地図から抹消された村
ということである。
自分たちの村であれば、普通なら損なウワサが立てば、屈辱感になるだろう。
しかし、その書物には、
「彼らは、近親相姦を悪いことだとは思っていない」
と書かれていた。
むしろ、それどころか、
「近親相姦によって、自分たちが栄えてきた」
と書かれてきたのだ。
確かに、近親相姦が悪いというのは、
「身体障碍者が生まれる確率が高い」
などと言われ、嫌われていたといってもいい。
しかし、それが、医学的に本当に証明されているのかということは、はなはだ疑問だといってもいいだろう。
それを思えば、
「高貴な家柄の人にだって、子孫繁栄を考えて、近親相姦によって、万世一系を保った」
ということだってあるくらいなので、一概に、近親相姦が悪いことだと言えるだろうか?
そんなことを考えていると、さらに、村の秘密に迫りたくなった。
実際に、二つの家に分裂したのがいつなのかということは正直分からないが、一つ言えることは、
「どちらかが、どこかに攻められても、どちらかが生き残れば、家の存続、ひいては、村の存続のためには、致し方のないことだ」
ということになったようだ。
そこで、
「男子が生まれたら、その時はそっちが本家で、どちらも女子であれば、変更はない」
ということで、さらに、
「どちらも男子であれば、こちらも変更なし。変更があるのは、本家が女の子で、分家が男の子ということになれば、分家が本家になり、本家が分家に成り下がる」
ということにしたのだ。
その方が、不公平はないと考えたのだろう。
確率からすれば、
「それまで通り」
という確率の方が高いわけなので、わざわざ、入れ替える必要もないということであった。
今の時代においては、
「倫理や道徳的にはありえない」
ということである。
しかし、今の時代でも、
「三親等以上の結婚は認められている」
というのが、日本の法律なので、
「従妹同士の結婚」
というのは、ありだということである。
だから、本家と分家が喧嘩しないように、
「それぞれが、男女が生まれていれば、その二人を結婚させる」
ということで、手を打ったのだ。
それが、
「血のつながり」
というものの正体で、
「そのことが本当によかったのか悪かったのか」
ということは、誰も分からない。
ただ、結果としては、
「そのことを知られたがゆえに、滅ぼされてしまい、最悪の結果を招いた」
ということになるのだ。
飯塚准教授は、そのことを研究していくうちに、
「実に興味深い」
と考える一方、
「なぜなのか、この村の話を見たり聞いたりするたびに、胸がムカムカさせられるのは、どうしてなんだろう?」
と感じていた。
「自分のことでもないのに、こんなことは初めてだ」
と感じるのであった。
大団円
この村の血のつながりというと、実際には、
「地図に載っていない村」
ということへの解明になるのだろうか?
確かに、近親相姦というと、あまりいいイメージはない。
しかし、医学的な根拠もないのに、昔から、
「双子は忌み嫌われる」
といって、里子に出されたりしているが、今では逆に、双子は喜ばれるといってもいいくらいだ。
時代として、戦後などでは、ベビーブームというのがあり、戦争で戦死をしたり、空襲でなくなったりして、実際の復興に大切な人員がいないことで、
「産めや増やせや」
とばかりに、子供をたくさん産むことがいいとされてきた。
今の時代では、
「子供を産んでも育てられる環境ではない」
ということから、子供を持つとおうことが困難になっている時代である。
考えてみれば、今の少子高齢化という時代は、
「バブルの崩壊」
の影響が大きいが、それは、
「それまでの奥さんが家にいて、旦那の稼ぎだけで生計が成り立っていた」
という時代から、
「奥さんも働くということで、専業主婦の時代から、夫婦共稼ぎの時代」
ということで、子供ができれば、誰かに預けなければいけないということになるのだ。
近くに親がいて、昼間だけでも面倒を見てもらえる環境にあればいいのだが、皆が皆、そうもいかない。
そのために、奥さんが、朝勤めに行く時に、子供を託児所や保育園に預けていくということになるのだ。
しかし、それまでの、
「専業主婦が当たり前だった」
という時代から、いきなり、
「共稼ぎが当たり前」
という時代になったとしても、結果として、
「託児所や保育園が追い付かない」
ということになるのだ。
認可が必要なところなので、施設だけがあっても、保母さんがいなければなりたたないのが、託児所や保育園である。
今の時代にも、
「不認可」
の託児所や、保育園があり、何かトラブルを起こしては問題になっている。
最近では、
「保育園バスに閉じ込め」
などということで、大問題となっているではないか。
そんな状態で、子供を作らないと、自分たちが老人になった時、支えてもらえないということになるのだ。
それが、今の
「年金問題」
となっているわけで、
「これから30年後には、年金がもらえないっ世代が出てくる」
と言われているではないか。
かといって、託児所などの絶対数が足りないところで、子供を作るわけにはいかない。
作っても、育てられないのであれば、本末転倒というものだ。
特に、政府は
「少子化問題」
ということで、
「第三児から、補助を出す」
ということであるが、
「その家族の長男が、高校を卒業する年になると、長男を第一児とみなさない」
などという、
「まるで詐欺」
ともいえるような話になるのである。
完全に、
「国民をバカにしている」
といってもいいだろう。
しかも、、今でも、
「定年退職と年金受給年齢までに5年のブランクがある」
ということだ。
「その間、働かないと食ってはいけない」
ということで、今でも、年金制度は崩壊しているのに、これが進むとどうなるというのか?
それを考えると、
「世の中はとんでもないことになっている」
としか言いようがないだろう。
この村では、正直、そんなことはなかった。
今でこそ、その時の村の名前は、
「地図から抹消された」
ということで、その名残のある町名もなくなっている。
そんなところではあるが、一応、町には属しているが、影で、暗躍している連中もいるという。
暗躍といっても、
「前の村に戻そう」
というようなことを考えているわけではない。
どちらかというと、
「静かに暮らしていくが、自分たちは自分たちで、自給自足を行う」
ということを考えている。
自治体の連中は、この場所が、昔は曰くのある村で、そのために、明治政府から抹殺されたということを知る人はいないだろう。
それこそ、村出身者が、密かにつるんでいるということで、
「自給自足の区画」
ということで、それを禁止にするわけにもいかない。
むしろ、
「自給自足をしてくれて、しかも、それでちゃんと税金を払ってくれている」
作品名:地図から抹消された村 作家名:森本晃次