地図から抹消された村
「悪しき歴史」
といってもいいだろう。
「文化や科学が進歩しても、歴史に学ばなければ、結局は同じことを繰り返して、何ら発展には至らない」
ということになるに違いない。
そんな歴史というものが、どのようなものなのかということを、誰が知るということになるのか、歴史研究家も、そこまでは、考えていない人も多いということであろう。
飯塚准教授は、元々、歴史と心理学の権威だった。本当は歴史だけのはずだったが、歴史を研究していると、かつての、
「独裁者」
と呼ばれた人であったり、
「途中までは、名君と呼ばれた」
というような人が、急に気が狂ったかのように、それこそ、
「発狂した」
と呼ばれるような行為を起こすこともあったのが気になっていた。
もっとも、日本ではまれなケースであるので、あまりなんとも言えないが、それでも、世界の心理学研究車たちの話を聞いていると、興味深いものもあった。
日本の場合は、書物に残すことを許さず、密かに暗殺させることで、そのことを、その時々で、隠蔽し、
「墓場までこの秘密は持っていく」
とばかりに、誰にも伝えられなあかった秘密もあるかも知れない。
しかし。
「そんな秘密だからこそ、命を懸けてでも、未来に残そうと考えた人もいたかも知れない」
実際に、そんな話というか、ウワサというものを耳にしたこともあった。
それを何とか見つけようと考えて、いろいろ探ってみたりしたのだが、そのおかげというべきか、
「地図から抹消された村が存在する」
ということを耳にすることで、この村の存在を知ったのだ。
この村の秘密が、直接心理学の発想につながるかどうかはハッキリとはしないが、
「過去の人物の中で、確実に、タブーとされたものを未来に残そう」
と考える人が、日本人の一定数の中にいるのだということを、元々信じて疑わなかった飯塚准教授とすれば、
「自分の考えが証明された」
かのようで、その発想が証明されたかのようで嬉しかったのだ。
しかし、それが、完全に証明されたわけではない。確かに、そのおかげで、この村の存在を知り、実際に調査をしにくるくらいのことはできた。
それでも、いくら准教授とはいえ、ここに研究段を連れてこれるだけの、何かの理由が必要なわけだった。
幸いなことに、ここには、かつての激戦となった古戦場があるということが昨今、他の大学で発見されたことで、その調査に来るということにしてしまえば、別に問題になることはなかったのである。
最初こそ、大学の研究員の人たちは、
「歴史の検証にやってくる」
ということで、普段と同じ感覚しかもっていなかった。
だから、中には、
「マンネリ化しているな」
ということで、難の感動も抱いていない人もいたのだが、ここにきて、実際の目的を話すと、その人たちは、嬉々として喜んだのだ。
「先生、そういうことなら、一気にテンションが上がりましたよ。いいでしょう、我々がどんどん、検証しますよ」
ということで、完全に、前のめりの態勢に入っていたのだ。
そこで、飯塚も興奮し、
「ありがとう。君たちがそう言ってくれるのを待っていたんだよ。でも、本来の目的である古戦場の研究も並行して行うので、それは、そちらのグループに任せたいんだ。そこの篠崎君を中心にお願いできるかな?」
というと、今度は名指しされた篠崎が興奮し、
「ええ、任せてください。私がこちらの研究報告書までまとめ上げるまでしましょう」
ということであった。
この篠崎という研究員は、実際には、研究員をまとめてある程度独り立ちができるだけの才能は有していた。
しかし、飯塚研究員というのは、今までが、
「学会で発表することで、大学の評判が決まる」
ということで、大学側が、なかなか篠崎を認めようというところまではいかなかった。
そのことを、飯塚は憂いていたのだが、今回が、
「そのいい機会だ」
と考えたのだ。
篠崎研究員も、さすがに、今までの仕打ちには腐っていたというところがあり、へたをすれば、
「他の大学に移籍する」
ということも考えられないわけではなかった。
それが、飯塚准教授に怖かったのだ。
実際に実力を持っていて、この大学で培った才能もある。それを、他の大学で使われるというのは、
「彼がいなくなる」
ということと、
「ライバル大学に、黙って手の内を晒すことになる」
ということを懸念したのだ。
当然、この大学に恨みつらみがあるだろうから、大学の情報というものを手土産に、他の大学に移籍するということくらいは、覚悟しなければいけないだろう。
確かに、
「元の大学でのノウハウを、他で使うというのは、倫理的にはいけない」
ということになる。
しかし、それが、ノウハウではなく、自分で培ったものだということであれば、それを否定することはできないだろう。
何といっても、
「大学の研究者」
ということである。
「研究内容」
ということであればダメだろうが、自分で培ったノウハウというものであれば、それがどこまでになるのかということは、誰が分かるというものであろう。
それだけ曖昧なものであればあるほど、実際には、その認識を誰が判断できるのかということであった。
今回、篠崎の、
「責任者への抜擢」
というのは、
「自分の研究を成就したい」
という思いと、
「篠崎に快く、研究をしてもらう」
ということで、
「自分の研究を他に決してもらさない」
ということと、
「篠崎の他への流出を防ぐ」
という、それぞれに、複数の思惑があるということになるのであった。
「我ながら、うまいことを考えた」
ということで、
「ここまでは、うまくいっている」
ということを考えると、飯塚准教授は、ほくそ笑んでいたのである。
大学時代において、飯塚も、
「研究員としては、なかなかだが、実際に責任者ということは難しい」
と言われていた。
本人とすれば、
「プライドが傷つけられた」
とも思っていた。
だから、心理学の方にも興味を移したのだった。
最初こそ、
「こうなったら、心理学に移籍してやる」
とまで思っていたのだが、そのうちに、歴史研究の方で、
「そろそろ飯塚君にも、経験させてもいいのでは?」
という話になったことで、今のような、
「二足の草鞋を履く」
ということになったのだ。
大学側も、そのことは認識していて、
「心理学の研究は、歴史研究にも役立つ」
という彼の考えを認めてくれるところまで来ていた。
それも、本人は知らなかったが、
「研究の責任者に抜擢しなかったことを、恨みに思って、他に漏らされるのを警戒した」
ということからきているのだった。
大学というところは、そういう閉鎖的なところがあり、人間でいえば、
「猜疑心が強い存在だ」
といってもいいだろう。
そんな飯塚准教授は、
「心理学をやっていた」
ということから、今のような
「歴史研究の第一人者」
ということで、大学からも認められ、准教授にも、かなり若くしてなることができたのだ。
実際に、
「学会で発表した論文」
というのが評価されることもしばしばで、
「未来の歴史博士候補」
作品名:地図から抹消された村 作家名:森本晃次