地図から抹消された村
といってもいいだろう。
ただ、飯塚には、
「自分は他の人と同じでは嫌だ」
というところがあり、それが、大学側とすれば、
「研究熱心さで評価され、大学の名前を世に知らしめる広告塔としての役目が、充分に果たされる」
と言えるが、逆に、
「そもそも大学というところが閉鎖的なのに、その中でもさらに閉鎖的で何を考えているのか分からない」
というところに、一定の恐怖も感じていた。
今のところ、それが表面化してくるところはなかった。要するに、
「大学側の猜疑心」
といえばいいのだろう。
だが、それがどのように転ぶかということが分からないだけに、
「今のところ、膠着状態を不気味に見守るしかない」
ということであった。
今の大学にとっては、それが一番いい手段ということで、飯塚の意見を大目に見るということになっているが、それがいつまで続くかというのは、微妙なところであった。
大学側の研究は篠崎に任せておいて、飯塚准教授は、2人の研究員だけを引き連れて、本来の、
「地図から抹消された村の研究」
の方に取り掛かることにした。
大学の方の研究をおろそかにできないということと、篠崎のことを考えると、こちらの研究を2人以上割くということはできないだろうという判断だった。
篠崎の方は、5人の研究員を引き連れているので、時間内の研究まとめも十分であろうという考えだったのだ。
飯塚准教授は、資料館の調査と、祠の調査くらいまでは、ある程度、順調に進んだ。
しかし、祠の中に残されていると目されていた資料は、劣化が激しく、ある程度までは分かったが、自分たちが求めているところまでは、とても分かるということにはならなかった。
それを考えれば、どうしても、村に残っている何かの発掘を考えないといけないということになり、後は、村人の中で、何か知っている人を探るしかないということだったのだ。
村人というのは、どうしても、都会から来た人に対して、興味津々ということではあるが、あくまでも、相手に対してということであり、自分たちのことを探られるのは、どうにも苦手ということであった。
それは、当たり前のことであり、何も田舎でなくとも、都会の方が今では、猜疑心の塊といってもいいだろう。
特に、数十年前に、
「個人情報保護法」
などというものができ、その後に、
「詐欺集団と、当局との間での、いたちごっこ」
というものを考えると当たり前ということである。
詐欺集団は、あの手この手を使い、詐欺行為を働く、警察や政府などの当局側とすれば、その検挙や撲滅に躍起になるということを、繰り返すのである。
詐欺集団も、一度警察に検挙されても、またしつこく這い上がってくる。
それは、
「自分たちが検挙されなければいいんだ」
という考えで、いわゆる、
「とかげの尻尾切」
ということで、実行犯から、主犯にたどり着けないように、その役割を細分化することで、捕まった連中が、
「俺たちは命令されただけで、何も知らない」
という、アルバイト感覚の連中による、
「闇バイト」
ということになる。
実際に主犯は、海外にいて、すぐにはたどり着けないようにはしてある。それこそ、お城の攻城戦により、なかなか天守にたどり着けないような細工が、方々で施されているということと同じなのだろう。
「個人情報保護法」
というのは、
「そんな詐欺連中が、いろいろな策を弄して、個人の情報を得ることで、詐欺に使われる」
ということが分かったことから、
「あまり、人に自分の情報を晒さないようにしないといけない」
ということになったのだ。
それこそ、
「昔の常識が、今の非常識」
というもので、昔と今とではかなり違っている。
その違いが歴然とするのは、
「昭和の時代と、そこから20年後くらい」
と言ったところであろうか。
昭和の頃の、
「当たり前」
ということでは、たとえば、
「家の前に表札をかけているということ」
今では、家を特定されるということで、ほとんどしていない。
さらには、
「昔には、電話帳が存在した」
ということである。
「電電公社が発行する電話帳には、50音順と、職業別という、2種類の電話帳があり、家庭に1冊ずつ配布されていて、定期的に交換しに来てくれていたものだ」
ということである。
それが、今の時代には、その電話帳すら見なくなった。
「公衆電話のところにも、一つずつ置かれていたのに、今の時代は、スマホなどの携帯電話全盛期ということで、固定電話もほとんど見なくなった」
といってもいいだろう。
そもそも、固定電話の電話番号も、住所も、どちらも個人情報ということである。
携帯電話であれば、
「電話番号から、どこに住んでいるかということは、まず分からない。それを使っただけで詐欺はできない」
と思われがちかも知れないが、今の社会では、携帯番号によって、契約ができたり、いろいろ詐欺の道具として使えるということから、
「携帯番号も、危ない」
ということであった。
ただ、
「個人情報保護」
ということと、今の社会の便利さということとが、必ずしも安全性を保障できるものだとは限らない。
それが、へたをすれば、うまくいかないということだってあるのだ。
矛盾しているといってもいいのだろうが、その例として、
「家を知られてはいけない」
というのに、今の時代では、WEBカメラというものが、いたるところにある。
それは、防犯カメラのようであり、そのおかげで、
「防犯になっている」
というのも事実である。
しかし、そこから一般家庭を特定できたりするというのも事実であり、
「これじゃあ、困る」
という人もいるらしい。
一応、家を知られたくない人は、そのカメラの会社に連絡をして、対策を取ることができるらしいが、正直、
「面倒くさい」
ということで、何もしない人がほとんどであろう。
実際に、カメラがあるということを知らない人も結構いるだろう。
今の時代は、
「少子高齢化」
ということで、そんな詳しい事情まで、誰が分かっているということであろう。
それを考えると、
「時代や、それにともなって変革していくことが、いかに時代にそぐわないか、そして矛盾していることになるというのか」
という問題が残ってしまうということである。
田舎の方の人にも、詐欺の魔の手が来ないとは限らない。
特に、
「カネを持っていて、騙しやすい」
と考える連中がいるだろう。
中には、
「都会から移り住んで、山林を持っていたりして、それが、金になる」
と考える連中もいるだろう。
確かに、土地は都会よりも安いかも知れないが、土地があるというだけで、かなりの資産になるということだ。
特に、工場誘致や、インフラがさらに整備されれば、物流の拠点ということになりかねない。日本は、まだまだそういうところが残っているだろうから、詐欺にはいくらでも使える余地があるのかも知れない。
詐欺集団にとっては、
「作戦の一つにしかすぎない」
ということであるが、詐欺に遭った人にとっては、
「人生が崩壊する」
作品名:地図から抹消された村 作家名:森本晃次