地図から抹消された村
ということなのだから、町としても、ながったり叶ったりだということになるだろう。
そのおかげか、村は、町の中では、
「特別行政区格」
ということになっている。
市町村の町民としての権利はあるが、逆に、村民としての権利もあるということである。
それだけ、彼らは税を払っているということで、お金だけでなく、農産物でも払っている。
それこそ、昔の年貢のようだが、彼らは、それだけの自給自足ができていて、
「売るだけたくさんできる」
ということから、本当に売って、税金にしているのであった。
だから、自治体も、彼らには頭が上がらない。
そのため。
「特別行政区」
ということにしているのだ。
ただ、それは、あくまでも、
「自治体レベルでしか知らないことだ」
ということで、国民は、こんな村が今存在しているということを知らない。
もちろん、政府は分かっているのだろうが、そもそも、、明治政府によって、滅ぼされたようなものだから、彼らに対して、文句を言えないのだ。
へたに締め付けるようなことをして、
「かつての自分たちのことを、世間に知られてもいいのか?」
とばかりに脅迫してくると思っているのだ。
もちろん、彼らに、そこまでの気持ちはないが、自分たちの権利や主張が妨げられるようであれば、容赦はしないという連中ばかりに見えたのだった。
この村では、現在も、
「双子が生まれると、里子に出す」
ということが言われている。
そもそも、
「近親相姦をよしとする村」
ということなのに、どうしてなのだろうか?
それは、
「近親相姦をよしとすることで、双子までよしとしてしまうと、収拾がつかなくなる」
ということからであった。
よその土地の人に、
「この村は、近親相姦でもってきた村だ」
などということを世間にばらされると、今度は、
「特別行政区」
という特権がなくなるばかりか、それこそ、
「昔のように、村の実態までもが滅びることになる」
ということであった、
だから、
「近親相姦はいいが、それ以外の忌み嫌うものは許さない」
というのが、村の、いや、
「特別行政区内」
での、暗黙の了解ということであった。
だから、
「近親相姦が行われている」
ということも、決して口外はできない。
あくまでも、この村は、
「昔から言われている、忌み嫌うものは、すべて受け入れない」
と思わせておく必要があるのであった。
それが、
「明治政府に抹殺された村」
というものの、その存在感を映し出すということへの表れのようなものである。
そんな、特別行政区となっている村で、研究を続けるのは、
「彼らにとって、決して損にはならない」
ということを教え込んでいるからだということであるが、
「本当にそれだけのことなのだろうか?」
他に何か、理由があるに違いない、
実際に、研究は思っていた以上に進展した。しかし、どうしても分からないところがあった。
というのも、
「何が分からないかということが分からない」
というところである。
特に心理学の世界も垣間見た飯塚准教授とすれば、
「何が分からないか分からない」
などということは、屈辱に違いない。
確かに、分かるはずのことが分からないというのは、
「自分で自分が憎らしい」
ということであり、
「まわりの見本にならなければ、誰も信じてくれないだろう」
ということで、本来であれば、治す立場の自分が、精神疾患に陥れば、元も子もないということになるだろう。
幸いにも今までにそんなことになったことは一度もなかった。しかし、今回は、そんな目に遭うかもしれないとも考えられるのだ。
ただ、一つ気になっているのは、
「どうして、自分が、この村に目を付けたのか?」
ということであった。
そのあたりの記憶が定かでなかったのだが、いろいろ思い出してみると、あれは確か、
「飲み会の席」
だったような気がする。
飲みながらやけに話しかけてくる人がいたなということを思い出してみると、それが、篠崎であったということを思い出した。
「あいつが何かを言ったんだよな」
ということだが、それが、闇に閉ざされているような気がして、それがまた自分の中にイライラのいたちごっこをさせるのだった。
「やつが俺に何かを吹き込んだのは間違いない」
ということで、まさかとは思うが、この記憶の曖昧さというのも、やつの仕業ではないだろうか?」
とも思った。
飯塚准教授は、お酒に関しては、あまり強い方ではない。だから、乾杯も最初のビール一杯ではなく、ビール一口といってもいいだろう。
そんな飯塚准教授を酔わせることは、至難の業だということであった。
それだけ、彼は酔っぱらわないように自分で心掛けていた。
「そもそも、酒に飲まれるなんて、情けない」
ということを言っているくらいだ。
それだけ、自分の学者としてのプライドのようなものがあるのだろう。
「あの時、篠崎に何を言われたんだろう?」
と思ったが、今回の研究にかかわりのあることだったということだけは分かっているのだが、それが思い出せないということは、
「自分にとってどうしようもないこと」
ということであった。
人のためであれば、いろいろ策を練って、何とかできる気がする」
ということであるが、これが自分のこととなると、まったく分からないというのが、ある意味、
「人間というものではないか?」
ということであった。
そう思えば、
「自分と篠崎とは、どこかでつながっているのではないか?」
とも思えてきて、その時に篠崎が言った言葉が、
「俺たちは、男に生まれたことが不幸だったんだ」
という言い回しではなかったか。
それは、篠崎が自分にかけた暗示であり、この暗示が説けると、あらたな暗示が顔を出す。
そして、その暗示が、どんどん膨れ上がってきて、次第に、いばらの道になってくるというものであった。
その次の謎を解けば、
「ある程度までゴールに近づけるような気がするんだがな」
と考えるが、逆に、
「遠回りをしているのかも知れない」
とも思う。
それこそ、
「急がば回れ」
ということで、自分に対する篠崎の視線というものが、ぞくっとするものであり、今でも、その感覚が、まるで、遺伝子に乗っかっているような気がするのだ。
さらに、最後の言葉として、
「飯塚准教授は、あの村で、自分を見つけることになるんですよ」
ということであった。
「何のことだろう?」
ということであったが、一つの過程を考えることで、すべてがつながってくると言えるのではないだろうか?
それは、
「飯塚准教授も、篠崎も、それぞれ、この村の血を受け継いでいて。それぞれに、二大勢力の末裔なのか、ご枠員なのか?」
ということを思わせるということである。
なぜ、そのことを篠崎が知っているかというのは、謎であるが、
「篠崎が、自分に暗示をしたような相手が、篠崎にはいたのかも知れない」
ということであった。
そう考えると、血のつながりというものが、半永久的に広がっていくというもので、それこそ、
「ネズミ算式に増えていく」
作品名:地図から抹消された村 作家名:森本晃次