけない」
 というものがある。
 表に出してはいけないというものの中には、
「後世に至っても、出してはいけない」
 ということで、
「秘密は墓場まで持っていく」
 という程度ではすまないということもあるようだった。
 だから、暗躍というのは、
「トップシークレット」
 でなければいけない。
 20世紀の大戦」
 と言われた時代もそうであった。
 かたや、
「プロパガンダ合戦」
 というものを繰り返しながら、
「知られてはいけないということは、必死になって隠す」
 というのが当たり前になっている。
 そのためには、
「相手を騙して、毒殺する」
 などというのは当たり前で、さらには、
「暗殺した相手の、家族はもちろん、少しでも関係のある人に、秘密が漏れているかも知れない」
 ということで、
「彼らがこの世に存在した」
 という事実をまったくなかったことのように、抹消しようというようなものである。
 それが、今度は、
「東西冷戦」
 というものでのスパイ合戦ということになるのだろう。
 もっとも、その前の世界大戦においても、大日本帝国は、
「諜報作戦に長けていた」
 といってもいい。
 もっといえば、大日本帝国黎明期ともいえる、
「明治政府」
 というものも、実際には、諜報作戦に長けていたといってもいい、
「特務機関」
 などというものもあり、実際に、明治時代から、スパイ活動も行っていたのであった。
 それだけ日本という国は、まだまだ弱小だった。
「日露戦争で、日本が大国ロシアに勝った」
 ということで、
「アジアの小国が」
 と言われ、先進国に対してコンプレックスを持っていた他の小国に、希望を与えたのであった。
 そんな日本が、
「大東亜戦争において、大東亜共栄圏を建設する」
 という、大義名分を打ち立てたのだから、アジアの、植民地だった国は、日本に協力するという気持ちだったことだろう。
 だが、実際には、
「日本が、それまでの宗主国にとってかわった」
 というだけで、アジアの国は、
「何も変わっていない」
 ということになる。
 それを考えると、
「日本も敵」
 ということになり、抗日戦争をゲリラ戦で激化させるということもあったに違いない。
 ただ、
「本当にそうだったのだろうか?」
 そもそもは、
「不平等条約改正」
 をスローガンとしていた明治政府は、国防のために、やむを得ずに、大国ロシアを相手にした。
 中には、
「対ロ戦争反対」
 という人も実際にはいた。
 ときの首相だった伊藤博文も、
「対ロ戦争というのは時期尚早」
 といっていたのだが、まわりから、
「今やらないと、国力の佐賀広がる一方なので、侵略を受け入れることになるか、ここで、皇国の荒廃の雌雄を決するかということが問題だ」
 と言われてしまえば、
「今しかない」
 ということで、戦争もやむなしになったのだ。
 ただ、やるからには、あらゆる手段を用いて事に当たるということになるだろう。
 それが、外交政策というものだった。
「栄誉ある孤立」
 ということで、どの国とも同盟を結ばなかったイギリスに対し、
「ロシアの南下政策という者に対して、共通の脅威を感じている仲間同士」
 ということで、説得を続け、
「日英同盟」
 というものを築いた。
 これにより、
「バルチック艦隊が、日本に向かうために、ヨーロッパを迂回してやってくるとして、イギリスの息のかかったところでは、艦隊が補給ができない」
 ということになり、日本に来る頃には、
「ズタズタな状態だった」
 ということである。
 ただ、実際には、日本海海戦までに、
「旅順港の旅順艦隊を閉塞していく必要がある」
 ということで、ロシアが築いた、当時世界最高と呼ばれた、
「旅順要塞」
 というものを撃滅する必要があった。
 そのために、陸軍は、最大級の犠牲を払うことになる。
 旅順要塞は、難攻不落で、相手に行きつくだけでも大変だったのだ。
 それこそ、
「攻城戦」
 というものであるが、昔と違い、攻める方は、
「大砲の的になる」
作品名:地図から抹消された村 作家名:森本晃次